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わたし、異世界でも女子高生やってます  作者: 小織 舞(こおり まい)
ノーマルルート
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幕間 その4

 アスナという異世界の少女を待たせてあった部屋から、争うような声が聞こえていた。クリエムハルトは勢いよくドアを開け、部屋に乗り込んでいった。


「おいっ、何の騒ぎ……」


 しかし、中にいたのはアスナだけだった。床に座り込んで、涙を流しながら、わぁわぁ泣き叫んでいる彼女を見て、クリエムハルトは動揺した。


「ど、どうした、お前……何があったんだ?」


 クリエムハルトも泣く女なら何度も見てきた。だが、こんな風に赤ん坊か子どものように泣く“大人の女”を見るのは、初めてだったのだ。そう、彼にとってアスナはもう大人だった。


 アスナは最初から、怒ったりうなったりと、妙な反応を見せる女だった。奴隷階級の女だったら、普通は怯えたり涙を浮かべたりするものなのに。流石に首輪を取り出したときはそんなそぶりを見せたが、その直後に図々しくもベッドに潜り込んでくるなど、わけのわからない女なのだ。


 それが、ちょっと目を離した隙にこれである。


(やはり、部屋を離れる前に言ったことがマズかったか……?)


 アスナが自分を睨みつけながらもポロリとひとつぶ涙をながしたことが、クリエムハルトの心に理由もなく強く突き刺さっていた。このときばかりは明確に、それが己のせいだとわかっていたからだ。


 クリエムハルトはアスナの前に跪き、その頭を抱き寄せようとした。その腕を、アスナは頭を振って退けようとする。クリエムハルトは強引にアスナの首に抱きつき、そして気づいた。


「誰か! この娘を寝室へ運べ。それから、急いで医者を呼ぶんだ」


 アスナは高熱を出してうなされていた。「心身の疲れ」だろうと医師の診断がなされ、薬を塗った湿布が処方された。看病を申し出る医師を下がらせ、クリエムハルトはそのまま自分のベッドにアスナを寝かせた。


 泣きながらしきりにアスナは「帰りたい」と言っていた。「家に帰りたい」と。そして、ここにはいない父母に呼びかけ、友の名であろう、クリエムハルトの耳には馴染まない名前を呼んでいた。


「……キャンディ」

「なんだ? 甘いものが食べたいのか……?」


 クリエムハルトは部屋にある飾り台から飴の入った缶を取ってきた。中には色とりどりの小さな小さな丸い飴玉が並んでいる。クリエムハルトはオレンジの飴をひとつぶ取り上げて、アスナの口へ運んだ。


「おい、口を開けろ」


 しかし、眠っているアスナは命令に反応しない。クリエムハルトはアスナの唇を指でつついた。それでダメとなると今度は飴を指で押し込んでみることにした。だが、それでもアスナは口を開かなかった。


 クリエムハルトは苛立ち、眉をひそめ、そして自分の唇で飴を挟んだ。


 アスナの頬を両手で押さえ、唇を近づけていく。ふたりの唇がまさに触れようというとき、アスナがクリエムハルトの手を振り払って顔を逸らした。


「う〜ん……」

「!」


 アスナはクリエムハルトに抱きつき、まるでぬいぐるみのように抱え込んだ。その結果、クリエムハルトの頭がアスナの豊かな胸へ押しつけられることになった。


「むが!」


 クリエムハルトは逃れようともがいたが、アスナの腕は外れなかった。胸に埋もれながらクリエムハルトは舌打ちし、力を抜いてなすがままになった。今夜はこのまま眠ることになるだろう。


 クリエムハルトの口の中で、飴玉が砕ける。舌の上にじんわりと広がる甘さに、クリエムハルトは眉間のシワを深めた。


(甘い……。この女も、甘い匂いがする……)


 クリエムハルトは母親のことを思い出していた。小さい頃からほとんど顔を合わせたことのない、この国の偉大なる女王陛下……。クリエムハルトの父が死んでしまってから、彼女はクリエムハルトの兄や姉、そして自らの正式な夫を処刑した。そして、ほとんどの親族、部下もまた処刑していった。


 その凶行はギースレイヴンのみならず、他国をも恐れさせた。もはやこの国にもどこにも、彼女に逆らう者はいない。しかしそんな女王は今、肺を病み、王都から一歩も動けなくなっていた。クリエムハルトは政治の中枢から遠ざけられ、それならばと旧王都へやってきたのだった。


 ここはかつて華やかな都だった。

 そして、クリエムハルトの父が生まれた場所でもあった。


 土地は死に、海は荒れて恵みもなく、かつて海運で栄えていた頃の面影はまったくと言っていいほどない。それでも旧王都は、捨て置かれた都ながら人々の記憶に残り続けていた。


『あの海竜を殺して海の毒を浄化し、憎きシャリアディースから魔力を奪い、土地を癒やせれば……』


 誰かが言っていたことだ。それを口にする者の顔ぶれはいつも違ったが、皆同じことを言っていた。孤独な王宮で、それを繰り返し聞かされて育ったクリエムハルトは、いつしかそれを自らに課せられた使命だと思うようになった。すべては、父のために。


「ううっ……!」


 アスナの苦しげな声によりクリエムハルトは物思いから覚めた。アスナの体は変わらず熱く、その温かさにクリエムハルトは眠くなっていたのだ。看病すると決めたのに体たらくである。クリエムハルトは己の不甲斐なさに不機嫌な表情で身を起こした。


 なかなか熱が下がらないようだ。冷たい水で絞った布巾を当ててやらなければならない。無意味と知りながらアスナの額に手を伸ばす。クリエムハルトの魔法は、傷つけることしかできない、攻撃のためだけのものだ。熱に苦しむアスナを救うことはできない。


(氷の魔法も、今は何の役にも立たんな)


 せめて熱を下げてやれれば、この苦しみも取り除けるのだろうか、とクリエムハルトは考え、そして頭を振った。


 異世界から呼び寄せた人間には、この世界にない知識を持っているという言い伝えがある。それに、膨大な魔力を持っている場合もあるらしい。クリエムハルトは怪しげな魔導書で召喚の儀式をしたが、呼び寄せた生贄はシャリアディースに横取りされてしまった。


 本当なら、もっと早くこの地は恵みに満ちていたはずなのだ。アスナの血と心臓によって。

 そして、その儀式の終結と同時に生贄の魂は元の世界に帰っていく。


「帰してやらないとな……」


 クリエムハルトはそっとアスナの髪の毛をすくい取った。名残惜しい気持ちを捨て、ベッドから降りて布巾の用意をする。そのとき、扉がそっとノックされた。


「起きている。入れ」

「おやすみのところ申し訳ございません、殿下。本日の魔力値のデータが異様でしたのでご報告に上がりました」

「見せろ」

「こちらになります。朝の分は時間がずれますが、夕刻のものは定時に測定されております。回復具合がこのように、跳ね上がっております」

「そうか」

「生贄の少女が来てからでございますれば……」

「要因はひとつではないはず。工場の稼働を止めたのが大きいのかもしれん。……アスナが来る直前、魔力の回復量が増えたことは確かだがな」

「これは吉兆でございましょう。一刻も早く儀式を執り行っていただきたくお願い申し上げます」

「いや、待て。生かしておいた方が回復が早まる可能性もある。それよりも工場のことだ。昼の案、どうにかなりそうか」

「廃液を川に直接流すのではなく、どこか別の場所に貯められないかということでしたな」

「あとは、煙を抑えられないかという話だ」

「……長く工場を止めることになりますが」

「構わん。どうせ奴隷の数が足りん。そうなのだろ?」

「は……」


 深く頭を下げたのは、昼にクリエムハルトに叱り飛ばされていた男だった。

 これまではただただ増産の動きしかしてこなかったクリエムハルトだったが、アスナとの会話の中で女王の肺病の原因は工場の出す黒煙なのではないかという考えに至った。


 クリエムハルトは兵器生産部門を休止させることにした。新兵器はすでに完成しており、二基目の稼働も確認されている。今はその完成披露会へ向けての準備を優先させるべきという建前もある。


 それに現状、鉄鉱石を掘り出す奴隷が不足しており、追加で送られてくるはずの奴隷が現地に届いていない。それももう何度目になるかわからない。原料になる鉄の量が充分ではなく、しかも製鉄して部品を作り出しても、肝心の兵器の組み立てをする職人奴隷が体を壊している。満足に働ける者が少ないのだ。そんな状態で工場を回しても損が出るだけだ。


 ギースレイヴン軍の武器、および兵器の保有数は算出された理想値を上回っている。急ぐ必要はなかった。


(本当に、工場を止めて土地と海が浄化されるのか? もしもこれがジルヴェストの罠だったら? ……だが、肺を病む者たちの苦しみが改善されるというなら、今しばらくは工場を止めるのも吝かではない)


 大臣を下がらせ、アスナとふたりきりになった寝室で、クリエムハルトはじっと窓の外を眺めていた。

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