幕間その3
キャンディのパパとエクレア先生のお父さんの話。
オースティアンとシャリアディースのいなくなった王宮では、大臣たちが対策会議に追われていた。悠長にディナーなど望むべくもない。酒のつまみのような簡単なもので腹を膨らませ、各所に出す通達の整備にいそしんでいた。
だが、夜も更けに更け、このまま煮詰まってしまっては却って効率が悪いということで解散することになった。日付の変わる一歩手前の頃だった。
各自、家に帰るなり王宮で空いた部屋を見繕うなりして寝床にした。明日の朝からはまた戦いなのだ、指揮を執らざるを得ない身の上としては、体を休めるのもまた仕事のうちである。
であるにもかかわらず、王宮の一室では気心の知れた仲の男がふたり、互いに酒を注ぎながら杯を傾けていた。
「城と役所、病院、学校。それぞれの前に炊き出しのテントを張って対応させれば、混乱は粗方収まるんじゃないかなぁと思っているよ。あったかいのが食べたきゃくればいいし、冷えたのが良けりゃ好きに齧ってろってね」
投げやりにそう言ったのは、浮雲のような白い髪をうなじでまとめた全体的に細い三十代後半の男だった。涼やかな目許とスッと通った鼻筋、年を経てなおも鋭いフェイスライン。優しく笑んだ唇がなければ、まるで悪魔のように美しい容貌だ。否、笑っていてもある種の人間は震え上がるだろう、彼の裁きを受ける犯罪者は。
魔力省の大臣であり、かつ、王家の血を引き今現在継承権一位を保持する男である。その名をアガレット・アーシェイ。護符の騎士団を率い、犯罪者への刑罰を一手に引き受けている猛者だ。
向かいの男は大臣たちの集う議会をまとめ上げる議長で、名をシュークレール・ギズヴァイン。四十をようやく越えたところであり、年齢相応の見た目なのだが、目の前のアガレットと比べると老けて見えるのはその性格ゆえか。
アンティークのオーク材のような深い色の髪を後ろへ撫で付け、いつもカッチリとした服装を崩さない男だ。眼鏡の奥の瞳は用心深くすがめられ、いつもへの字口をしているせいで不機嫌に見られがちだが、実際は気を揉んでいるだけである。
「まったく、勝手なことを言ってくれる。地方に住んでいる国民はどうするのだ。それに、動けぬ人間は? 騎士団や役人を総動員しても、取りこぼしがあるやもしれんのだぞ」
「問題ない。動ける者は勝手に助かりに来るんだから、動けない者を探しに行けばいい。あと、地方は村長たちに任せよう。水は止まらないんだから、それ以外はある物で対処してもらうしかないね」
「……君はいつもそうだ。君の部下はさぞかし苦労しているだろう」
「君は過保護すぎるね。赤ちゃんじゃないんだぞ? 面倒見きれないよ!」
アガレットは空にしたグラスを持った手をテーブルに叩きつけた。
「おかわり! ったく、夕方に緊急事態宣言を出して初動の指示を飛ばしたのに、夕食の頃にはもう苦情が届いたんだぞ? それも、いい歳したオッチャンオバチャンから次々と! もうね、あれだよね、本気で首をはねたいと思ったよね」
「……してくれるなよ」
「まだしないよ。犯罪者が出てから。僕の仕事はそれだからねぇ」
「ご苦労なことだ」
次の杯を作ってやりながらシュークレールは首を振った。今この国難にあって、保身に走ってすべての財を抱え込み文句ばかり垂れる奴は排除してやりたい、と思うアガレットの気持ちもわかるのだ。だが、それをしてしまっては恐怖政治となってしまう。
若い王が消え、今やアガレットが国王代理だ。正直、いつそうなってもおかしくはない。シュークレールはため息を噛んで押し殺した。
(こんなとき、あのひとが生きていれば……)
もう五年も前に没した父親のことを考えてしまうのだった。
「……親父さんが生きていればなぁ」
ポツリと漏らされるアガレットの言葉に、シュークレールはハッと顔を上げた。考える事は同じだった。
「昔は良かったよね。パルフェイドがバカやって、フィンが笑いながら加勢するもんだから、君はいっつも苦労してた。僕は茶化すだけだったし」
「そうだな」
「親父さんは黙って見守っててくれてさ。叱るときはガッツリやられたけど。カーディも幸せそうだったしさ」
「そうだな……」
先代の国王であったパルフェイドとその妃、若枝の騎士団長コーマ・フィン、アガレットの四人は幼馴染だったのだ。そしてその教育係を努めていたのが、シュークレールの父である先代のギズヴァイン卿であり、皆、彼のことを「親父殿」と慕っていた。シュークレールはその縁で、彼らのお目付け役として友人の輪に加えられたのだ。
パルフェイドの背後には、いつもあの宰相がいた。シュークレールたちが生まれる前からそこにいて、今も変わらずその地位にいるあの男が。
だが、「親父殿」が側にいる間だけは何故かシャリアディースは寄ってこなかった。パルフェイドはその間だけは、羽根を伸ばしてゆっくりすることができていたのだった。
「親父殿」はシャリアディースから彼らを守っていただけではなかった。シャリアディースへの不要な反抗の芽も摘んでいたのだ。シュークレールがそれを知ったのは、七年前に父親が病の床に臥せってからだった。
その頃にはすでに妃のリモーネ・カーディナルは亡く、パルフェイドとシャリアディースの仲が目に見えて険悪になっていった。シュークレールはその仲立ちになり、何度もパルフェイドを諌めたが、効果はなかった。
ついに「親父殿」が亡くなった日、最期の別れを告げたその足でパルフェイドは旅に出てしまった。まだ十二になったばかりの息子オースティアンに後を託して。
パルフェイドとコーマ・フィンがいなくなったのをシュークレールが知ったのは、葬儀とそれにかかわるすべてを終えた後だった。アガレットは何食わぬ顔でシュークレールの側にいたのだ。友を引き止めさせない為に……。
「シャリアディースはいったい何処へ行ってしまったんだ……」
「さぁねぇ。わざわざ結界を壊して行ったんだ、もしかしたら、もうこの島にはいないかもしれないよ」
「何ということだ! オースティアン様……!」
「あの宰相閣下は、オースティアンにご執心だったからねぇ。パルフェイドの時より、よほど執着していたように見えた。粘着か? まぁ、どっちにしろ、奴がジェムを拐ったってことで間違いないと思う」
「取り返さねば……」
「当たり前だろう? 君ならきっと探し出せるさ、シュークレール」
「そうだろうか……」
アガレットの言葉が、両手で覆っていたシュークレールの顔を上げさせた。アガレットは艶っぽくウインクして見せ、また杯を呷った。
「僕の家も古いが、君の家も古い。共に建国のときからある家なんだからね。君の優秀な息子たちに文献を調査させてくれよ。親父殿が書いた手記とか、ないのかい?」
「どうだろうな……」
「僕らは手一杯なんだよ、シュークレール。フィンの息子も、もう立派な騎士だし、僕らに言われなくたってジェムの味方をしてくれている。彼らに任せよう。いいよね。ウチも協力したいけど、娘はまだ子どもだし、危ないし……。文献も全部寄付しちゃったから、手記とか、探してはみるけど期待しないでくれ」
すべてを勝手に決めて勝手にしゃべるアガレットに、シュークレールは苦笑した。まったく昔と変わらない。
「では、そうするとしよう」
「話が早くて助かるよ」
「そろそろお開きにするかね」
「え〜、もうちょっと飲みたい……あ、いけない。そういえば、明日はアスナくんが来るんだった。早く寝ないと……」
「ああ、あの異世界からの少女か」
「うん。彼女、いいね。君はどう思った?」
いきなり話を振られて、シュークレールは記憶を掘り返した。印象に残っているのは、ハキハキと答える少女だ。
「なかなかに知見の深い少女だな。礼儀正しく、物怖じしない。さすがオースティアンが見初めただけあると思うが」
「そう……。僕にとっては、娘みたいな頼りない存在だよ。彼女だって不安でしょうがないだろうに、それでもこの国の危機に駆けつけてくれたんだ。こっちが礼儀を尽くさなきゃ、大人として恥ずかしい」
シュークレールは驚きに目をみはった。いつもふざけたことしか言わないこの男が、「大人として」などと殊勝なセリフを吐くとは。確かに言動は不真面目ながらも、仕事は真面目にする男なのだ、このアガレットは。だが、こんなにも肩入れしているとは思いもよらなかったことだ。
「明日は雨だな」
「聞こえてるよ、シュークレール」
「当たり前だ、聞こえるように言ったのだからな」
二人の間に火花が散る。
だがそれも、心から信頼しあっているがゆえのものなのだった。
※二十一部でドーナツさんが親父殿についてこう言っています。
「俺が世話になったのは主にあのひとの祖父にあたるお爺さん先生でさ、ちょっと、おおらかすぎるっていうか……まぁ、いい人だったよ。(後略)」
おおらかに見えていたのは、ドーナツさんが子どもだったからです。
※ほぼ横並びのお父さんズ、子どもの年齢はそれぞれ、
ドーナツさん 20
エクレア先生 18
ジャム 17
キャンディ 14
三十代後半とはいえ、ドーナツさんのパパ……。
たいそう結婚が早いひとでした。
ちなみに
ジャムのお父さん→パフェ
ジャムのお母さん→レモンカード
ドーナツさんのお父さん→ココアマフィン
エクレア先生のお父さん→シュークリーム
キャンディのパパ→ガレット
となっております。




