◇
わたしは……
▶【帰らない】
「わたし、決めた。帰らない。ゼリーさんに会いに行く」
「えっ!」
ソーダさんの驚いた声が上から降ってきた。やっぱり近くにいたんだね。
わたしは立ち上がって、スカートや髪の毛から砂を払い落とした。
「帰らないって? え?」
「もう決めたの。ゼリーさんに会って……、一発殴る!」
「殴るの!?」
「うん。だって今ハリセン持ってないし。一発ね。こう、拳でね」
「ダ、ダメだよアスナ。暴力に訴えちゃ! それにジェロニモはそんなこと望んでない」
「そりゃ殴られるのは望んでないでしょ」
何を当たり前のことを言っているのか。
わたしは思わずソーダさんの顔をじっと見てしまった。
「違う、そうじゃなくて! ジェロニモはね、アスナには無事に家に帰って、幸せになってほしいと思ってるんだよ?」
「そんなの勝手に思われても困る。それに、わたしがどうしようとわたしの勝手でしょ」
「そんな……」
「だって、わたしまだ告白してない。ゼリーさんに会ってちゃんと言葉にしてもらう。フラれるまでは諦めない」
「……こうなったら、仕方がない。アスナ、私の目を見て……!」
「……?」
言われるまま目を合わせて、そのまま見つめ合うけど……何も起こらないよ?
「ダメか……。君の魔力が強すぎて、揺らぎない状態の時にはまったく魔法が効かないや」
「殴っていいやつ?」
「暴力反対!」
いきなり魔法をかけようとするのも暴力なのでは?
と、まぁ、そんなことはどうでもいいや。ソーダさんが変なのは今に始まったことじゃないし。
「わたし、もう行くね。ソーダさんが協力してくれなくても、自分で探すからいいよ。コンちゃんなら助けてくれるかもしれないし、アイスくんのところに押しかけてもいいしね」
「本気なんだね……」
もちろん!
「そうか……。なら、協力するよ、アスナ。私もね、何がふたりにとっての最善なのか、わかりかねているんだよ、本当はね。私ではジェロニモの意志を変えられない……もう、どうしていいかわからないのさ」
「ソーダさん……」
そう言って、ソーダさんは寂しそうに笑った。結界のせいで何年も会えていなかったけど、ソーダさんはゼリーさんと仲がよかったんだもんね。あの村じたいがソーダさんの家みたいな雰囲気だったもん。きっと家族同然だったんだよね。
「ありがとう、ソダールさん」
「えっ!」
「え?」
「今、アスナが私の名前を呼んだ!?」
うん、呼んだよ。そんなに驚くことなの。
そりゃ今までさんざん炭酸飲料の名前で呼んできたけれども。
「嬉しいなぁ。珍しいこともあるんだね!」
「いいから、さっさと行こ」
へらへら笑っているソーダさんの腕を取って急かす。ソーダさんは風を巻き起こして、わたしを運んでくれた。
そこは、溶岩が固まってできたような場所だった。まるで火山がそのまま島になっているみたいな。遠くの方に木の陰が見えるけど、それ以外は、こっちに背中を向けて座っている赤毛の女の子ひとりきりしか見えない。
ゼリーさんはどこにいるんだろう?
探そうとしたそのとき、ソーダさんの方から突風が吹きつけてきた。
「わっ!?」
「ジェロニモ……!」
その横顔は、一瞬だけ強い怒りの表情をしていたように見えた。けど、風に目を塞がれて、顔を覆っている間にそれは消えて、代わりに深い悲しみの表情に変わっていた。
「ソーダ、さん?」
「間に合わなかった……。ごめん、アスナ。本当に、ごめんよ……」
「え……?」
意味はわからないけど、何だかとても、嫌な予感がした。胸がざわつく。わたしはゼリーさんを探すために一歩を踏み出した。
でもそんなわたしの気持ちを挫くように、背中を丸めて座っていた女の子が立ち上がって、わたしたちへ言った。
「どうして、アスナさんを連れてきたの。それだけはやめてって言われてたのに」
「面目ない」
「兄さんは失敗したの。元々、上手くいく見込みは少なかった。だからこそ、アスナさんには何も知らせずに元の世界に帰ってもらうはずだったのに」
「うん。ごめん。良かれと思って……。ジェロニモがこんなにすぐ火口に行くなんて思ってなかったんだよ」
待って。
失敗って何?
火口って? わたしに秘密で何をしてたの……!?
「どういう、ことなの……」
「アスナ、その」
「ジェロニモさんはどこ!? 火口ってどういうことなの!」
ソーダさんに詰め寄るわたしを、赤い髪の女の子はすごく冷静な声で呼び止めた。
「兄さんは死んだの。もう、いないのよ」
息が、止まったかと思った。
足元が揺らいだわたしを、ソーダさんが支えてくれる。
「ごめんなさい。でも、気持ちを静かに保って、聞いて? その大きな魔力を暴走させてしまったら、アスナさん自身も危ないから」
「わたしのことは……!」
「アスナ。クロッカまで、ジェロニモの妹まで巻き添えになってしまうということなんだよ」
「……!」
そうだ、妹さんだ。
彼女が、火の精霊に弟子入りしたっていう、ゼリーさんの妹なんだ。
わたしはぐっと拳を作って、わめきだしたいと叫ぶ、胸の中の嵐を抑え込んだ。
それを見て、クロッカちゃんとソーダさんが交互に補い合うように話してくれた内容は、聞けば聞くほどゼリーさんの死を裏付けるものだった。だんだん頭が納得していくのを打ち消すように、それでもわたしは首を横に振り続けた。
わたしが認めなければ、まだ、あのひとは生きていてくれるような、そんな気がして……。
「アスナ。君は自分の世界に帰った方がいい。火の精霊、ジフ・オンとクロッカが、君の帰り道を探してくれたんだよ。だから、だから……帰れるんだよ、アスナ」
「帰る……」
ゼリーさんが死んだのは、シャリアディースと契約したことで繋がった魔力の流れを断ち切るためだった。そう、あの、呪いを解くため。ゼリーさんはこれからもずっとアイツの言いなりになるのをよしとしなかった。自分の人生を取り戻そうとしたの。
でも、それにはアイツの魔力よりも強い力が必要で……それを得ようとして、ゼリーさんは……!
「そうよ。帰れるなら、帰るべきよ。だって、家族がいるんでしょう?」
「でも……」
「帰って、顔を見せてあげて。家族を大事にしてあげて。……兄さんは、自分のために死んだのよ。一生隠れて過ごすことだってできたかもしれないのに。それは嫌だと、自分で自分の道を決めたの。ようやく会えたのに。もう一生会えないと思ってた兄さんと、ようやく会えたのに! あのひとは家族より自分の生き方を取ったのよ!」
「クロッカ、よすんだ」
「黙ってよ! アタシはこれ以上、誰にも死んでほしくない! アスナさんには、兄さんの後を追ってほしくないのよ!」
……これまで、ずっと肩を怒らせてきた彼女は、冷静に話をしていた彼女は、本当はすごく傷ついてたんだ。ゼリーさんと同じで、感情があまり表に出ないだけで。
わたしは震えるクロッカちゃんの手を取って、両手で包み込んだ。
「大丈夫。わたしは、死んだりしないから」
「……!」
大粒の涙が、頬を伝って落ちていく。わたしたちは抱き合って、しばらく泣いていた。
わたしは、クロッカちゃんと一緒にゼリーさんの村に戻った。色んな話を、たくさんして、たくさん抱きしめてもらった。それから、ジルヴェストにも戻って、事情を説明して、お別れをしてきた。みんな、優しくて……わたしはきっと一生分の涙をここで流したと思う。
シャリアディースは、結局あれから一度も姿を現さなかった。アイスくんも。
わたしは時の精霊、キョウの前に連れて行かれて、自分の世界に送り帰してもらうことにした。
『じゃあ、帰りたい場所を強く思い浮かべるんだよ。時間もね。だいたいでもいい、強い気持ちが大事だから』
「はい……」
足元に、銀河みたいな渦巻きができていく。
ああ、この世界ともお別れなんだ……。
目を閉じて、気がつくとわたしは通学路の真ん中に立ち尽くしていた。
「これで、よかったのかな……」
不思議と涙は流れなかった。
いったい、どこですれ違ってしまったんだろう、わたしたち。
息苦しさを抱えたまま、わたしはそこに立ち尽くしていた。
失恋END『芽吹くことのなかった恋の種』




