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わたしは……
▶【帰る】
わたしは、自分の家に帰ることにした。
もう、この世界のどこにも、わたしの居場所はないもの。
わたしは空を見上げたまま、ソーダさんに話しかけた。
「わたしね、帰りたい。帰れるかな……」
「帰れるとも。君が、望めば」
「すぐに?」
「少しだけ、かかるかもしれないけど」
珍しく歯切れの悪い言い方に、ついつい吹き出してしまう。
「ふふっ、なんか、変な感じ!」
「そ、そうかい?」
「うん。だって、そんなソーダさん見たことない」
「そうだったかなぁ」
ソーダさんはボヤきながら、わたしの隣にやってきて、同じように寝転んだ。ざり、と砂が音を立てる。ゼリーさんのと良く似た色の髪の毛がわたしの視界にちらついた。
「……ジェロニモのこと、つらいよね。ごめん」
「どうして、ソーダさんが謝るの。ソーダさんは、悪くないでしょ」
わたしはソーダさんに背中を向けながら言った。そう、ソーダさんは何も悪くない。ただ、預かった伝言をわたしに伝えてくれただけ。それはちゃんとわかっている。わかってる、つもりだ。
ソーダさんの手が、ポンポンとわたしの頭を軽く撫でた。
「ジェロニモに会いたいという、アスナの気持ちを無視したことに変わりはないよ。だから、ごめん。君には笑顔でいてほしいのに……。もちろん、ジェロニモにも。それなのに、どうしたらふたりが幸せになれるのか、何が最善なのか、私にはわからないんだよ……」
「最善……」
「そうだよ。君は別の世界の人間だ。とても強くて大きな魔力を持っているけど、それはこの世界にとって有益なだけで、君自身には何の得にもならないじゃないか。変なことに利用される前に、帰れるなら、帰ったほうがいいに決まってる」
確かに……。
ジルヴェストでも、ギースレイヴンでも、わたしの魔力が欲しいっていうひとはたくさんいた。ジャムとの結婚も、わたしの魔力目当てでゴリ押ししていたひとはいたハズだよね。
わたしの魔力なのに、わたしには使えない。それどころか狙われるだけ……。そんなの、いいことなんて、ひとつもないよね。
「君を家族のところへ帰してあげたい。君に幸せになってほしい。ジェロニモも、きっとそう望んでいるはずさ」
「そう、だよね。わたしも、そうだと思う。……正直ね、わたし、まだ何も決めてなかったの。ただ、会いたい、好きだって伝えたいと思っただけで。だってわたしたち、何も約束してなかった。わたしたちの間には何もなかったの。なのに……。あは、また涙が出てきちゃった」
わたしは慌てて目許を拭った。背中を向けてるから、ソーダさんには見えてないとは思ったけど、なんとなく、咄嗟に。
そんなわたしを、ソーダさんはいきなり背中から抱きしめてきた。ぎゅっと、力強く。
「アスナ!」
「きゃっ!?」
「ああ、許してほしい……! すまないね。君をこんなにも苦しめることになるなんて!」
「ちょ、ちょっとソーダさん! 苦しいよ……」
「アスナ、君の苦しみを取り除いてあげたい。悲しい記憶はすべて消して、今すぐどこか誰も知らない場所へ拐っていけたら……! そうすれば君は、笑顔を取り戻してくれるだろうに」
冗談なのか本気なのか。いつもみたいによくわからないことを言うソーダさん。でも、その声はどこか真剣だったかもしれない。
つい、それもいいなぁ、なんて思ってしまう。
元の世界に戻れるとしても、今すぐというわけにはいかない。ソーダさんも言っていたように、何かしら手順が必要になるだろう。それに、先生やジャムときちんとお別れもしなくちゃいけないし。先生は特に、お世話になったもの。ゼリーさんとのことを知りたいだろうし。
――ダッテ、ソンナ煩ワシイコト……。
ああ、でも……。
そうしたら、ゼリーさんのことも思い出せなくなっちゃう。
あの声も。
わたしだけに向けられた笑顔も。
「……忘れたく、ない」
「え?」
「わたし、ゼリーさんのこと忘れたくないよ!」
わたしはソーダさんに向き直って腕を押し返した。驚いたような瞳と目が合う。
「アスナ……」
「たとえツラくても、ゼリーさんのことを忘れるなんて嫌! ホントはまだ諦めたくない……会いたい……! お願い、ソーダさん。ゼリーさんに会わせて!」
「それは、できないよ」
「どうして!?」
「だって、だって、ジェロニモがそれを望んでないもの……」
「!」
胸がズキンと痛んだ。
涙が勝手にあふれてくる。
どうして……!
想いを伝えることすらできないままで、帰れなんて酷すぎる! わたしは、フラれることすらできないの……?
気持ちを受け止めてすらもらえないの……!?
「うっ……うう〜〜〜っ!」
「泣かないで、アスナ。魔力が不安定になっているよ。お願いだから、落ち着いて」
「いや! 離して!」
「アスナ……」
「もうソーダさんには頼らない! わたしひとりででも、ジェロニモさんを探し出してみせる!」
「っ!」
一瞬、ソーダさんの顔にギュッと力が入って、怒ったような、それとも泣くのをこらえたような表情になった。掴まれている手首が痛い。
その手が急に離されたと思ったら、わたしの顎に添えられていて、ぐいと掴まれて顔を上向きにさせられた。
「なに……」
「お眠り、アスナ。そしてすべてを忘れるといい。悲しみも、痛みも、すべて。そしていつか、いつか必ず元の世界へ帰してあげるからね」
怪しげな光を放つ瞳に射すくめられるように、わたしの体は動かなくなってしまった。嫌とも言えないまま、降りてくる唇に息を塞がれる。わたしの意識は、闇へ溶けていった……。
END『記憶を喪って』




