囚われる
ハッと気がついたとき、わたしは温かい何かにもたれかかっていた。椅子に座ったまま寝ちゃってたみたい。肩にはわたしのものじゃないジャケットがかけられている。
そおっと体を起こして周りを見てみると、真横にいてわたしに肩を貸してくれていたゼリーさんの赤い瞳と目が合った。
「あ……」
「起こしたか」
「ううん。ジャケット、ありがとう。寝ちゃってごめんなさい」
「いや」
ゼリーさんは小さく首を振って、それから少し迷ったように付け加えた。
「気にするな。疲れが出たんだろう」
「ふふっ、ありがとう」
「ん……」
ゼリーさんは咳払いをした。喉でも詰まらせたのかな。ジャケットを返そうとしたら、「必要ない」って止められてしまった。ありがたくそのまま羽織らせてもらう。
「そうだ、カーリー先生は?」
「一度戻った。今夜ここに泊まる準備をしてくるそうだ」
「そう……。お医者さまは、何て?」
「…………」
ゼリーさんの首が左右に振られる。やっぱり、今すぐ先生の目が覚めて、元の生活に戻れるような解決方法なんて、ないんだね。当たり前のことだけど。
ゼリーさんの膝の上、置かれていた手にそっと触ると、指を捕まえられてゆるく握り込まれた。温かい手。引っ込めることもできたけど、何となく、そのままで。
会話もないのに、それが全然嫌じゃない。お日さまに温められた病室でふたり、寄り添ってた。
でも、目が覚めちゃったらお腹も起きちゃったみたいで、ロマンチックな感じは長くは続かなかった。そんなに大きな音じゃなかったハズなんだけど、ほら、病室がすごく静かだったから!
ううっ、自分の体がうらめしいっ!
こんなお腹空くまで寝てるなんて、も〜〜っ!
「何か取ってくるが、希望はあるか?」
「うぅ……今、何時?」
「三時過ぎ、か」
「そんなに!? う〜、今は甘い物よりガッツリ食べたい気分……。でも、ここで食べてもいいの?」
「構わない。バゲットサンドでも持ってこよう。……もしかすると、アルクレオも美味そうな匂いにつられて起きてくるかもしれないしな」
椅子から立ち上がって、真顔でそんなことを言うゼリーさん。思わず笑っちゃったけど、さすがに冗談だよね?
「でも、ホントにそうなったらいいなぁ。自然と目が覚めてくれたらいい」
「魔力は、当て続けている。そのうち目覚めてくれると信じるしかない……」
「うん……」
「それに、ただの思い込みかもしれないが、アスナが側にいるとアルクレオの顔色が良くなった気がする。だから、有り得ない話じゃないと思う」
「ホント? じゃあ、わたしの願いが通じたのかも! ううん、それともわたしの魔力が少しは先生に伝わったのかも?」
「すまない。……何も、打ち明けられなくて」
わたしは思わずゼリーさんを見上げていた。
その声に苦しそうな響きが混じっていたから。
そして、思った通りゼリーさんはつらそうな表情を浮かべていた。詳しい事情を話せないのはシャリアディースに騙されて不利な契約を結んじゃったからだろうし、それがなくたってこんな特殊な緊急事態、ゼリーさんに予測できたり解決できたりするハズないじゃない。
「自分を責めないで。今、オルさんたちがシャリアディースの居場所へ向かってる。ちゃんとぜんぶに説明がつくようになるよ。シャリアディースと話して、先生を助けてもらおう? 『嫌だ』なんて絶対に言わせないんだから!」
ゼリーさんの顔が優しくなった。これは「ありがとう」っていう表情だ。そうだよ、わたしが欲しいのは「すまない」じゃなくて、「ありがとう」なんだ。大事なことは、ちゃんと言葉で聞きたい。期待を込めて見返すと、ゼリーさんが口を開いた。
「アスナ……」
「失礼するぞ」
そのとき、病室のドアが勢いよく開いて、マフィンさんが現れた。驚いているわたしたちに構わず、マフィンさんはゼリーさんを押しのけてわたしの目の前に立つ。
「えっ、何? 何なの?」
「一緒にきてもらうぞ、婚約者殿」
「え……」
ドキッとする。
今朝、ヴィークルに乗ってジャムとシャリアディースを探しに行ったハズのマフィンさんが、どうしてここにいて、わたしを呼びに来たの? ジャムは? そしてシャリアディースは?
王都まで帰ってきてるってことは、普通に考えればジャムを無事見つけられたってことだと思うんだけど、それならどうしてわたしは呼ばれてるんだろう。それも、「婚約者」っていう肩書のままで。それに、ジャムの使いならこんな乱暴に入ってくることなんてあるかな。だって、ジャムはすごくよく気の付くヤツなのに。
「何か、あったんですか? わたしを呼んでいるのは、ジャム?」
「いや、そうではない。だが、今すぐに私と来てもらおう。事情は向こうで説明する」
硬い声に厳しい表情……ドーナツさんによく似ているのに、その青い瞳には温度が感じられない。
「あの、今言ってください。ちゃんと聞いてからじゃなきゃ、わたし、ここを離れません」
「…………」
「…………」
「……いいだろう」
睨み合いみたいになって、結局はマフィンさんが先に目を逸らした。わたしだって必死だったんだよ。だって、ここで負けたら絶対、目的地に着くまで何も教えてもらえそうになかったもん。マフィンさんは相変わらず事務的な冷たい声で言った。
「陛下は無事に保護したが、シャリアディースには逃げられた」
「!」
「陛下は今、眠りについていらっしゃる。ここにいるギズヴァインとおそらく同じ症状だ」
「そんな……!」
ジャムが見つかったのはよかったけど、まさかジャムまで眠らされてるなんて。しかもシャリアディースには逃げられてるって、それじゃあ、どうしたらいいの? 混乱するわたしに、マフィンさんが続けて言う。
「だが、奴は陛下を目覚めさせるための方法を言い置いて行った。奴は言った。『真実の愛』のみが陛下を眠りから覚ますだろう、と」
まるで、ほっぺたを引っ叩かれたような衝撃だった。
全身から一気に血液が引いていくような、そんな感覚。
いっそ気絶できたらよかったのに……。
「さあ、婚約者殿」
「アスナ……」
マフィンさんとゼリーさんがわたしを覗き込んでいる。どうしよう、なんて言えばいい?
だって、わたしには無理だよ……。わたし、ジャムにそんな気持ち、抱いたことないもの……。




