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▶【挨拶は後回し。できるだけ関わらない方向性で】
わたしはちょっと考えて頷いた。
「じゃあ……やっぱり避ける方向で」
「……そうしてくれ」
そう言ったゼリーさんはホッとしているようだった。
荷物をまとめて、ソーダさんを探しに行くことにした。わたしの荷物はリュックサックひとつにまとまっているから、いつソーダさんと出くわして「今すぐ行こう!」って言われても安心。
逆に、ゼリーさんはまたここに来る前提で、荷物は全部実家に置かせてもらっていた。いいなぁ。でもわたしの場合、この着替えを置かせてもらってたら、向こうで買い足さなきゃいけなくなるもんなぁ。
にこやかに送り出されたわたしたちは、村を回りながら海岸の方へ向かっていった。山ひとつ、虫歯みたいにポッカリ開いた巨大な穴の中にある村は平和そのもので、漁を終えた村人たちが帰ってきて思い思いにくつろいでいる。その中にソーダさんはいなかった。
地下へ移動して広場や食堂に行ってみても、やっぱりいない。ソーダさんなら、こういう場所でギターでも弾いてるかなって思ったんだけど、もしかして仕事が忙しいのかな。
そこも通り抜けて海岸へ出る。
誰もいない砂浜で、わたしは叫んだ。
「ソーダさ〜〜ん!」
波が砕けてわたしの声を掻き消す。
しばらく叫んでみても答えがなかったから、わたしは諦めてゼリーさんに向き直った。
「ダメだった〜。聞こえてないみたい」
ゼリーさんは黙って頷いて、わたしをねぎらうように笑った。……欲しいのは笑顔じゃなくて、協力なんですけどね? ゼリーさんも手伝おうよね。少しは。
ほんの少しの不満。わたしはほっぺたを膨らませてそっぽを向いた。
「あ〜あ! せっかく海に来たのに、泳げもしないなんてな〜! 足だけでも浸けちゃおっかな」
「いいんじゃないか」
「えっ?」
驚いて振り返ると、ゼリーさんがおかしくて仕方がないって感じで微笑んでいた。……もう。いつの間にか、いつも無表情なこのひとの笑顔の種類までわかるようになってるとか。自分で自分が信じられない。けど、嫌な気はしなかった。
わたしたちは靴を脱いで並べると、波打ち際に向かって走った。ぱしゃん、と踏み抜いた海は冷たくて気持ちいい。それなのに、ゼリーさんたら棒立ちなの。あんまりにもボーッと地平線を見てるから、つい、イタズラ心で水をかけちゃった。
「!」
「あははっ! ビックリした? ボケーッとしてるからだよ〜〜」
「…………」
「あっ、ちょっ、タイムタイム! その本気の構えダメーッ! 濡れちゃ……きゃ〜〜!」
わたしの悲鳴にゼリーさんが悪い顔をして笑う。まったく! こうなったら、わたしだってやってやるんだから!
「もう! お返しだよ〜っ!」
「当たらないぞ」
「やっ、ずる〜い!」
ゼリーさんの卑怯者〜! わたしの射程外から水飛沫を飛ばしてくるんだから〜!
そんなわけで、気分転換にちょっと遊ぼうと思ったら存外本気になってしまって、思いっきり楽しんでしまった。息を切らせて砂浜に座り込むと、わたしのすぐ横にゼリーさんが腰掛けてくる。
リュックからフェイスタオルを取り出す。多めに持ってきててよかったな。ゼリーさんにも新しいのを渡すと、素直に「ありがとう」と受け取ってくれた。
ふざけすぎて濡れてしまった髪の毛を掻き上げながら、タオルドライしていくその仕草に、つい……、見とれてしまった。
あんまりマジマジと見ていたせいか、ゼリーさんがわたしの視線に気がついてこっちを見た。ドキンと心臓が大きく跳ねる。ゼリーさんはわたしの方へ覗き込むようにして顔を寄せてきて、それから、唇に温かいものが触れた。
ちゅっと触れるだけのキス……それでも、キスには違いない。
「どうして……」
思わず唇を指で押さえた。
こんな、いきなり。何も言わずにキスするなんて! こら、不思議そうな顔をするんじゃない!
「もう! なんでキスしたの!? 勝手にするなんてルール違反だよ!」
「すまん」
「ファーストキスだって知ってたクセにぃ……許せない……!」
怒った顔をしてみせると、ゼリーさんがわかりやすくうろたえる。それがあんまりにもおかしくて、わたしはつい笑ってしまった。
「ちゃんと言葉で言ってくれなきゃ! そうしたら……、許してあげる」
「アスナ」
真剣な声と表情で名前を呼ばれて、わたしも姿勢を正した。本当に、わたしのことが好きなのかな。もしも好きって言われたら、わたし……。
「アスナ……好きだ」
「わたしも……好き」
「もう一度、やり直してもいいか?」
「うん……」
わたしたちはお互いに視線を交わして、それからゆっくり顔を近づけていった。海辺でキスなんて、なんだか少女漫画の主人公みたい。こんな風に、急接近する関係も、ドキドキする心も。
二度目のキスは優しくて、ロマンチックで、目を開いたときに思わず照れ笑いが出た。ゼリーさんの赤い瞳がキラキラ輝いてる。
何か言わなくちゃ……。
そう思って口を開いたとき、海の彼方から遠雷が聞こえた。パッと思い浮かんだのは、ヴィークルでシャリアディースを探しに行ったドーナツさんたちのこと。
「ヤダ……大丈夫かな……」
「うぐ……!」
「え?」
ぐらり、とゼリーさんの体が揺れて、前のめりに倒れていった。苦しげに胸を押さえている。口許からは呻き声と一緒に、真っ赤な血がこぼれていた。
「きゃあっ! ゼリーさん!」
無我夢中で助け起こそうとして、できなくて、どうしたらいいかもわからなくて……。わたしには助けを求めることしか思いつかなかった。
「待ってて! 誰か呼んでくるから!」
「ム、ダだ……、それよりも、側に、いてくれ……」
「そんな……だって、このままじゃ……」
ゼリーさんが、死んじゃう……!
「助けて……誰か! ソーダさん! ……コンちゃん! アイスくん……誰か……助けて……」
視界がどんどん歪んでいく。砂浜に膝を埋もれさせて泣きじゃくるわたしに、ゼリーさんは優しく笑いかけて、温かな手で頬を撫でた。
ずっと苦しそうなのに、今だってきつく胸を押さえているのに、どうしてそんな風に笑えるの? 血の気のない、白くなった顔。そこに浮かぶ汗の珠を、わたしはタオルでそっと吸い取った。
「すまない……。まさかこんなに早く、こうなるとは……」
「しゃべらないで。どうしよう……どうして、こんな……」
「アスナが気に病むことは、ない。これは俺自身の責任……ぐ……! だが、頼む、家族に……伝えてくれ。愛していると。そして誰よりも、アスナ……君を愛している……」
「ジェロニモさん! やだ……やだぁ! 置いて……いかないで……!」
絡んでいたはずの指が、力を失ってすり抜けていく。こぼれていく……。彼の、生命も……。
わたしの身体の内側から、何かが暴れだしそうな気配がした。このままじゃいけない、そんな焦りと、もうどうにでもなればいいという投げやりな気持ちが交互にやってくる。
ああ、でも。抵抗してどうなるっていうんだろう?
何もかも、もう、元には戻らないっていうのに。
膝下に力なく横たわる彼を見て、わたしは重く息を吐き出した。そして、すべてを投げ出してしまった。
END『貴方のいない世界なら』




