試練
先生が、生きてるかもしれない……!
すごく細い、蜘蛛の糸みたいな希望だけど、それでもわたしには充分だった。真っ暗に思えていた視界が明るくなるくらいには。
「どうなんだ、ディース。オールィドの言うことは事実なのか?」
「……私にも判断がつかないな。先日までならともかく、ここまで同化が進んでしまっていると、いくら私でも不可能だ」
「そんな……」
「待った。そもそもどうやってアスナと木を分離させたんだ? 実際にやって見せてもらわなくちゃ、ダメだと納得いかないぜ」
ドーナツさんは諦めなかった。
シャリアディースに「実際にやって見せてみろ」と食い下がる。確かに、「無理だ」とか「できない」とか、全部シャリアディースが言ってるだけだもんね。
マカロンさんも頷いて言う。
「私も気になるな。いったいどんな魔法を使った? お前にあって私にはなかった手段、知っておきたい」
「…………」
シャリアディースは苛ついたような表情を見せた。けど、すぐにため息を吐いた。自分の味方がひとりもいないことに気づいたんだろう。
シャリアディースが手を振ると、何もない空間からシャボン玉のような泡に包まれた、ひと振りの剣が出てきた。どよめきが広がる。
「俺の剣! 海で失くしたとばっかり思ってたのに……」
「貴様の……? つまり、シャーベを殺したのは貴様か……!」
「落ち着け、カロン! 今はそれどころじゃないだろ?」
「……フン。確かに、殺させたのはシャリアディースであって、その男の意思ではない、か」
あの、剣……。
鞘が無くなってしまって、剥き出しの刃が陽の光に照らされて光っている。その刃の白さにハッとして、目が離せなくなってしまった。どこかマナの実を思わせるような、虹色の光彩……。
触りたい……。
あの剣が欲しい……。
「この剣は扱いが難しいのだ。アスナを見ろ、まだ近くに寄せてもいない内から魅了されているではないか。精霊を惹きつけ精霊を断つ刃……異界から迷い込んだ禍々しき剣だ」
「アスナ、しっかりして! 飲まれてはダメよ!」
「っ!」
キャンディに揺すぶられて正気に戻る。
周りの会話は耳に入っていたのに、頭の中はあの剣に触りたいっていう思いでいっぱいだった。怖い……わたし、いつの間にか操られそうになってた?
ショックを受けているわたしをよそに、ドーナツさんたちの会話は続いていた。
「親父からもらった剣にそんな力があったなんて……」
「なるほど、精霊を断つ剣だからこそ、暴走した魔力とアスナを切り離すことができたのだな」
「なら、もしかしてあのひとをこの樹木の中から助け出せるかな……。どうだろう、カロン」
「やってみないことには、わからない。ただ……悔しいがシャリアディースの言う通り、同化が進みすぎている今、分離はできないかもしれない」
「そんな……」
「フン、だからさっきからそう言っている」
「コイツ!」
「もう、ちょっとやめてちょうだいよ! アスナちゃんと兄さんのことが最優先でしょ!」
「ディース、少しの間その口を閉じろ」
「やれやれ。八つ当たりはやめてもらいたいな」
シャリアディースの憎まれ口に、皆の口から怒りの声が飛び出す。加速する言い争い……こんなことしてる場合じゃないのに。
わたしは、シャリアディースが空中に浮かばせていたドーナツさんの剣を取り出した。柄を握ると、不思議と軽くて、わたしでも充分に扱えそうだった。
「アスナ!」
「大丈夫よ、キャンディ」
わたしはそれを、先生を飲み込んでいる木に向けた。
わたしの魔力……。
「先生を、返して!」
刃を食い込ませた瞬間、激痛がわたしの体を襲った。悲鳴を上げて仰け反るわたしを、誰かが支えてくれる。
「これは……まだアスナと繫がっているというのか!」
「これじゃ、中にいるギズヴァイン先生を救い出すのは……」
アイスくんがつらそうな声で言う。
ダメだよ……先生を助けてもらわなきゃ!
「続けて! わたしが痛いだけなら、先生は大丈夫かもしれない」
「アスナちゃん……」
「わたしのことはいいから、続けて。早く!」
でも、誰も動こうとしない。
誰も助けてくれないのなら、わたしがやるしかない!
わたしは必死に手を伸ばした。
でも、その剣の柄をわたしより先に取った手があった。
「ドーナツさん……」
「任せろ。加減しながら切るなら、経験者の俺がやった方がいい」
「お願い……」
「ああ」
反対の声もあった。
止めようとするひともいた。
けど、ドーナツさんはわたしの意志を尊重してくれた。
痛み。焼けつくような。
悲鳴を上げる体と心。
それでも……!
「いかん、このままでは……。アスナ、私を信じられるか?」
すべての音も感覚も置き去りになって、わたしの名前を呼ぶいくつもの声が、まるで水中で音を受け取っているみたいに歪んで聞こえていた。その中で、マカロンさんの声だけがハッキリと耳に届いた。
「失敗すればおそらくすべてを失うだろう。だが、痛みに精神を摩耗させられている今のやり方よりは、お前にとっては楽なはずだ。どうする? やってみるか?」
そんなの、やるに決まってる。
痛いのに耐えられないわけじゃないけど、痛くないなら、その方がいい!
「いいか、決して諦めるな。必ず見つけるんだ。わかったな?」
わかった。
先生を必ず見つけ出す!
ありがとう、マカロンさん。
「お前に助力すると約束したからな……。さぁ、行け、アスナ!」
わたしは真っ暗な空間へと落とされた。
落下していく感覚に心臓が潰れる。
「きゃああああああ!」
叫んだのもつかの間、わたしは薄暗い森の中で、地面に座っていた。ギュッと首を縮めた姿勢のままで。
「あ、れ……?」
キョロキョロと辺りを見回す。誰もいない。
わたしが座っていたのは、舗装はされていないけど、ちゃんと整備された道の上だった。もしかして、この先に先生がいるの……?
わたしは、立って歩き出した。




