愛しさがあふれて
なぜか先生の屋敷から現れた蜂蜜くんに、わたしは驚いた。どうしてこんな時間に、こんな所にいるんだろう。
ゼリーさんがあの奇妙な拳銃のようなものを取り出して、蜂蜜くんに手渡す。ああ、あれって蜂蜜くんのものだったんだね。
「どうでしたか、実際使ってみて。少しクセがあるんですよね、コレ」
「役に立った」
「それは何よりです」
わたしをよそにそんな会話が繰り広げられる。詳しく聞こうと思ったけど、そのとき、蜂蜜くんと同じところから出てきたカーリー先生がわたしに話しかけてきた。
「アスナちゃん、無事だったのね! よかったわ!」
「カーリー先生、アルクレオ先生は? 先生に会わせて」
カーリー先生は少し悲しそうな顔をして、わたしをお屋敷の中に入れてくれた。
いつもはおしゃべりなカーリー先生が押し黙ったままで廊下を歩いていく。わたしは何となく嫌な予感を覚えながらそれについていった。二階に上がってある部屋の前に行き着くと、カーリー先生はノックをして静かにドアを開けた。
「先生?」
「兄さん、寝てるみたいね。……ホントならこのまま、兄さんの言いつけ通りにアスナちゃんを元の世界に送り帰すのが筋なんでしょうけど……」
「えっ! わたし、嫌です! このまま帰ったりなんてしません!」
「でも……風の精霊様の言う通りなんだとしたら、今夜を逃せばアスナちゃん、アンタ帰れなくなっちゃうかもしれないのよ?」
「それは……」
わたしは言葉に詰まった。
帰れると教えてもらったとき、確かに安心した。これでようやく家族の顔が見られるって。友だちとまた会えるんだって。この世界とお別れする寂しさはあったし、急なことで戸惑ったけど、でも、ホッとしたのは紛れもない事実だった。
けど、シャリアディースから話を聞いて、ソーダさんからも事情を聞かされて、先生の体の問題を知った今、このまま自分だけ家に帰ることなんてできなかった。わたしのせいで先生は苦しんでいるのに!
「わたし、帰りません。たとえ二度とチャンスが来ないとしても、わたしは……アルクレオ先生の側にいたい」
「アスナちゃん……」
カーリー先生は今にも泣き出しそうなくらい顔を歪めていた。困らせてるのはわかってる、でも、わたしはやっぱり先生の側にいたい。先生に同化してしまった植物をどうにかしてあげたい。だって、あれは元々わたしが抱えていたものだったんだから。
先生とわたし、ふたりとも助かる方法を見つけ出さなくちゃ。もしそれで元の世界に帰れなくなっちゃったとしても……それでも、わたしは……!
「わたし、もう決めたんです。たとえ先生に怒られても、わたしはどこにも行きません」
「……そう。わかったわ。兄さんについててあげてくれる? アタシはちょっと、これで失礼するわ……」
「カーリー先生、心配かけてごめんなさい! アル先生のことも……わたしのせいで……」
「それは違うわ。アスナちゃんのせいじゃない、それは絶対よ。そんなこと言わないでちょうだい。逆に、罪悪感だけでこの世界に留まろうとしてるんだったら、それこそ怒るわよ、アタシは!」
わたしをキッと睨みつけるカーリー先生。でも、それは優しさから。
ここでわたしが怖気づいて、帰りたいのに帰れなくなっちゃったら、可哀想だと思ってるんじゃないかな。カーリー先生は本当に優しいね。優しすぎるくらいだよ。
「……ありがとうございます。でも、わたしは大丈夫です。ここに残るのは、自分が後悔しないためだから。わたし、アル先生にまだ伝えてないことがたくさんあるの。先生の体を治したい気持ちはあるけど、それはつぐないのためだけじゃない。わたしが、元気になった先生と一緒にいたいからなの。先生の身代わりにわたしが寝たきりになることとか、考えてないから大丈夫だよ!」
「そう……。それなら、いいのよ。じゃあ、下にいるからいつでも降りてきてね」
「はい!」
先生とふたりきりになってしまった……。
眼鏡を外している先生の寝顔は、前にも見たことがある。あのときは病院のベッドでだったけど、状況は今とそんなに変わらないかも。少し幼い印象の先生は、年齢相応の男の子に見えた。
「ふふっ、眉間にシワができてる……」
そっと撫でてみる。
「う~ん……」
「あ」
ちょっとドキッとしたけど、先生は起きなかった。わたしはホッとして、ベッド脇の机の方へ移動した。椅子を借りて腰かける。机の上は整頓されていて、今は封筒がひとつ置かれているだけだった。少し気になって手に取ると、それはわたし宛だった。
封はされていない。
わたしは恐る恐る中身を確かめることにした。
『親愛なるアスナさんへ
何よりもまず、アスナさんの体の具合が回復したこと、心から安堵しています。
そして、こんな形でしかお別れできないことを、どうか許してください。
あなたの元気な笑顔をもう見ることができないと思うと、とても寂しく感じます。
ですが、ご家族の下へ帰れるのですから、私にとっても喜ばしいことですね。
どうか元の世界に戻られても、元気でいてください。
たくさん勉強して、ご家族を大切にしてください。
たしか、あなたの世界でも成人の節目は家族で祝うのでしたね。
どうかその日を笑顔で迎えられますように。あなたならきっと立派な淑女になれます。
あなたには幸せになってほしいのです。
素敵な恋をして、愛を知ってください。
新しい家族を作って、笑顔のあふれる家庭を築いてください。
あなたの幸せを信じることで、私もまた幸せになれるでしょう。
祈りと愛をこめて
アルクレオ・ギズヴァイン 』
熱い涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
先生は、どんな思いでこれを書いたんだろう。
シャリアディースの水盆で覗き見たときの先生は、すごく苦しそうにしながら机に向かっていた。きっとこれを書いていたんだと思う。つらい体で、恨み言も言わずに、わたしには何も知らせず帰らせようとしてたんだ。
わたしが心配しないように。
わたしが後悔を残さないように。
わたしの幸せを願う言葉に胸が締めつけられる。
先生こそ、幸せにならなくちゃいけないひとだよ!
でも、そんな先生だからこそ、わたしは……!
「先生……好きです……!」
わたしは手紙をそっと抱きしめた。




