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▶【行かない。行くわけない】
わたしは、秒で即決して返事をした。
「すみません、無理なのでそう伝えておいてください」
「えっ、そ、そんな……どうしても無理でしょうか」
「無理ですね」
「……宰相閣下の頼みなんですよ?」
「なおさら無理ですね」
「何故っ!?」
食い下がる男のひとをメイドさんが追い出してくれて、やっと静かになった。もらった手紙を持て余していると、それも引き取ってくれる。
「それにしても、シャリのやつ、帰ってきてたんだ……」
「えっ、シャリアディース様ですか?」
「あっ、うん。ジャム……国王陛下はどうしてるのかなって思って」
その答えはメイドさんが満面の笑みで答えてくれた。
ジャムが帰ってきたこと、海で暴れていた海竜が退治されたこと。お祝いのパーティーがどんなに豪華だったかも。
「よかった……」
わたしが寝ている間に、色んなことがあったみたい。ギースレイヴンを苦しめていた海竜もいなくなったし、これからはクリームくんの国とも仲良くできるかな? それも含めて、ジャムとゆっくり話したくなった。
お風呂の支度を始めるから部屋にいてほしいと言われて、わたしは大人しく二階に戻った。寝るだけだった最初の部屋には、ローテーブルとソファ、それに本棚なんかがある部屋が続いていて、わたしはそこで待つことにした。
しばらくして、控えめなノックが聞こえてくる。もう支度が整ったのかと思うわたしの耳に、先生の声がした。
「アスナさん、いらっしゃいますか」
「あ、先生! 今、開けますね」
「いえ、そのままで聞いてください。今夜、あなたを元の世界に送り返します」
「えっ、そんな、急に……」
「今夜でないとダメなのです。支度を整えますから、誰にも知らせず、待っていてください」
「待ってください。わたし、まだ誰にもお別れとか……」
「申し訳ありませんが、諦めてください。……後で迎えに来ます」
「先生!」
開けようとしたドアは開かなかった。鍵をかけられてる?
「先生!」
返事はもらえないまま、夜になった。わたしは鍵を開けて入ってきたメイドさんに、室内にあるお風呂に案内されて身支度をした。用意された服を着て、差し入れされた夕食を摂って。でも、半分も食べられなかった。
いきなり帰ることになって、さよならも言えないなんて……。
納得はいかないけど、先生の決めたことだからきっと何か理由があるんだ。
わたしは部屋の中で見つけたレターセットに、みんなに宛てて手紙を残すことにした。
先生には直接伝えられるから、それ以外の全員に宛てて。一応、義理でシャリさんにもね。
そうしている間にドアがノックされて、わたしはハッと顔を上げた。
とうとう、お別れのときが来たんだ……。
「先生! ……アレ?」
ドアを開けると、そこにはいつもより暗い表情のカーリー先生が立っていた。
「カーリー先生? アル先生じゃなくて?」
「……ごめんなさいね、アスナちゃん。兄さん、来られなくなっちゃったのよ」
「えっ」
「アタシが送っていくから。さ、こっちに来て」
「わたし……わたし、そんな……」
「ごめんね。でも、これがアスナちゃんのためなのよ。兄さんは、アスナちゃんを巻き込みたくないって、無事に送り帰してあげたいって言ったの。それが自分の責任だから、って」
「責任……」
わたしがキスして先生の命を救ったとき、先生はわたしに言った。「責任を取らせてください」って。わたしの望み通りにしてくれるって言うなら、こんなお別れじゃなくて……。
ぽろっと涙がこぼれる。
そんなわたしを、カーリー先生がギュッと抱きしめてくれた。
「ごめんなさい、本当に! できればアタシだって、こんな形でお別れなんてさせたくなかった! でも、今じゃなきゃダメなのよ。風の精霊様も協力してくれてる、今しかチャンスはないの。アスナちゃんをこれ以上傷つけないために、兄さんもジェロニモちゃんも必死なのよ……」
「わたしを、傷つけないため……?」
「ええ。兄さんから手紙を預かってるわ。これを読んだら、出発しましょう」
カーリー先生が取り出したのは、高級そうだけど上品でシンプルな封筒だった。
開くと、中には先生の綺麗な筆跡で言葉が綴られていた。
『親愛なるアスナさんへ
何よりもまず、アスナさんの体の具合が回復したこと、心から安堵しています。
そして、こんな形でしかお別れできないことを、どうか許してください。
あなたの元気な笑顔をもう見ることができないと思うと、とても寂しく感じます。
ですが、ご家族の下へ帰れるのですから、私にとっても喜ばしいことですね。
どうか元の世界に戻られても、元気でいてください。
たくさん勉強して、ご家族を大切にしてください。
たしか、あなたの世界でも成人の節目は家族で祝うのでしたね。
どうかその日を笑顔で迎えられますように。あなたならきっと立派な淑女になれます。
あなたには幸せになってほしいのです。
素敵な恋をして、愛を知ってください。
新しい家族を作って、笑顔のあふれる家庭を築いてください。
あなたの幸せを信じることで、私もまた幸せになれるでしょう。
祈りと愛をこめて
アルクレオ・ギズヴァイン 』
「アルクレオ先生……」
しばらく泣いたら、わたしにも帰る決心がついた。
ソーダさんに連れられて、わたしを家に帰してくれるっていう時の精霊の居場所まで行く。そこには、ひび割れた丸い鏡が置かれていた。
驚いたことに、時の精霊はその鏡だった。
わたしが説明しなくても、事情はぜんぶ知っているようで、後はもう送り帰すだけだと言われた。
『これが本当に最後のチャンスだよ。今を逃したら帰れない。心残りはもうない? ちゃんと帰りたいって願わないと、帰ることはできないよ』
「じゃあ、最後に、先生にメッセージを残したい。届けてもらえますか?」
「もちろんいいわよ。この箱に吹き込んでちょうだい。兄さん、きっと、喜ぶから……」
わたしは差し出された箱に向かって声を吹き込んだ。
「先生……アルクレオさん。わたし、あなたのことを、愛しています。こんなこと言ったら、怒られるかもしれないけど。わたしの初恋は先生だったよ。さようなら。……大好き!」
「アスナちゃん……」
「きっと、届けてくださいね。お願い」
「ええ。絶対に、届けるわ」
もう一度だけカーリー先生とギュッと抱き合って挨拶をして、わたしは元の世界に戻った。
銀河みたいなキラキラした渦に吸い込まれて、気がついたら、いつもの通学路だった。
わたしは、涙を拭いて、歩き出した。
◇ ◆ ◇
『拝啓先生へ
アスナです。お元気ですか?
わたしはあれから無事に家に帰り着き、大きな病気や怪我もなく元気な毎日を送っています。
先生に言われたとおり、たくさん勉強をして、親孝行もしているし、やりたいことも見つけました。
小学校で子どもたちに勉強を教えてもう十年になるでしょうか。この仕事は毎日が新しい発見の連続で、飽きることがありません。新しい子を迎えるのも、大きくなった子たちを見送るのも、とても楽しくてやりがいのある仕事です。
先生はわたしに、新しい恋をして、結婚して子どもを育てて、幸せになりなさいって言いましたよね。素敵な出会いがなかったわけじゃありませんが、今は仕事のほうが楽しくて、結局まだひとりです。
届くかどうかはわからないけれど、この手紙を伝書機に託します。本当は、今までにもたくさんの手紙を書いてきました。でも、結局は出せずに引き出しにしまい込んだままです。
今回初めて手紙を出そうと思ったのは、そちらの世界への未練をようやく断ち切れたからです。もう、すれ違うひとの中に、先生の面影を探すのはやめにします。
でも、夢の中でくらいは、先生のことを想っていてもいいですよね?
この手紙が無事に届くことを祈って。
かしこ』
失恋END『言の葉をかさねても』




