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▶【聞かない】
わたしは結局、オルさんに何も聞けなかった。
オルさんの気持ちを聞くのが、ちょっとだけ、怖かったの。
「何とも思ってないよ」って言われたらショックだし、逆に「愛してる」って言われても、どうしたらいいかわからない。それに、わたしの中ではもう、半分は終わったことだったから。
オルさんがわたしに、ジャムの命を助けるためにキスしてくれって頼んできたとき、わたし、たぶんガッカリした。そう、わたしの気持ちを正確に言い表すなら、そういうことだと思う。
『ああ、このひとは、わたしの気持ちよりもジャムを優先するんだ』って。
命がかかってるんだもん、助けるのは当然だよ。
でもね、オルさんは、わたしの気持ちすら聞いてくれなかった。ただひとこと、「アスナはどう思う?」って聞いてくれてたら……。
きっとわたし、取った行動は同じだったかもしれない。
けど、そうしてくれてたらきっと、こんなに心が冷えることもなかった気がする。
オルさんはすぐにわたしをお城から連れ出してくれた。
バラ園を抜けて、巡回の騎士の目を盗んで。そしてカップを使って国外へ。
「アスナ、これを」
「え? あ、毛布……ありがとう」
「空の上は冷えるからな」
オルさんの用意の良さにわたしは舌を巻いた。
いったい、いつから計画してたんだろう? わたしがオルさんに「帰りたい」って打ち明けたのは、ついさっきのことなのに……。
「ついでに、足元の荷物も確認してくれないか?」
「あっ、わたしの鞄! それに、伝書機?」
「ああ。帰るつもりなら、持ってきていた荷物は必要だろ? それと、伝書機は……できれば陛下にくらい、直接言葉を伝えてほしくてな」
「ああ……」
優しくて、気が利いて、すっごく頼りになるお兄さん……。
それなのに、すごく、胸が痛い。この傷も、いつかは癒えるんだろうか。元の世界に帰れば、忘れられるんだろうか……?
カップでのドライブは順調に進んで、わたしはギースレイヴンの旧王都に迎えられた。
王子さまも、アイスくんも、わたしたちが暴れ海竜をおとなしくさせたことを知っていて、すごく歓迎してくれた。
「王子さま、ごめんなさい。結局、シャリアディースから魔力を取り返せなかったの」
「構わない。ふたりのおかげでまた海に出られる! それに、アイスシュークのおかげでマナの実には困らなくなったし、土地の魔力も少しだけ回復した。あとは気をつけつつ、良くしていくだけだ」
王子さまの言葉にオルさんが笑顔になった。
「そりゃよかった! マナの実があれば、女王陛下の具合も良くなるだろうし、土地が少しずつでも回復すれば、きっと住みやすくなるはずだ」
「ああ。ありがとう。それと、交易の話も上手くいきそうで何よりだ」
「そうだな。いずれは窓口を俺から別の大臣に移すことになるだろうけど。しばらくはあっちとこっちを行き来することになるから、よろしく頼む」
「フン、別のヤツに果たして務まるかどうかだ。俺様と対等な口の利き方を許しているのは、お前だけなのだからな、オールィド」
「ご光栄に預かり、ってやつだな」
王子さまとオルさんはとても親し気に笑い合っていた。
取り残されたわたしに、アイスくんが話しかけてくる。
「アスナさん、帰っちゃうって本当……?」
「うん……」
「寂しく、なるよ。あっちの国が嫌になったなら、ギースレイヴンで暮らせば、いいんじゃないの……?」
アイスくんの赤い瞳が、下から覗き込むようにしてわたしを見る。
そうだね、本当なら、もう少しこの国に留まって魔力を注ぎ込んであげた方がいいんだってわかってる。わたしが回収し損ねたシャリさんの魔力……あれがあれば、もっとこの国は豊かになっていたハズだから。
「ごめんなさい、わたし……」
「あっ、いや、そ、そんなつもりで言ったんじゃなくて! 泣かないで……」
背中に置かれた手が優しくて、わたしはさらに泣いてしまった。
それから、何日か魔力を溜めるためにギースレイヴンで過ごした。そしてその間、ジャムやキャンディと伝書機をやり取りして、お別れの挨拶をした。蜂蜜くんや、チョコやキャラメル、それに先生とも。
アイスくんと精霊たちに見送られて帰るときも、寂しさより、ようやく解放されたっていう安心感の方が強かった。それなのに、いざ、日本に帰ってみると、何の感情も沸いてこなくて苦笑いしてしまう。
いつもの通学路、いつものセーラー服。
荷物の中身は減ったものと、増えたものと。
いきなり立ち止まってボーッとしているわたしの横を、迷惑そうな顔をしたスーツ姿の大人たちがすり抜けていく。
朝の空気。
うるさい車の音。
鞄の中のスマートフォンは、充電がほとんどなくなっていた。
「……帰って来たんだ」
わたしは、そのまま学校へと歩き出した。
校門の前で、友だちにバッタリ出くわす。のりちゃん、由美子、えりりん……。
「おはよ、アスナ。あれ、なんか顔色悪いよ。大丈夫?」
「大丈夫だよ。ほら、教室いこ、遅れちゃう」
「ホント?」
「うん!」
顔を見てすぐ、心配してくれる優しい子たち。わたしは空元気を出して、無理に笑顔を作った。
授業が終わる頃には、本当にいつもの日常に戻っていた。
放課後の教室で机を囲んで、他愛ない話で笑ったり、怒ったり。
そんな中で、わたしはつい、心に引っかかってることを聞いてみたくてたまらなくなった。
「ね、ファーストキスが思ってたのと違ったら、どうする?」
「無理」
「引く」
「やり直す」
そっか。やり直すっていう手も、あったのか。
えりりんはすごいなぁ。
「なに、奪われちゃったの?」
「えっ、う〜〜ん。ちょっと、ね」
「え〜〜! いつ? ソイツ殺った? ちゃんと殺った?」
「こわ。しないよ、そんなこと!」
いきなり何言ってるのかね、えりりんは!
「昨日の夜は寝るまでべルチャしてたじゃん、それなのにいきなりどうしちゃったの?」
「わかった! 朝でしょ。だからあんな元気なかったんだ〜。マジどこの誰? 殴りに行こ〜よ?」
「あげちゃったって言ってたクッキー、奪ったのも実はソイツじゃない? 殺るしかないね!」
いやいや、怖い怖い。
なんでこの子たちこんな物騒なんだろうか。
「よしよし、私が抱いてやろう。狂犬に噛まれたと思って忘れなさい」
「いや無理だし。死ぬし!」
由美子がわたしをぎゆっと抱きしめてくれる。狂犬って言葉にちょっぴりドキッとしたのはナイショ。
「でもさ、アスナ。アスナが本気で嫌なときって、もっと派手にブチギレて暴れて、それで忘れちゃわない? 引きずって見えるってことは、もしかして……」
さすがのりちゃん。わたしのこと、よくわかってるね。
「うん。あのね……。キス自体は別に、もういいの。そのひとのこと、素敵だなって思ったんだけど、なんかちょっと……、うまく言えない」
わたしがそう言うと、のりちゃんはため息をもらした。
「わかる。恋かなって思ったら、なんか違っちゃったんだよね」
「そう、そんな感じ」
「失恋かぁ。かなしーね」
「失恋……。そっか。そうかも……」
好きって言えないまま。
その返事も聞かないままで、帰ってきてしまった。
もう終わったことと思っていたけど、そう、たった今、わたしはちゃんと失恋したんだ。
「じゃ、次はもっといい恋しなくちゃね、アスナ!」
「ん……。しばらくは、いいや。まだ、このままで」
「そかそか。よしよし」
わたしは、日常に帰ってきた。
皆の思ってる『昨日』と『今日』の間に、わたしはひとりで冒険をして、恋をして、そしてその恋を失ったんだ。
ふいに目をやった木の葉っぱを見て、オルさんの瞳を思い出す。そして浮かび上がってきた感情を、心の奥にしまいこんだ。
失恋エンド『日常回帰』
明日は投稿をお休みします。




