進むべき方向
戻るべきか進むべきか。
そんな大事なこと、すぐには決められない。悩むわたしにオルさんは言った。
「ジルヴェストは今、風の膜が消えちまって、ちょっとした騒ぎになってる」
「えっ! どうしちゃったんだろ……」
「それはわかんないな。でも、朝イチの返信で、ギースレイヴンはすぐには攻めてこないってことを伝えておいたから、そこまで混乱はしないだろうさ」
「そっか。伝書機があってよかった!」
「ああ。あと、何かの手掛かりになればいいなって言ってた、ギズヴァイン先生のじいちゃんの手記も見つかったって。だから、それを解読してもらわなきゃいけないんだ」
「エクレア先生のお祖父ちゃんの手記! よかった、見つかったんだね」
「ああ。手こずってるってさ」
「あ~。じゃあ、わたしたちがいても、やっぱり力にはなれなかったね~」
「だな!」
わたしたち、キッパリハッキリ頭脳労働苦手だもんね!
「ここから先、どこへ行けばいいのかもまだ決まってないし、戻ったっていいんだぜ? 明日の朝にはまた、先王陛下から指示が届くかもしれないけど、俺はアスナがどうしたいかのほうが大事だと思ってる」
「それって、それで、いいの?」
「ああ。それはもう、伝えてある。俺は命令されれば従うだけだけど、アスナにはそんな義務ないだろ? それに、俺たちの陛下がアスナに「自由にしていい」って言ったのを、先王陛下が覆すのは間違ってる。それは絶対に許さない」
「オルさん……」
エメラルドの瞳が、燃えているように光ってる。
わたしの心臓は鼓動を早め始めた。
オルさんが、わたしのために……。
ジャムのお嫁さんにさせられそうになってたときも、嫌なら逃げていい、頼ってくれていいって、言ってくれたよね。
あのときオルさんは、この世界に独り落っことされちゃったわたしの境遇が「似てるから」って言ってた。それが、お父さんが旅に出てしまって、他に家族もなく取り残されたジャムを思って言ったのか、それともオルさん自身のことだったのかはわからない。
わからないけどわたしは、不安で寂しかった気持ちを、その当時のオルさんに重ねたんだ……。
「もし、ジャムのお父さんが……もう諦めて帰って来いって言ったら、どうする?」
「無視する。あのひとは、俺の陛下じゃない」
「じゃあ、わたしがジルヴェストに帰りたくないって言ってて、ジャムのお父さんが無理やり帰らせようとしたら?」
「俺がアスナを守る。ジルヴェストには帰さない」
「追手が来ても?」
「ああ。追手が来ても。たとえ相手が親父でも、俺はアスナの自由を守る」
「……どうして、そこまでしてくれるの?」
心臓がドキドキしすぎて、涙が出そう。
今のわたしは、あのときとは別の答えを期待してしまってる。あのときより、もっと、オルさんの特別になりたいと思ってる……。
オルさんは、ちょっと言葉に詰まって、後ろ頭をガシガシと掻いた。
そしてわたしを真っ直ぐ見て言った。
「大事だからだ。それじゃ、ダメか? 俺はアスナのことを大切に思ってる、アスナを守りたい。……他人の勝手な都合に振り回されて、それでも誰かのために行動してるアスナのこと、尊敬するよ。だから、アスナの気持ちを尊重するし、望みを叶えてやりたいんだ」
「……ありがとう。すごく、嬉しい」
胸がじんわり熱くなる。
劇的でロマンティックな答えじゃなかったけど、そのくらいの距離感の方がしっくりくる気がする。
「オルさんて、わたしのお兄ちゃんみたい。って言っても、わたし、ひとりっ子だけど」
「俺も、アスナが妹だったら良かったなって思う。そしたらきっと、毎日楽しいだろうなぁ」
「ふふっ、そう? でも、口うるさいかもよ?」
「構わないさ。そういうのも、いいじゃん」
「あはは。じゃあ、さっそくお兄ちゃんって呼んでみちゃおうかな」
なんて、冗談半分、本気に取られてもいいかなくらいの気持ちで言ったら、オルさんは優しく笑って首を振った。
「いや、呼び方はこのままでいい。むしろ、オールィドって、呼んでくれても構わないんだぜ」
「えっ」
心臓が、大きく跳ねた。
そ、そ、そんな!
無理だよぉ!
思わず息を詰まらせるわたしを見て、オルさんは笑いながら頭を撫でてくれた。
「はははっ、冗談だよ」
「も〜、オルさんってば! あ、髪の毛〜」
「スマン、スマン」
撫でられるのは嫌じゃないけど、セットしてるときは絶対ダメ!
そんなわけで、これからのことを考えようとしていたわたしたちのところへ、執事さんがノックして入ってきた。
「歓談のお邪魔をしてしまい、大変申し訳ございません。女王陛下から、お言葉をお預かりしております」
何だろう?
渡されたカードには走り書きがしてあった。
「ダメだ、やっぱり崩し文字は読めねぇや」
「わたし、わかるよ。えっと……」
オルさんに代わってわたしがメモを読み上げる。
そこには、こうあった。
『先程は失念して言い忘れた。シャリアディースは元々、水の魔性だ。何かのヒントになれば良いが』
「水の魔性……」
「暴れ海竜を飼いならしてるんだったね、そういえば」
「ジルヴェストもかなり水は豊富な土地だ。もしかして、探すべきなのは水の多い国か?」
「もしかして、いっそ海?」
「じゃあ、海竜を放ったのは、海を探られたくないからか?」
「ありえるかも」
わたしたちは顔を見合わせて、お互いが考えていることが一致していることを感じてた。うん、方向性、決まったね!
「海か……。やっぱ、アイツと決着つけないといけないみたいだな」
オルさんの言ってるのは、海を渡ったときに体当りしてきた、あの暴れ海竜のこと。あの恐竜さえいなくなれば、王子さまも船を出して貿易を再開できる。
ジルヴェストとの関係だって、戦争じゃなくて友好的な交易関係になれるかもしれない。そうなってくれたら、肩の荷が下りるよ!
「でも……、あの恐竜、倒しちゃうの?」
「向こうがこっちを沈める気なら、そうするしかないだろう」
「そりゃ、そうだけど……」
「あの海竜、もしかして他所でも船とか襲ってるんじゃないか? 情けをかけることが正しいとは、俺には思えない」
「うん……」
「ジルヴェストに帰るためにも、戦わなくちゃならないんだ。怖かったら、ここで待っててくれていい」
「それは嫌! 一緒に行く!」
「わかったよ」
オルさんは苦笑しながら頷いてくれた。




