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▶【オルさんに送る】
わたしは、オルさんに伝書機を送ることにした。
小さな声でメッセージを吹き込む。
「オルさん、体の具合はどう? 怪我してない? オルさんが庇ってくれたから、わたしは大丈夫だよ。今、鉄格子の嵌まった、牢屋に閉じ込められてるの。きっとお城に捕まっちゃったんだ……。助けて、オルさん。この国の王子は、わたしの血と心臓を狙ってるの。……待ってるから」
どうか、無事でいて……。
祈りを込めて、伝書機に魔力を通す。リボンはまるで蝶々みたいに羽ばたいて、わたしの手にとまった。
「オルさんからもらったマナの実……。オルさんに返すね。これが役に立ちますように」
伝書機にマナの実を持たせて、鉄格子の隙間から外に解き放つ。蝶々はひらひらと羽をひらめかせて飛んでいった。
(お願いね……)
そのとき、後ろでガチャガチャっと音がして、いきなり牢屋のドアが開いた。厳しい顔の女のひとたちが三人、黙って入ってきて、わたしは着替えさせられた後、手を後ろでギュッと縛られた。
抵抗しても抑えつけられて、連れて行かれた先は寂れたお城の中庭だった。そこで待っていた王子さまは、想像とは違って、小学校高学年かそれとも中学一年生くらいの男の子だった。
薄いクリーム色の髪の毛に、オレンジ色に輝く瞳。物語に出てきそうな服を着て、白い毛皮のマントをつけている。にこやかなのにゾッとするような笑顔を浮かべた男の子は、わたしを見てこう言った。
「お前が異世界からやってきた精霊の巫女か。……それにしては魔力切れ寸前の顔をしているが、どうした? この土地はそれほどその身に堪えるか?」
「魔力、切れ……?」
わたしは、後ろで手を縛られていて、中庭の石畳に膝をつかされていた。力が入らなくて、頭がクラクラしてたけど、それは緊張してるせいだと思ってたのに。これが、魔力切れの症状なの?
「我が国で魔力切れを起こすのは、自分の魔力を制御できない子どもくらいなものだぞ。よほど甘やかされてきたんだな、お前」
意地悪な顔で、わたしをバカにする王子さま。
そんなこと言われたって、困る……。魔力の制御なんて、したことない。
「だが、魔力切れ寸前だというのにこの魔力量……見誤っていたかもしれんな」
「?」
王子さまがゆっくり近づいてくる。わたしの顎を掴んで上を向かせたその表情は、もうバカにしたような感じじゃなかった。真面目で、賢そうな男の子に見える。
髪の毛と同じ、白金の長い睫毛をパチリと瞬きさせて、王子さまはわたしの唇にキスをした。
「やっ!?」
わたしは咄嗟に頭を後ろに倒して逃げた。すぐにわたしを押さえつけていた手が伸びて、元のように座らされる。
……触れられた唇は、すぐに離れた。
王子さまは口の端を歪めて笑ってる。
「クククッ。魔力は汲めども尽きせぬ泉のようなもの、俺様の魔力に触れて、お前の内側からもまた湧き上がってきただろう? その潤沢な魔力、使い途はたくさんありそうだ」
「ひどい……」
「何を言う、俺様はお前を助けてやったんだぞ? 貴い口づけを授けてもらったこと、感謝しろ」
お腹の底から、かあっと熱があふれ出す。
これが、魔力なの……?
「あ……ああ……あうぅぅ……」
苦しさに思わず体を前に折って、うめいてしまう。
そんなわたしを見て、王子さまはさらに笑った。
「アスナ!」
「なっ!? 貴様、どこから!」
わたしを呼ぶ、声……。
オルさん!
何人かの慌てた声と争うような音、うめき声。
わたしは焦った。相手は何人もいるのに、オルさんひとりで大丈夫なの……!?
でも、勝負は一瞬でついたみたいだった。
まだうずくまった姿勢のわたしの目の前に、オルさんのブーツが見えて、優しい手が背中に添えられた。
「大丈夫か? 今、縄を切る」
「オルさん……!」
力強い声。
オルさんが無事でよかった! 助けに来てくれた……。わたしを探して、ここまで……!
わたしは涙を振り払って顔を上げて、そして、そして……。
そこに広がる血みどろの光景に思わず叫んでいた。
「アスナ、どうした。どこか痛むのか?」
わたしの血と心臓を狙っていた王子さまは、首と左手が無くなってた。
わたしを押さえていた奴隷の男のひとや、わたしを着替えさせた女のひとも、皆、どこかの部分がなくなってた。
みんな、あちこちに、ちらばって……。
血まみれで。体の中身を、はみ出させていた。
王子さまの驚いたような顔と目が合って、わたしは込み上げてきたものを、ぜんぶ吐き出してしまった。
「アスナ、大丈夫か!?」
「触らないでっ!」
「…………」
「どうしてこんな、ひどいこと……」
「ひどい? 敵国の王子だぞ? ……ああ、でも、殺したのが俺だと知られると身動きが取れなくなるな。俺にはまだ、陛下を探すっていう使命があるのに」
何を……言ってるんだろう、このひとは。
確かに敵ではあったかもしれない。
でも、子どもを、こんなに残虐な殺し方をして、その場にいたひとを皆殺しにして、心配しているのは自由に動き回れなくなることなの!?
……わたしが好きになったのは、本当にこのひとなんだろうか?
それとも、わたしには何も、見えていなかっただけ……?
「ごめん、アスナ」
「!」
かけられた優しい声に、思わず体が震える。
どうしてそんな、何もなかったように笑えるの!?
彼の目を、見ることができない……。
「アスナを、このまま連れ帰るわけにはいかなくなった」
「わたしを、殺すの?」
「そんなことはしない。……俺にはできない」
「いやっ!」
抱きしめられそうになるのを、振り払う。
ううん、違う。体が勝手に拒絶する。もうこのひととは一緒にいられない!
でも、その抵抗は無意味だった。
わたしが力で敵うハズなんてない。わたしは抱きしめられて、無理やりキスされていた。逃げようとするわたしの頭を掴んで、無理やり。
「アスナ……。アスナなら、陛下を見つけられるだろう? 俺に協力してほしい。そして、無事に陛下を見つけたら、そうしたら俺は騎士をやめるから……」
「離して……!」
「そうしたら、ふたりで暮らそう。ふたりだけで、誰も知らない場所で……」
「いやっ! やめて!」
「行こう、カップはすぐそこに停めてあるんだ」
わたしは、そのまま連れ去られた。
わたしの魔力とカップがあれば、どこへでも行くことができる。世界の端から端までも。
氷の塔で眠っているジャムを見つけるまで、そんなに長くはかからなかった。シャリアディースも斬り殺して、彼はジャムを連れ戻した。
そしてわたしは、地中深いダンジョンに囚われてしまった。
誰の助けも来ない、陽の光も差さない部屋に。
「もう、俺のものにはならないと思ってたのにな……。アスナ、愛してる」
そう言いながら、彼は手枷と足枷をわたしに嵌めた。
白いウェディングドレスの上を蝋燭の光が滑っていく。わたしは眩しさに涙がこぼれた。
ふたりだけの結婚式……。ううん、わたしにとっては死の宣告。
どうして……こうなってしまったんだろう……。
END『地下室の花嫁』




