信じよう
しばらく抱き合っていたわたしたちだったけど、いつまでもそうしているわけにもいかないから、抱きついたわたしからそっと離れた。
「いきなりごめんなさい。わたし……」
「いや、いいさ。もしかして、俺の親父に何か言われたのか?」
「わたしが、ひどいことを言われたわけじゃないけど……」
「ごめんな。俺たちの事情に巻き込んで。嫌な思いさせちまったな」
「ううん、いいの! 大丈夫だから。オルさんが謝らないで?」
「ありがとな。……ちょっと、座って話さないか?」
「うん」
オルさんは優しくそう言って、すぐそばの崖下にわたしを誘った。そこは岩場で、座りやすそうな石がごろごろしている。それに、上の方に突き出た崖のおかげで、海辺の強い日差しも遮られていて、過ごしやすそうだった。
オルさんはマントを外すと、石の上にそれを敷いて、わたしにそこに座るように言った。
「いいよ、そんなの」
「いいからいいから!」
わたしたちは大きな石の椅子に詰めて座った。
「せっかくだから弁当も持ってくればよかったな〜」
「そうだね。せめてお茶があればよかったね」
お互いにそれが本気じゃないことはわかってた。わたしたちはそこから動くことなく、海を眺めていた。……わたしは、オルさんの言葉を待ってた。
オルさんはボンヤリと波を眺めながら、組んだ指をぎこちなく動かしていた。
「俺、昔からあの人と折り合いが悪いんだよ。親父が何を考えてんのか、わかんないんだ。命令してくるかと思えば、突き放されたり……。まさかアスナにまで迷惑かけるとは思ってなかったけどな!」
「迷惑っていうわけじゃないけど……う〜〜ん。オルさんはお父さんのこと、どう思ってるの? オルさんのお父さんは、オルさんのこと、すごく……信頼してるんだなっていうのは伝わってきたよ。誇りに思ってると、思う」
「そうなのか? まぁ、アスナが言うなら……」
嬉しそうに笑うオルさん。
そっか。オルさんは、マフィンさんのこと、やっぱり大好きなんだね。ついさっきの出来事が強烈過ぎて忘れてたけど、オルさんがマフィンさんについて話してくれたときは、いつだって誇らしそうだったもの。
「親父はいつも、俺に相談なく全部決めちまうんだ。でも、間違ったことは言わないんだ。だから、反発もするけど、結局は親父に従っちまう。俺は……、やっぱり俺が親父の言う通り、宰相閣下を斬り捨てておけばこんなことにはならなかったのかな」
「そんなことない! そんなこと……ないよ」
「でも、そうすればアスナだって、こんな風に家族と離れ離れにならずに済んだんじゃないか? 陛下だって、もしかしたら……」
わたしは、オルさんの、膝の上で握りしめられた手をそっと包み込んだ。
「自分を責めないで、オルさん。確かに、そうしてたらわたしがこの世界に落ちてくることはなかったけど、逆に言えば、オルさんやジャムや、皆には会えなかったよ。
ジャムはシャリアディースのこと信じてた。アイツにだって、アイツなりの考えがあったハズ。だから、話し合いもせずに殺しちゃうようなことが、正しかったなんて、思わないで……」
「アスナ……」
「……!」
オルさんの顔が、スッと近づいてきた。
――キス、されるっ!?
思わずギュッと目を瞑ってしまう。
でも、唇に何かが触れることはなかった。
頭のてっぺんをポンポンとされて、それからわしゃわしゃっと撫でられる。
「もう、オルさん! 子どもじゃないんだから……」
「悪い。つい、な」
オルさんは声を上げて笑うと、立ち上がって大きく伸びをした。
まったく……ビックリしちゃった。
オルさんたら、急に、真面目な顔するんだもん。本当にキスされるかと……。
指でそっと唇をなぞる。
胸がモヤモヤする。少しだけ、残念な気がして……。
わたしはふるふるっと首を横に振った。
いけない、変なこと考えちゃ! 今はジャムを探すことに集中しないと!
「ねぇ、オルさん。ジャムはここへは来なかったんだと思うの。だって、ここに来てたらマフィンさ……オルさんのお父さんがそう言ってたハズだもん」
「そうだな。俺も、そう思う」
「でしょう? ね、オルさんは、結界のことどこまで知ってる? ジャムは、どこに行ったんだと思う?」
「結界? それとこれと、なんの関係があるんだ?」
結界のことはこの国のひとたちには、知らされてないことが多すぎる。わたしは改めて結界について話すことにした。
あの結界は、このジルヴェストという国を守るために、シャリアディースが作ったものだった。
結界があるから、この国の人々は平和に暮らすことができていた。それに、国民が生活するために必要不可欠な、魔工機械を動かすための魔力も、この結界から供給されていた。
でも、結界を維持するためには魔力が必要になる。だから、結界はこの国のひとたちの魔力を吸っていた。そのせいで、魔力欠乏症になってしまうひと、その症状を繰り返したことで体が衰弱して死んでしまうひとがいた。
でも、シャリアディースは結界を張り続けた。
人々にはその危険を一切伝えないまま。一部の人間にだけ教えて。
ここまでなら、ちょっと許せないけど、仕方がないこともあるのかなって思えた。
でも、この結界は、危険すぎたの。
健康な人間の寿命も削るし、魔力欠乏症の患者さんは苦しむ。そして、綻びかけた結界は触れた人間ごと魔力を吸収して壁を強化していた!
ただ、シャリアディースだって対策をしなかったわけじゃない。この千年間、結界の存在を国民には知らせず、国の地図から結界の外の情報と外国の情報を消した。国民の意識が外に向かないようにした。
誰も外を気にしない。
誰も海を気にしない。
外からも入ってこられない、外には逃げ出せない。そんな仕組みを作ったの。
でも、十二年前、小さい頃のゼリーさんは結界を抜けて内側にやってきた。そして、帰れなくなった。
五年前、結界を壊すためにジャムのお父さんとマフィンさんは旅に出て、戻ってこなかった。そして今、結界の外にあった村にいることがわかった。
「……馬で遠乗りに出ることはあったけど、確かに、結界があった場所までは行ったことがなかったな。一度も、なかった」
「そういう教育か、それとも、刷り込みみたいなものをされてたんじゃないかな」
「おそらく、な。結界は、そんなに危険な物だったのか……。陛下は、それを……」
「ううん。ジャムはね、知らなかった。でも、シャリさんは、ジャムにこの事を伝えるってわたしに約束したの」
この国のこと、ジャムはちゃんと知るべきだってわたしは言った。シャリさんは、「自分から伝えさせてくれ」って言ったんだ。
「ジャムのことだから、結界の危険性を知ったら、すぐにでもやめろって言うと思うの」
「ああ、そうだな。けど、それじゃ、他国が……ギースレイヴンだっけか、それが攻めてくるじゃないか?」
「そうなの! わたし、もしかしてジャムってば、シャリさんと一緒にギースレイヴンに行っちゃったんじゃないかって心配してたの……。でも、そんな無茶、ホントにするかな? そうじゃないといいなって思って、言えなかった……」
だって、そう考えたら、まるで返事の帰ってこない伝書機のこととか、ギースレイヴンの動きのなさとかが……、まるで、もうジャムは生きてないみたいで……!
「アスナ。大丈夫だ。陛下は生きてるさ」
「でも……!」
「俺を信じろ、アスナ」
「……うん!」
オルさんの真っ直ぐな瞳に、あったかい笑顔に、わたしの涙も乾いていく気がした。
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