精霊化を止めるには
ひとまず朝ごはんを終えて、お腹は落ち着いた。顔を洗って、歯を磨いて、シャワーを浴びたいところだけど……今できることは、顔を洗うくらいかなぁ。キャンディや蜂蜜くんが心配してるだろうと思うけど、伝書機が手元にないんだよね、実は。エクレア先生にメッセージ飛ばした後、帰ってこなかったんだもん。
「アスナのこと、聞かせてよ」
「うん。シフォンさんのこと、聞いたもんね。わたしのことも話すね」
わたしは、自分の世界のことや家族のこと、友だちのことを話した。
「へぇ。友だち、学校……なんかすごい。そういうの、新しい」
「そう? まあ、そういうわけで、わたしは家に帰るためにここでも女子高生になったの」
「シャリアディース……確か、シャーベの作り出した妖精だったはず」
「妖精!? あの、酢飯野郎がぁ?」
わたしはシャリさんの底意地が悪そうな笑顔を思い浮かべた。
この世界の妖精ってあんな邪悪なもんなの……?
「そう。妖精は私たち精霊にとって、仕事を代行してくれる便利な存在。名前を持たないから、魂もない。道具みたいなものなの」
「え……」
「でも、シャリアディースに名前をつけてしまった人間がいた。その瞬間からあの妖精は、ただの妖精じゃなくなってしまった。半分精霊になったの。力と意思を手に入れて、シャリアディースは、シャーベの制約から逃れてしまった」
「そうなんだ……魂、持っちゃったの?」
「人間や動物とは違うから、魂は持ってない。でも、代わりに意思がある。命令に従わずに、好きに生きられるようになった」
「ふ~ん」
そういうの、わたしたちの世界じゃ「魂を持ってる」って言うと思うんだけど、こっちの世界じゃ、魂って別の存在みたいだね。
「シャリアディースは意地悪なんだね。アスナをこの世界に連れて来て、帰り道を教えないなんて」
「でしょ!? 信じらんない! 腹立つ、アイツ!」
「どうやったら帰れるんだろうね」
「シフォンさんにもわからない?」
「……どうだろう。こういうことは、カロンのほうが詳しいよ。それか、時の精霊キョウに聞いてみるしかない」
「あっ、そういえば! 七人目の精霊がいるんだったね」
シフォンさんの話には出てこなかったけど、この世界には光と闇を見つめる、時の精霊がいたんだった。
「キョウは、一番新しい精霊だよ。この世界の生物には、光と闇を交互に当ててあげなきゃいけないことに気がついてから、ルキックとカロンは交代でこの世界を回るようになったんだ。それはそれぞれ、太陽と月と呼ばれるようになった。キョウはその太陽や、月や、ふたつからこぼれた光の動きを観察してた。そのおかげで時間っていう便利な物差しが生み出されたんだよ」
「ものさし……」
ん、まあ、確かに? ものさしって言ったら、そうだよね。基準になるもののことだもんね。
「キョウはすごく変な精霊だけど、色んなことを知ってる。すっごく変だけど」
「変なんだぁ……」
「キョウにも会わせてあげるよ。アスナが精霊になるのを、止められたら。もし精霊になっちゃっても、会うことになるとは思うけど」
「精霊になりたくないので、ぜんぶ終わってから会いに行くことにする!」
「それがいいよ。でも、良かったね。すぐに帰れそうで」
「え?」
帰れる? ……どこに?
「だって、クォンペントゥスを呼んで、精霊になるのを阻止してもらって、キョウに会って、帰る方法を聞くんだよね? カロンとキョウが解決できない問題なんて、この世界には存在しないと思うよ。……逆に言えば、ふたりでダメなら、アスナは帰れないっていうことになっちゃうんだけど」
「こ、怖いこと言わないで! ただでさえ、この千年の間にこの世界にやってきて帰れた人間なんていないって言われてるんだから!」
「そうなの? まあ、とにかく聞いてみればわかるよ。キョウに会って帰る手段が見つかったら、もうお別れなんだね……ちょっと、寂しいけど」
「…………」
「アスナ?」
帰れるんだ……。
でも、帰っていいの? わたし、このまま……
「ううん、ダメ。わたし、まだ帰れない」
「えっ?」
「ここでまだ、やることがあるの。ジャムとシャリさんの無事を確かめて、できるならジルヴェストへ送ってあげなくっちゃ。だって、皆、心配してる。それに、壊れちゃった結界のことも気になるよ。あれがないと、ギースレイヴンが攻めてきちゃうんだもん。キャンディたちの国は、ずっと鎖国してたから、戦い方なんてわかんないだろうし……せめて、戦争にならないように、手段を見つけなくっちゃ」
「そうなの?」
「うん。そうじゃなきゃ、帰っても寝覚めが悪いもんね。ギースレイブンの奴隷にされてるひとたちだって、できれば、助けてあげたいけど……」
「……それって、アスナがやらなきゃいけないこと?」
「う……」
そう言われると、違うって思う。
それはわたしのやるべきことじゃないと思う。でも、でもね。お世話になったジルヴェストだけは、守りたいんだよ。せめてジャムが帰ってくるまでは見届けたい。向こうの国の奴隷のことだってね、奴隷制度さえなくなれば、戦争がやむんじゃないか、ジルヴェストに攻めてこなくなるんじゃないか、っていう、浅知恵で言ってるんだよね。
奴隷なんて嫌いだもん、やめさせられるなら、それでいい気がするんだけど? 首輪の外し方は、乱暴なやり方だけどわかってるしさ。どうしても外したいってひとには教えてあげればいいんじゃないの?
「ダメだと思う?」
「ううん。べつに。アスナがやりたいなら、好きにすればいいと思う」
「なら……」
「ただ、覚えておいて。私たち精霊は過度に人間の味方をしちゃいけないんだってこと。私がアスナに親切なのは、アスナが新しい精霊になる仲間だと思ったからだよ。それなのに精霊にならないために動いているのは、アスナが私にお願いをしたから」
「あ……」
そうだった、わたし、シフォンさんに「助けて」ってお願いした……。
「お願いされたら、叶えてあげられる。特にアスナは魔力が多いから、私たちにとっても声が拾いやすい。私たち精霊に声を届けることができる人間は限られてるんだよ」
「もしかして、精霊の巫女ってヤツ?」
「そうだよ。あの一族の声はよく聞こえる」
「あ、じゃあ、アイスくんはやっぱり……」
「あの子は、王だからね」
「えっ!」
そのとき、ドアが開いてアイスくんが飛び込んできた。
「アスナさん! よかった、ここにいたんだ……」
アイスくんは大げさなくらいに胸を撫で下ろして、わたしに笑顔を向けてくれた。
「おはよう、アイスくん」
「おはよう……アスナさん」




