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第七幕 帰還

双子に会って、王子さまなりにその処遇を決める。それが、元々王子さまがこの国でするべき 「 仕事 」 でした。その仕事が片付いた今、やるべきことは一つでした。入国したときに約束した 「 夫婦にお話を聞かせる 」 ということです。

王子さまはずいぶん悩みましたが、この国の星空を見ていて自分が小さい頃に想像して楽しんでいたお話があったことを思い出しました。そうして、そ夫婦にはそのお話をするのがいいと思いました。

お話を聞かせる、と伝えるとリスの夫婦は大喜びして自分の家がある木の上からお茶のポットやこの日のために作ったらしい甘い焼き菓子を持って降りてきました。王子さまも手伝ってお茶の仕度が整うと、リスの夫婦はまるで子どものようにわくわくと王子さまの前に座ります。そんな夫婦を、王子さまはわざとこの国で散々走らされたときの恨み言を冗談交じりに言ったりなどしながら散々じらした後でようやくお話を始めました。

――― 僕が小さい頃、母さまがこんなことを教えてくれた。夜空に見える天の川のことを、遠い外国では 「 ミルキーウェイ 」 乳の川っていうんだって。小さな星がたくさん集まって白く見えるのがミルクを零したように見えるからだって、教えてくれたことがあった。けれどそれはそう見えるだけじゃなくて、本当に沢山のミルクがこぼれているんだよ。そんなに沢山のミルクがこぼれたのは、こういうわけなんだ。

天の川のそばには、一つの牧場があるんだ。そこには地上の羊を全部集めたのよりももっと多いぐらいの羊が住んでいるんだよ。しょっちゅう子羊も生まれたりするからね、牧場主でさえその数が正確にはわからなくなってしまってるんだ。そこの羊たちは毛もまるで雲みたいにふわふわしてて上等だけど、ミルクもすごく美味しいのを出せるっていうんで近くの星座たちだけの御用達の牧場だったんだよ。

ところがある日、獅子座のところで大宴会をすることになって、そこでお客さんの飲み物としてその羊たちのミルクをぜひ出したいということになった。なにしろ天の羊のミルクは本当に美味しいと評判だったからね。そして獅子は牧場主にこんなことを言った。

「 おまえのところでは、どれだけのミルクが出せるんだい 」

「 どれだけって …… そりゃあたくさんですよ 」

「 そんないい加減な答えがあるか。きちんと何百リットルなのか答えてくれないと、それによって呼べる客の人数が違ってくるんだからな。万が一呼んでおいて飲み物が足らないなんてことになってみろ、俺の面目が丸潰れだぞ 」

それを聞いて牧場主は大笑いをしました。

「 どうぞ安心して好きなだけお客さんを招待すればいい。どれだけ呼んだってうちのミルクが足らなくなるなんてことはありえないですからね 」

「 なんだと。そんなに安うけあいして、俺がどれだけ顔が広いのかわかってるのか。ええい、どうも信用ならん。大牧場主のようなつらをしてるが、本当はろくに乳も出ない痩せ羊がちょっぴり飼っているだけなんだろう 」

「 何てこと言うんだい。うちの羊がどれだけミルクを出すのかちゃんと知ったらあんたなんか腰ぬかしちまうぞ 」

「 おう、だったらその量を教えてみろ 」

「 おう、きっちり数えてから教えてやらあ。明日また来やがれ 」

売り言葉に買い言葉で獅子に大見得を切ってしまった牧場主は、すっかり頭を抱えてしまった。困り果てたあげく友だちのみずがめ座のところに相談に行ったんだ。

さて、牧場主を迎えたみずがめ座は彼がすっかりあわててしまっているのを見た。

「 そんなにあわてて、いったいどうしたのよ? 」

まずは落ち着かせようと、気付けのつもりで自分のかめの中のお酒を出してやった。あわてて走ってきて喉が渇いた牧場主はそのお酒を一気に飲み干してしまってから獅子とのいきさつを説明した。みずがめ座はそれを聞いてけらけらと笑ってからこう言った。

「 いやだ、そんなことであわてているの?簡単なことじゃない。羊の数を数えればいいのよ。その後で一頭辺りどのくらいのミルクを出すかから計算すれば、ざっと出せるミルクの量がわかるでしょう? 」

これを聞いた牧場主は大喜びで牧場に帰って、さっそく羊の数を数えることにしたんだ。

ところがそこからが大変だ。何しろ本当にたくさんの羊がいたからね。それに、さっきみずがめ座のところでお酒なんか飲んでしまったもんだから、数えている間に眠くて眠くて仕方なくなった。半分も数えずに、こっくりこっくり始めたよ。

さあ、そんな牧場主の姿を見て羊たちの方は大喜びだ。今が自由を掴むときとばかり、どんどん柵を飛び越え、走り出した。何しろたくさんの羊の大脱走だ。牧場主がその日に絞ったミルクも、バターやクリームにしようとタンクに入れたミルクもみーんな蹴っ飛ばしてひっくり返しちゃったんだ。

そのときひっくり返しちゃったミルクがあんまり沢山で始末しようにもどうにもならなくなった。そんなわけで、空の上には羊たちが蹴倒したミルクが今でもこぼれているということだよ ―――


お話が終って王子さまが夫婦の顔を見ると、二人は何とも言いようのない顔をしていました。

「 ねえダーリン。私たち、小説家さんをこの国に連れてきたのは初めてのはずよね? 」

「 そのはずだよハニー。でも僕も今、自分の記憶が疑わしくなっているところだ 」

夫婦は顔を見合わせてそんなことを言っています。

「 どうしたの?二人も知ってのとおり、僕がこの夜の国に来るのは今回が初めてだよ。前に来たことなんか一度もないよ 」

「 それならどうして、天の川牧場のことを知っているのかしら? 」

「 え? 」

「 小説家君。君が今話してくれた天の川の牧場は、この夜の国に本当に存在する牧場だよ。上等な毛布が作れる毛が生えていて、美味しいミルクも出せる羊のいる牧場だ 」

「 ただし、牧場主のことだけは違っているけれどね 」

「 そうとも。みずがめ座がくれたお酒を飲んで酔っ払うような間抜けな牧童なんかじゃあない 」

「 だって、夜の国の女王さまこそが牧場の持ち主でいらっしゃるのよ 」

王子さまはすっかり驚いてしまいました。

「 でもそれ以外はすっかりお話の通りだわ。羊たちが脱走した事件のことも 」

「 大変だったな、あのときは 」

そう言うと、その当時のことを思い出すように夫婦は夜空を見上げました。

「 今夜は、小説家さんがこの国で過ごす最後の夜だからかしら。女王さまのお眼がとても輝いてる 」

「 きっと見守ってくれているんだろうさ」

「 ねえ小説家さん。いつかきっとまた、この国に遊びに来て。女王さまのお眼が輝く夜は、天の川のミルクは汲めないの。ミルクは夜空の中でもわかるぐらいには光るけれど、女王さまのお眼の光が強いとわからなくなってしまうようなほのかな光だからね。だから、次に来たときに汲んでお出しするわ 」

「 きっと君が今まで飲んだどんなミルクよりも美味しいよ。次に来るときの楽しみに、取っておくといい 」

ほのかに光を放つ、夜の国のミルク。眠る前に飲んだなら、きっと美味しくて、心が安らぐことでしょう。

「 …… うん、楽しみにしてるよ 」

王子さまはそう言って、お話を始める前にカップに入れてもらったお茶を一口飲みました。そのお茶は入国するときに夫婦が話してくれた、あのスズアカリランのお茶でした。

なんて優しい香りのお茶だろう。明かりになるだけじゃなくて、こんなに美味しいお茶にもなる。僕の国でもこの花を育てたい。

そう考えた王子さまは、この花の種があれば譲ってほしいとリスの夫婦に言いました。するとまたきゃきゃっと笑われて

「 この花は夜の国でしか咲かないさ。君、自分の国でこんな花が咲いているのを見たことないだろう? 」

「 お茶だったら、一缶さしあげるわ 」

そう言うと苦労して夫婦で缶を運んできてくれました。

「 ありがとう、大切に飲むよ 」

「 どういたしまして。妻は本当に今日を楽しみにしていたからね 」

「 ほんの気持ちだわ 」

 今まで自由気ままに振舞っているように見えた夫婦にこんなにしんみりされてしまうと、王子さまはどうしていいかわからなくなってしまいました。そしてその気持ちをごまかすかのように、残りのお茶を一気に飲み干してします。すると、急に眠気が襲ってきました。

 「 なんだか …… 僕少し眠くなってきたよ。お話を始める前に、緊張してたからかな 」

 もうまぶたを半分ほども閉じてしまいながら、王子さまは言いました。そんな王子さまに、リスの夫婦は見守るような優しいまなざしで言います。

「 スズアカリランのお茶は、眠りを忘れた者に眠りをもたらすの 」

「 眠るといい。ゆっくり、眠るといい。僕ら夫婦は、君がこの国に来てくれて本当に楽しかった 」

リスの夫婦の言葉を、どこか遠くの声のように聞きながら王子さまは深い深い眠りに落ちました。

 はっと目を覚ますと、そこは王子さまがまどろんでいたリスの夫婦の家の景色ではありませんでした。そこは、ソムニフ村の森のはずれ。リスの夫婦と初めて出会った場所でした。王子さまは飛び起きてあたりを見回そうとして、思わず目がくらみました。何故って、辺りが朝の光に満たされていたからです。夜に存在する光以外の光を、ずいぶん久しぶりに見たような気がしました。

 最初、王子さまは夜の国でのできごとがみんな、今のうたた寝の夢の中のことだったのかと思いました。そうだとしたら大変です。父王さまに言われた課題の提出期限は、次の満月の日。王子さまがこの森に着いたのは上弦の月だった夜の翌朝ですから、お城へまた歩いて帰る道のりのことも考えればもう時間の余裕がありません。

 しかし、夢ではないことがすぐにわかりました。何故って、リスの夫婦がくれたお茶の缶とまどろみ始めたときに体に掛けてくれた彼らの体に合わせた小さな毛布がそこにあったからです。カバンの中を見れば、ナゾナゾマユガのおふとん屋さんが作ってくれたまゆ型寝袋や、曼珠沙華の谷で使った虹玉レンズの眼鏡も入っていました。

 夢ではなかったんだ。あの国で起こったことも、そして魔法使いに出会って僕が考えたことも、全部。

 夢ではなかったのなら、あとやるべきことは一つ。王子さまの、自分のお家へと帰ることです。

 それから幾日も幾日も歩いて、いよいよ明日は満月を迎えるという夜にようやく王子さまはお城に辿り着きました。遠くから王子さまの姿を発見したお城の見張り番が大慌てで父王さまや皆に王子さまの帰還を知らせ、王子さまが門をくぐる頃には揃って出迎えに出てきました。年老いた庭師も出てきています。皆がそれぞれ王子さまが無事に帰還したことを喜ぶ中、父王さまがこう言いました。

 「 今夜はもう遅い。三枢機卿への報告は明日でよいだろう。温かい風呂に入り食事を摂って、明日に備えて早く眠るがいい 」

 父王さまのその言葉を聞いて、王子さまはお城に着いたのが夜でよかったと思いました。もし明るい内に付いていたら、すぐに枢機卿に旅の成果を報告しなければならなかったでしょう。王子さまはそのまえに、どうしても父王さまと二人きりで話したいことがあったのでした。

 夜が味方してくれた。

王子さまは思わずそんな気持ちになって、空を見上げました。そこにあるのは、夜の国と違ってたった一つ空に浮かぶ月。それでも、あの月はきっと女王さまの心と繋がっているだろうと王子さまには思えました。何故って、夜の雨が悲しい気持ちにさせるのは夜の国の民だけではないからです。今のところは朝を迎える民である私たちだって、夜の雨には少し感傷的な気分にさせられるものです。女王さまの悲しみがこちらの世界にいる者にも伝わるなら、きっとこちらの気持ちも伝わることでしょう。

久しぶりにお城の食事をし、お風呂では王子さまらしく召使に背中を流させたりもしました。やがて自分の寝室に下がり、寝巻きに着替えた後で王子さまは傍に控えるメイドに

「 父上はまだ起きてらっしゃるだろうか。今夜眠る前に、父上と少し話がしたいのだ 」

と言いました。メイドは小走りで父王さまのお部屋に行き、父王さま付きのメイドに王子さまのお言葉を伝えます。すると父王さま付きのメイドはまだ起きてベッドで本を読んでいた父王さまに王子さまの言葉を伝えました。すると父王さまは頷いて

「 息子に、私はまだ起きているから来るがいいと伝えなさい 」

と答え、その答えをまた父王さま付きのメイドが王子さま付きのメイドに伝えました。王子さま付きのメイドは急いで王子さまのお部屋に戻り、父王さまの言葉を伝えました。そして王子さまに寝巻きの上に羽織れる肩掛けを用意すると、父王さまの部屋まで王子さまをお送りしました。

王子さまが父王さまの部屋のドアを開けると、父王さまは「よく来た」と両腕を広げて王子さまを迎えました。続けて

「 おまえが私の寝室に来るのは久しぶりのことだな。幼い頃は怖い夢を見たと言ってはここに来たものだ 」

と言って笑いました。王子さまも静かに微笑みました。それからお二人は束の間、その頃はまだ元気であったお亡くなりになった母君さまのことをそれぞれに想いました。

それから王子さまは、ゆっくりと時間をかけて旅先で出会ったこと、そしてあの双子のことも含めて自分が考えてきたことを父王様にお話しました。父王さまもしっかりと息子の物語を受け取った後、こう言いました。

「 ーーー それが、おまえの出した答えか 」

「 はい、父上 」

「 しかし息子よ。おまえの答えを審議する三枢機卿がおまえの出した答えをどう判断するか、それを想ったことはあるか?」

「 はい。すなわち、王にふさわしくないとの判断を下されるかと。しかしながら、もしここで自分の思う答えと違う答えをしその答えが父上や三枢機卿に認められたとしても、今度は私が、自身の決断を曲げた私自身を王にふさわしくないとみなすでしょう 」

 王子さまが父王さまの目を見てこう答えると父王さまは頷いて

「 おまえは、自分の頭でしっかりとものを考えられる一人前の大人になった。父親として私はそれを心から嬉しく思う。たとえ、三枢機卿がそれを認めなかったとしてもだ。おまえはこれからも、その誇りを忘れてはいけないよ 」

 父王さまと心からの言葉を交わして、王子さまは自分の寝室へと戻りベッドに入りました。そして明日に備えて眠ろうと目を閉じます。けれど、自分で納得してしまいこんでいたはずのいろいろな不安が、なんとか自分を押さえつける蓋を跳ね除けて王子さまを迷わせようと暴れます。

 そこで王子さまはその不安たちを鎮めてやるために、夜の国について想うことにしました。くるくるよく動くりすの夫婦、人工衛星と暮らすうさぎのお餅屋さんのこと、思い出を大切にし続けるおふとん屋さん、虹玉レンズ、ハルイチ、そして「ウタ」という魔法を使う魔法使い……やがて、王子さまの頭の中にまたあの「ウタ」が微かに聞こえてきました。そのウタに耳を傾けていると、少しずつ少しずつ、暴れていた不安が大人しくなってきてまぶたも少しずつ重たくなってきました。呼吸が段々と深くなっていく中で、王子さまはリスの夫婦に教わったあの 「 お祈り 」 のことをふと思い出しました。やがてふわふわと夢の世界に入る刹那、王子さまはあの夜の国の挨拶の言葉を少し変えて、誰にともなしにこう祈りました。


 どうかこの世界の善き人たちに、良き夜が訪れますように。


 おやすみなさい。




                (終)


ご読了ありがとうございました。

次回、また近い内にまったく毛色の違う長編を投稿したいと思います。

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