結 - 金柑ジャム
4人は賑やかに話しながら化学室に戻った。
化学室には誰もいなかった。4人が驚いたことに、金柑はすべて種取りが終わり、ボウルに入れてラップがかけられていた。
机の表面にはテキストウィンドウが残されていた。
【処理完了。図書室にいる。 - 部長】
ミユウは、自分たちが休憩をとる前に残っていた金柑の量を思い出した。
ミ「すごい、あの量を一人で?」
シ「バケモノか! …いや、あの部長なら、やれるかもな。」
4人は水道で手を洗い、外の埃を落とした。
部長のメッセージを消去すると、机にはレシピの続きが表示された。
【(4)種を取った実を、フードプロセッサで細かくします。】
ミ「はい、フープロですね。」
ミユウは機械を取り出した。百年ほど前に発明されて以来、基本的な形は変わっていない。透明な円筒形の容器があり、その中央を軸に回転する刃を取り付けてある。容器を囲むように白い台座があり、透明容器を支える場所にモーターを内蔵している。このモーターで刃を駆動し、食材を粉砕する。
ミユウは金柑をふたつかみフードプロセッサの容器に入れ、スイッチを入れた。強力なモーターは甲高い音をたてて回転し、果実をペースト状に切り刻んでいく。
金柑は大量にあるので、何度かに分けてフードプロセッサにかける。
3回目の途中で、電子音が鳴り、モーターが停止した。
ミ「えっ!? 壊れた?」
マ「おっと忘れてた。温度設定だ。」
刃の摩擦熱で材料が変質することがあるので、フードプロセッサには温度センサが載されている。温度が しきい値を超えたので自動停止したのだ。
マリカは台座の側面のタッチパネルを操作し、設定温度を上げた。
フードプロセッサは再び果実を砕き始めた。
すべての金柑を粉砕し終わった。フードプロセッサの中からスプーンで鍋に掻き出す。
大きな鍋ふたつが金柑ペーストでいっぱいになった。
シ「あとは鍋で煮るだけだよな? んじゃ、フープロとかボウルとか、食洗機の第一便で回すよ。他に洗うものは?」
ミ「あ、はい、さっきお茶飲んでたコップ、お願いします。」
2人は使用済の食器を、窓際の食器洗い機に入れた。
スイッチを入れると、まず庫内のセンサが食器の量・汚れ具合・付着物の成分を検出する。洗剤タンクから最適な洗剤が配合される。ポンプが唸り、ぬるま湯と洗剤を吹き出す。
いっぽう机では、マリカとコアが次の手順を確認している。机に表示されているのは、
【(5)砂糖を入れ、少し水を加え、焦がさないように煮詰めます。】
マリカは鍋のひとつを持った。
その横にコアが近づく。手には砂糖の瓶を持っている。
コ「砂糖って何グラム入れるの?」
マ「甘いのが好きなら金柑1に砂糖1、すっきりめが好きなら金柑1に砂糖0.5くらいの割合ですね。」
コ「その金柑って何グラムくらい?」
マ「そうですね…ちょっとわかりません、計ります。」
マリカは鍋を置き、机の表面に触れて、重量計アプリを起動した。机は鍋に内蔵されたIDチップを読み取り、鍋の仕様データから重量を参照する。タッチパネルにかかる力から鍋の重さを引いて、金柑の重さが表示された。
コ「甘くしたいから金柑と同じ重さの砂糖を入れればいいんだよね?…ふァっ!?」
コアは金柑の重さを見て驚いた。同量の砂糖となると、1kgの袋をいくつも空けることになる。コアはその砂糖のカロリーを計算できなかったが、なんとなく物凄い量という感じがした。コアは絞り出すような声で言う。
コ「…砂糖じゃなくて、ゼロカロリー甘味料にする。」
マ「いやいや、これ全部コアさんが一人で食べるわけじゃないですから。それに、本物の砂糖を入れるのは、理由もあるんですよ。雑菌から水分を奪って、長持ちするようにしてるんです。人工甘味料だといまいち菌を抑えられないんです。」
コ「…じゃあ、砂糖は半分にして、あと半分は甘味料にする。」
コアは棚と机を何往復かして、1kgの砂糖袋と、500gの人工甘味料の袋を、いくつか取り出した。
コアは考え込む。猫耳がぴくぴく動く。
コ「本当は3キロの砂糖を入れるんだけど、砂糖を半分にして残りは甘味料にするね。甘味料は砂糖の3倍甘いから、たとえば甘味料5グラムの甘さは砂糖15グラムと同じ。んで、砂糖の半分を甘味料に置き換えるわけだから…3キロの3倍で…9キロの甘味料を入れればいいんだね。」
マ「ち ょ っ と 待 て ! !」
マリカは思わず大声をあげた。
コアはわけがわからず、首を傾げている。
コ「 ? 」
マリカはため息をつき、肩を落とした。
マ「…いいです、うちが計算します…砂糖1.5kgと甘味料500gです。」
そこに食洗機組のミユウとシリマが戻ってきた。
マリカは試しにミユウに問う。
マ「ミユ、クイズ。砂糖3kgぶんの甘さが欲しいんだけど、砂糖の半分を甘味料で置き換えようと思うんだ。甘味料はユニットあたりの甘さが砂糖の3倍。砂糖と甘味料、それぞれどんくらい入れたらいい?」
ミユウは体の動きを止めて考えた。
ミ「んー、砂糖は半分にするから1.5キロでしょ、残りを砂糖1.5キロぶんの甘味料で置き換えるんだから…1.5キロの三分の一で、えーと…4.5キロ…って増えるわけないよね…うーん、1.5 割る 三分の一 は…電卓使っていい?」
マ「…べつに…いいんだよ…ミユはミユのままで…」
マリカはやれやれと首を振った。
ふたつの鍋に、適切な量の砂糖と甘味料を投入する。適切といってもキロ単位だから、袋から直接だ。
ミ「それーっ、どさどさーっと!」
コ「こっちも、どさどさーっ!」
しぜんと、ひとつの鍋はミユウとマリカ、もうひとつの鍋はコアとシリマ、という担当になった。
マリカは鍋をガスコンロの五徳に乗せた。コンロの画面に触れて
マ「煮詰める。スタート。」
と音声入力した。
火が点いた。食材の温度が低いうちは強火で、温度が上がったら弱火へ、自動的に火力が制御される。
マリカは木のへらで鍋の底をすくうようにかき混ぜる。金柑ペーストは粘度があり、へらを動かすには大きな力が要る。数分後、マリカはへらから手を放し、疲れた細い手首をマッサージした。
マ「交代して。」
ミ「おー。」
ミユウはへらを鍋の中部に差し込み、軽く回している。マリカはそれを見て、
マ「もっと力入れて! 底までしっかり! 焦げないように!」
ミ「こう? …お、重い…!」
女子の細い手首では辛い作業だ。
再び交代。ミユウは休んで、手首と肩を回しながら、
ミ「うー疲れたー。これはマニュピレーターが欲しくなるね。」
マ「マニ ピュ レータ、ね。欲しいけど、まだ高い。」
マリカが力を込めて鍋をかき混ぜる後ろで、ミユウは手首の電話から画面を引き伸ばして、家電販売サイトを表示した。調理器具カテゴリの中に、ミキサー・フードプロセッサー・マニピュレーターのコーナーがあったので、ミユウはそこを開いた。
調理用マニピュレータは、煮込む・炒めるといった作業を自動化する調理家電だ。直径40cmほどの金属の枠がある。枠には二つの金具があり、これで鍋の取っ手に固定する。枠には6自由度の関節をもつロボットアームが搭載されている。アームの先にはアタッチメントを装着できる。アタッチメントには、へら、おたま、菜箸などの種類がある。
ミユウはその値段を見て、息をはき、そっと画面を閉じた。
交代で鍋をかき混ぜ、20分〜30分かけて煮詰めた。
金柑ジャムが完成した。
冬だというのに、5人とも汗をかいている。
ミユウはガラス瓶をいくつか取り出し、机に並べた。大きめのスプーンを使って、さっそく鍋から瓶に金柑ジャムを移そうとする。
マ「待って!」
それをマリカが慌てて止めた。ミユウは怪訝な顔をした。
少し離れた場所から、シリマが口を挟む。
シ「そうそう、瓶を殺菌してからだよ。」
シリマは棚から二つのスプレーを取り出した。どちらにも同じ製品名のラベルが貼られているが、色はそれぞれ異なる。ラベルには小さめの文字で、片方は「A液」、他方は「B液」と書かれている。
シリマは手早く、A液をすべての瓶とフタにスプレーした。シリマは瓶に眼を近づけて塗布状態を確認したあと、次はB液を瓶とフタにスプレーしていった。さらに、大きめのスプーンひとつ、人数分の箸を取り出し、その先にもA液・B液を塗った。
シ「この反応を待つときって、なんかわくわくするよね。」
コ「えー? しないよぉ。」
化学反応が起きるのを待っている。
マ「うちの家で作るときは、ばーちゃんのやり方に従って煮沸消毒ですけど、面倒で。」
A液とB液が反応し、食器の表面を殺菌した。さらに反応が進み、固形の膜になった。
シ「よしっ! できた。」
全員、箸を持った。箸の先から膜を剥がす。その箸を使って、瓶とフタからも膜を剥がす。
ミ「ぺりぺりっと…やった! 破れずに一枚で剥がせた! ほら見て見て!」
マ「おお、すごい。」
このようにして殺菌した瓶に、殺菌したスプーンを使って鍋からジャムを移し、フタを閉めた。
ミユウは瓶を手に取って、嬉しそうに眺めた。
ミ「おー、本物っぽい!」
マ「条件と運が良ければ一年くらいは保つけど、まあ、3ヶ月くらいで食べきったほうが無難だね。」
全員に複数の瓶が行き渡った。
鍋の中にはまだジャムが残っていたので、殺菌していない普通のバイオプラ容器に入れた。
マ「こっちは早めに食べるほうにしましょう。2〜3週間くらいですかね。」
シリマは髪からバレッタを外した。長い黒髪が肩にかかり、流体のような曲線を描く。
シ「よーし、さっそく食べてみよう。ロシア風のお茶会にしようか。」
コ「紅茶にジャムを入れるってやつ?」
シ「ちょっと違う。ロシアでは、お茶うけのお菓子として、ジャムをそのまま食べるんだ。」
コ「ふーん…?」
コアは怪訝な顔をした。
ミ「おー、その方法なら、ジャムそのものの味がはっきり分かりそうですね。」
シ「まあ、それだけじゃ飽きるだろうから、あとで食パンやクッキーも出してこよう。」
鍋やスプーンを食洗機に入れ、机を拭いた。
4人分のカップを出し、ティーサーバーから紅茶を注ぐ。
簡素だがセンスのよい模様が描かれた小皿を4枚出し、そこに一盛りずつ金柑ジャムを置く。
机の表示を切り替え、淡い柄の画像を並べて表示すると、テーブルクロスのように見える。
さらに、小さな花束の3Dスキャンデータをネットから拾ってきて、真上から見た映像を机に表示しておく。
コアは満足げに猫耳をぴんと立てた。
コ「こうするとファッかわ〜! 化学室じゃないみたーい。」
それにミユウがいたずらっぽい表情で答える。
ミ「ねー、「ごきげんよう、お姉さま」とか「タイが曲がっていてよ」ってセリフが似合いそう!」
マ「 ? 」
マリカがきょとんとしている。
ミ「なーにー? 平成文学の有名どころだよ、読んだことないの?」
コ「これだから理系は〜。」
文系の2人はマリカを笑う。
マ「なんだよー、さっきの仕返し?」
しかしマリカの目は笑っている。
紅茶のカップ、金柑ジャムの小皿、スプーンが配られた。そして
全員「いただきます!」
金柑ジャム。粘性の高い黄金色。つやのある蜜が、均一に細かく砕かれた柑橘の皮を包み込んでいる。
ミユウは初めて体験する食べ物を慎重にスプーンですくって口に入れた。まず、煮詰めた砂糖と甘味料の蜜の甘味、それに混じった柔らかな酸味。次は予想外で、ミントのように爽やかな香味が鼻に抜ける。粉砕された金柑の皮は濃厚な舌触りだった。
きゃっきゃうふふ。
冬の日は短い。4人の少女はすっかり暗くなるまで、紅茶とジャム、それと誰かの噂話で盛り上がった。