承 - コアとシリマ
ミユウとマリカが大量の金柑をザルで水洗いしていると、他の部員が化学室に入ってきた。
女子がふたり。身長が低めの者と、高めの者。どちらも2年生。
背が低いほうの名は、リ・コア (李 己愛)。スカートは短く巻き上げている。足にはニーソックスを履いている。ソックスの上端とスカートの下端の隙間からは、ふとももの白い肌が見え隠れする。顔のパーツは曲線的で、どこか愛嬌がある。背は低めだが胸は平均より大きいので、誇張した表現をすると「ロリ巨乳」になる。髪は軽く茶色に染めたセミロングで、ゆるふわウェーブ。
その髪をまとめるカチューシャには、髪の色と似た柄の猫耳がついている。猫耳は人工筋肉でぴくぴく動いている。カチューシャの先にはセンサと骨伝導スピーカーが付いている。このカチューシャは聴覚補助器具だ。
コアは得意気にしゃべりながら化学室に入ってきた。
コ「…だよ。まったく彼氏がいると面倒でしょうがないよ〜。」
コアの姿を見たミユウは、心の中でつぶやく。
ミ.oO(コアさんって特徴がありすぎて逆に打ち消しあってるというか…絵の具をぜんぶ混ぜると灰色になるみたいな…そんな感じだよね。)
コアの後から入ってきたのは、身長170cm、スリムだが女性らしい曲線を描く体型の、オニザワ・シリマ(鬼沢 志理麻)。髪は漆黒のロングストレート。顔つきは東洋人とも西洋人ともつかない、ガンダーラ彫刻を思わせる輪郭で、神秘的な印象を与える。
シリマはコアに答えて、
シ「そっか、ならあたしは、胸は大きくならなくていいや。」
コ「そんなこと言ってるから彼氏できないんだよ〜。ほら、しーまんって胸じたいは平均的なんだから、服を工夫すればさぁ、コアみたいにってわけにはいかないけど、たぶん…」
シ「あ、もう一年、始めてるじゃん。じゃあ、これも洗っといとくれ。」
コ「スルーかよ!」
シリマも、量は少ないが、金柑が入った袋をひとつ持っていた。シリマはそれを、マリカの水洗いザルに追加した。
ミユウは金柑を洗いつつ、シリマを横目で見る。
ミ.oO(しーまさんって細身だけど出るとこは出てて、本当、モデルみたいなスタイルだよね…だけど、言葉使いがおじいちゃんみたいだし、歩くとき ちょっとガニ股になるのが残念…。)
化学室に5人の料理部員が揃った。
果実の水洗いが終わると、シリマは机の表面をタッチして、今日のレシピを表示させた。
【 == 金柑ジャム == (1)鍋に実とひたひたの水を入れ、約5分煮ます。湯は捨てます。金柑のスーッとする風味が苦手な人は、2〜3回 煮こぼしてください。 (2)ざるで水を切り、水をかけて粗熱をとります。 (3)実を包丁で切り、フォークを使って種を取ります。】
シリマは机の表面を指で操作し、レシピを2枚にコピーする。一枚を180°回転させ、指ではじいて机の向こう側に座るミユウのもとに移動させた。
マリカは棚から小型のガスコンロを取り出し、机のガス元栓に接続した。ミユウは別の棚から鍋を取り出し、コンロに置く。
ミ「いちばん大きい鍋だけど…金柑がこれだけ多いと入りきらないね。」
マ「うん、コンロと鍋、もう一組出したほうがいいな。」
マリカはガスコンロをもうひとつ取り出した。それをシリマが受け取って設置した。コアが鍋を取り出す。
マリカはコンロの隅にある画面に指を触れ、コマンドを音声入力する。
マ「強火、沸騰したら温度を5分間維持、そのあと消火」
コンロは電子音を鳴らし、音声認識によるプログラム内容を画面に表示した。
ミユウは鍋に金柑と ひたひたの水を入れ、コンロに置く。コンロの画面に指を触れ、
ミ「スタート」
と命じる。机の向かい側で、シリマも同様にしてコンロを起動した。
コンロが自動的に点火した。強火で加熱する。数分後、温度センサが鍋の水が沸騰したことを検知した。コンロは自動で火力を制御し、最少の燃料で沸騰を維持する。
湯気とともに、甘酸っぱい匂いが化学室に充満する。
金柑を煮ている間、女子たちがしゃべる。
コ「すごく…多いね…」
コアの猫耳があちこちに向きを変える。
マ「今年はちゃんと肥料管理したんですよ。親の土壌マルチメータ借りて。」
鋭角的なあごに手をそえて、マリカは少し頬を緩めて言った。
シリマはカバンからバレッタを取り出し、長い黒髪を後頭部でまとめながら言う。
シ「N, P, K …だっけ?」
マ「そうです。あと pHや苦土も調整します。」
シ「クド?」
マ「マグニーシウムです。」
マリカはマグネシウムを英語風に発音した。マリカが生まれるずっと前から、理科の授業は英語で行われるようになっているのだ。
シ「そうか、クロロフィル、葉っぱの材料か。」
2人のやりとりを聞いて、ミユウのポニーテールが揺れる。
ミ.oO(マリカと しーまさんが仲良く話してると、なんかモヤモヤするんだよね…)
コンロが消火し、プログラムが終了したことを電子音で知らせた。
女子たちはザルを使って湯を捨てる。甘酸っぱく爽快な香りの湯気が立ち上る。
ザルに満杯の熱い実に、冷たい水道水をかけ、粗熱を取る。
机の片側にミユウとマリカが座る。もう片側にはシリマとコアが座る。
それぞれの目の前には、ザルに入った、山盛りの金柑が置かれていた。
シ「どう作業すっかね…マリカ、任せるよ。経験者なんだろ?」
マ「包丁で実を半分に切る係と、切った実からフォークで種を取る係。これを2ラインでいきましょう。」
それを聞いたミユウが立ち上がって、棚から まな板と包丁、フォークを取り出した。
マ「さんきゅミユ、うちが包丁やるね。えーと、茹でた実はヌルヌルしてるので注意してください。」
シリマも同様に道具を取り出して、机に置いた。机に表示されたレシピが、まな板をよけて移動する。
コ「じゃあコアはフォークで、しーまんは包丁ね。」
そして作業が始まった。
マリカが果実を切る。ミユウが種を取る。
シリマが果実を切る。コアが種を取る。
黙々と作業を続ける。
フォークで種を取る速度よりも、包丁で果実を切る速度の方が速い。よって、切られた果実がミユウとコアの前に積み上がる。やがて包丁係のマリカとシリマも、棚からフォークを持ってきて、種を取る作業に参加した。
山盛りの実は、全員で作業しても、なかなか減らない。
コ「飽ーきーたー!」
シ「早ぇーよ!」
コアはさっさと水道で手を洗い、手首に巻かれた電話の画面を引き伸ばし、ファッション雑誌を読み始めた。
机の反対側からは、
シ「けっこう、酸が皮膚に染み込んで、痛痒くなるね。」
ミ「だよねー。」
といった声も聞こえる。
シ「よし、ちょっと休憩しよう。」
コア以外の3人も、フォークを置き、水道で手を洗った。未処理の金柑の山と、種を取って皮だけになった山を見比べる。
ミ「半分…くらいは…行ったかな?」
マ「休んだら、また頑張ろう。一年に一回の作業だ。」
ミ「こんなのを毎年やってたの!?」
机の反対側で、シリマが立ち上がり、伸びをした。
シリマは床に置かれた大きめのバッグを見つけた。半開きになっている。
シ「おっと、部長のカバンか。ちょうどいい。ちょっと借りるよ。」
シリマがバッグから取り出したのは、バスケットボールだった。
シ「外でちょっと体動かすべ。2 on 2 やろう!」
ミ「えっと…」
マ「やります!」
躊躇したミユウだったが、マリカの参加表明を聞いたら即座に言う。
ミ「はい私も!」
3人の女子が合意した後も、コアは手首から伸びた画面で、〈私服とバッグ特集〉を見ている。
シリマはコアの脇腹…というか乳房の側面あたり…を指でつついた。
コ「み゛ャっ!?」
コアは文字通り椅子から飛び上がった。シリマは平然と
シ「バスケ。2対2。やる? そういやコアって最近、女性的っていうか、体のいろんなとこが丸くなっ」
コ「やるもん!」
4人の女子は化学室を出て行った。
そして化学室には一人の男子生徒が残された。彼は黙々と金柑の種を取りつづけている。料理部唯一の男子で3年生、部長である。あまりに存在感が薄いので、情景描写から省略されるほどである。