強襲
上を見上げれば、突き抜けるほど青い空に太陽は高く上り、真っ白な雲の隙間から日差しが降り注いでいた。
頭を振って視線を戻すと陽光に透ける青々とした木々が視界を埋め尽くし、馬が地を蹴る音と森の木々のざわめきだけが鼓膜を震わせる。
砂漠や岩の多い草原を抜けて、切り立った崖の見える深い森に入る頃には私もようやく落ち着いてきた。
冷静に考えるとものすごく恥ずかしい。
もうハタチにもなるのにあんな風に取り乱してしまって、穴があったら進んで飛び込みたいくらいだ。
深くため息をついて大きく息を吸うと、冷たく湿った土の匂いと草木の少し青臭い香りが肺腑を満たす。
よし!腹に力を入れて自分に渇を入れた。
どうしてこんなことになってしまったのか考えても詮無きこと。
当面の目標は無事に日本に帰ることだ!
ならばまずは自分の状況を知ることから始めよう。
「アル、ちょっといい?」
「なんだ?」
背を向けたまま返事するアルに、一拍置いて聞きたいことを反芻しながら質問する。
「アルは王族なのになんで国外に居るの? 」
それが普通なのだろうか。それとも、何かトラブルに巻き込まれてのことだろうか。
「聞いてどうする」
アルから返ってきたのはそっけない返事だったが、私もアルがそう簡単に自分のことを教えてくれるとは思っていない。
「自分の状況を知ろうと思ってね。今の自分の状況によって今後とるべき行動と言うのも変わってくるでしょう?」
正直に答えると、暫くの沈黙があってアルが答えた。
「取るべき行動、か。何を知ったところでお前の取れる行動はそう多くは無いと思うがな」
「それでも知っているのと知らないのでは心持ちが大きく違うから」
冷たく突き放すような言い方をされても冷静に、だが譲らないという意志をこめて言うとアルはやや間を開けて話してくれた。きっと呆れているのだろう。
「我が国でも通常、王族は王宮で暮らす。だが、私は事情があって国を離れていた。しかし、少し前に先王が崩御したとの報告があったのだ」
「だから、王都に向かっている?」
「ああ」
ならばアルが後を継ぐということなのだろうか?
だとしたら私は相当面倒くさいことに巻き込まれそうな気が……。
それを問おうとしたら爽やかな青空を背景に微笑むソルさんにぐっさりと釘を刺された。
「僭越ながら、それ以上は詮索しないほうが宜しいのではないでしょうか」
青空に黒いものが漂っている気がする。これはソルさんの殺気なのか?こ、怖っ!
「アルデンシア様も」
「なんだ?」
「お楽しみのところ申し訳ございませんが、あまり甘やかすとクオリのためにならないかと」
「ふん、わかっている」
え、甘やかされていたのですか私は。
ごめんなさい、ちっとも気づきませんでした。
「情報を得たければ自分の力で得ることです。手段はクオリしだいですけどね。私達はクオリの僕ではないのです。望みがあるのならば自分で何とかしなさい。それくらいできないとここでは到底生きてゆけませんよ」
ううん……ソルさんの言っていることは至極正しい気はするのだけど、
そうか、それくらい出来ないと生きてゆけないのか。
因みにこの場には私とアルとソルさんしか居ないので、私が情報を得るには二人から得るしかないのだが。
「別に腕に物を言わせて聞き出してくれても構いませんよ」
出来るなら、ですが。とソルさんはにっこりとした笑顔を形作る。
釣られて私も形ばかりの笑顔を返す。
はははは……どれだけ厳しいんだ、この世界。
「アル、助けて」
ヘルプミー!
藁にもすがる思いでアルの背中を軽く引っ張るとアルはちらりと後ろを振り返って鼻で笑いやがりました。
「見返りは?」
私はもう、泣くを通り越して笑うしかなかった。
「二人とも性格悪いにもほどがある……」
ぼそりと呟くとアルは低く笑った。
「わかっているならなぜ逃げない?まさか、私の傍に居ると安全だと取り違えるほど愚かでもあるまい」
「逃げても逃がしてくれなさそうじゃない」
「当然だな」
「後は……そうね、本当にイヤだったら逃げると思うんだけど、不思議とそういう気持ちにはならないかな。一応アルとソルさんは命の恩人でもあるわけだし」
「砂漠でのことか。つまらん理由だ。その程度、身を危険にさらす価値も無い」
「何に価値を見出すかはその人しだいでしょ。アルにはつまらないことでも私にはそうでないってことでいいじゃないの」
「……クオリ、お前はこの世界では長生きしそうに無いな」
振り向き、アルは珍しく苦笑した。子供の癖に浮かべる笑顔はまるで危なっかしい幼子を見つめるようだった。
だがそれはいつもの人を見下すような笑顔とは違って、ほんの少しだけ、優しく見えた。
「む、酷い言われよう。―――そこまで言われたからには、意地でも生き抜いて無事に帰ってみせないとね」
アルの目を真っ直ぐ見つめて笑って見せると、アルが何か言おうとしたところでからからと乾いた音が耳を打つ。
音のするほうを見上げると、その崖の上から小さな石が降ってきたようだった。
その大きく切り立った崖は馬四頭分くらい離れた場所にあったが、それでも迫力たっぷり。
「大きな崖だけど、先の方が崩れでもしたら怖いなぁ、なんてね」
笑いながらいうとアルはにやりと笑った。
「よく気づいたな。正解だ、馬を走らせるぞ!」
ソルさんはアルの言葉に無言で頷いて馬を走らせる速度が急激に上がった。
馬上が大きく揺れてとっさにアルにしがみつくと、激しい今の足音に混じって不吉な音が聞こえてきた。
地を打つ石の軽い音に混じって地響きが体に響くような大きな音までする。
顔を上げて横を向くと、直ぐ横に直撃しようものならぺらぺらに押しつぶされてしまいそうな程大きな岩がたった今、振ってきたところだった。
悪寒が背を走って手のひらにじっとりとした汗が滲む。
アルは上手く馬の手綱を操って岩をよける。こんなときになんだが、素晴らしい腕前だった。
それでも、お尻は浮くし痛いし、私は振り落とされないようにしがみ付くのが精一杯だ。
何もできない自分が不甲斐ない。
せめて邪魔だけはしないように、としがみ付く場所を最小限にして体を小さくしていると不意にアルが声を張り上げた。
「クオリ、しっかり摑まれ。飛び降りるぞ」
「ええ!?」
慌てて顔を上げると砂煙が酷くてアルの背中以外何も見えない。
とっさに行動できなくて、言われたとおりにアルに摑まろうとしたところ
横から体ごと殴られたような衝撃を受けて、全身がふわりと浮いた。
あ、と言葉を発する間もなく内臓がひっくり返ったような妙な感覚が体を支配し、地面に叩きつけられることを想像して目をきつく瞑る。
直後、私が感じたのは地面に叩きつけられる衝撃ではなく、もっと違うものの上に落ちたような感覚だった。
「あれ……痛くない」
恐る恐る目を開けるとそこにはアルの顔があった。
「ふん、本当に……面倒なものを拾ってしまったものだな」
感情が凍ってしまったような冷たい瞳で言うアルにはいつもの覇気がなく、白い額からつう――と鮮血が滴り、私の頬に落ちる。
「あ、アル!?血が……!!」
「五月蝿いぞ、わめくな」
跳ね上がるように体を起こして木の幹に寄りかかるようにして腰掛けていたアルの両肩をつかむと、アルは瞳を伏せて低く呟いた。
「ごめんなさい、どこか痛むところはある?頭を打ってしまったのかな……」
質問してもアルは答えない。
気絶してしまったのだろうか?
もし、頭を打ったのだとしたら下手に動かすのは良くない。
まずは地面に寝かせて気道を確保して、それから―――必死に応急処置のやり方を思い出していると、後頭部に、ごーん!なんて冗談みたいな音が響いて私の意識は途切れた。
嘘でしょ……!!
取り急ぎ、投稿。
帰ってから、見直し、修正します。