第384話 中核へ届く声
インペリウム中核防壁に、小さな裂け目が生まれた。
命令で閉じた最後の壁。
皇帝府防衛規定と旧命令層残滓が重なった、黒金の巨体の最奥。
そこに、命令ではない余白が穴を開けた。
だが、それは大きな道ではない。
数秒。
わずかな幅。
カイトが機体を滑り込ませるには、まだ狭すぎる。
防壁はすぐに再構成を始め、インペリウムはその裂け目を閉じようとしていた。
『中核防壁、再構成』
『無署名反応、排除処理』
『命令層残滓、補助閉鎖』
『PT反応照合波、再展開』
『空間固定フィールド、裂け目周辺へ配置』
インペリウムは、全てを再び命令で閉じようとしている。
命令で塞ぎ、命令で繋ぎ、命令で守る。
それが、帝国最後の防壁の答えだった。
だが、ルクス側の答えは違う。
命令ではなく、連携で繋ぐ。
それぞれが、自分の判断で動く。
その全てを重ねなければ、中核へは届かない。
ルクス・ヴァルキュリア艦橋。
ジンは戦場表示を見つめていた。
裂け目はある。
だが、その周囲には新たな危険が集まっている。
PT反応照合波。
再同期補助波。
空間固定フィールド。
中枢砲撃の再充填。
中央GD部隊の強制突撃。
無人艦隊の盾列再形成。
本国防衛砲台の照準補助ノード再起動。
一つでも処理を間違えれば、カイトは中核へ届く前に固定される。
ユイが深く切りすぎれば、防衛規定ごと壊れる。
ミオの支援網が広がりすぎれば、インペリウムに再接続される。
レータとアミィの防壁が崩れれば、PT達の反応が照合波に飲まれる。
イリスの記録区画が破られれば、保護記録が命令復旧へ使われる。
これは総攻撃ではない。
全員が一斉に撃てば勝てる戦いではない。
必要なのは、順番と役割だった。
「全機へ」
ジンの声が艦内と戦場へ届く。
「インペリウム中核への進路を開く。広域攻撃は禁止継続。主砲封印。各自、役割を外れるな」
黒瀬が監査卓で続ける。
「中核突入は停止作戦として扱います。破壊目的への切り替えは不承認。保護記録、民間区画、通常軍指揮系統への被害を避けることを最優先とします」
ジンは正面を見た。
「カイト、突入路はお前が開け」
『了解』
「ユイ、命令層残滓の線だけを切れ。防衛規定には触れるな」
『はい』
「ミオ、退避路と帰還線を維持。撃たない場所を残せ」
『了解』
「レータ、アミィ。PT反応照合波と再同期波を受け止めろ」
『任せて』
『はい』
「イリス、記録を守れ。命令復旧用の記録と保護記録を混ぜるな」
『分かりました』
「ナユ、本命の中核位置を示せ。セラ、撃つのは一点だけだ。レイ、リン、切るのは開いた外殻だけ」
『了解しました』
『一点だけ撃つ』
『斬る時を選ぶ』
『守るために、切り開きます』
通信に、それぞれの返事が重なった。
命令ではない。
確認だった。
ロス・セレネの中で、ナユは残響を絞っていた。
中核防壁の裂け目は、ノクスと無署名の波形によってかろうじて開いている。
しかし、インペリウムはその奥に複数の偽中核反応を作っていた。
命令層残滓の反射。
皇帝府防衛規定の疑似核。
砲撃機構の認証核。
PT反応照合波の補助核。
どれも本命に見える。
だが、違う。
ナユは、その奥を探る。
命令の反響ではないもの。
防壁の表面ではなく、実際に中核を支えている場所。
前に見つけた防壁発生器より、さらに奥。
黒金の巨体の中で、すべての命令が折り返している一点。
「……そこ」
ナユは目を開いた。
表示に、中核位置が浮かぶ。
外殻損傷部の奥。
裂け目のさらに内側。
普通に進めば空間固定フィールドに捕まる場所だが、セラが一点を撃ち、レイとリンが外殻を開けば、数秒だけ通れる。
「本命を示します」
ナユは通信を開く。
「命令の反響じゃありません。中核そのものの残響です」
セラは、ナユが示した一点へ照準を合わせた。
標的は小さかった。
中核外殻の補助固定具。
そこを撃てば、裂け目が一瞬広がる。
だが、少しでもずれれば、防壁片がカイトの進路へ流れる。
撃ちすぎれば、中核外殻ではなく防衛規定の層へ衝撃が伝わる。
一発。
それ以外はいらない。
セラは息を止めた。
目標破壊優先。
射撃命令受諾。
そんな古い記録は、もう聞こえない。
今、彼女が撃つのは、命令されたからではない。
ナユが見つけた。
ミオが撃ってはいけない場所を守っている。
カイトが進む。
レイとリンが待っている。
だから、撃つ。
「撃ちます」
セラの一発が走った。
光は中核外殻の一点へ正確に突き刺さる。
外殻の固定具が弾け、裂け目がわずかに広がった。
「今」
レイとリンが動いた。
二つの刃が、左右から裂け目へ入った。
レイは前へ出すぎない。
リンも守るべき線を超えない。
斬るのは、外殻そのものではなく、セラが撃ち抜いた一点から広がった補助固定線。
そこだけを切る。
中核へ繋がる進路を開くために。
レイの刃が、黒金の固定具を裂く。
リンの刃が、再閉鎖しようとする補助線を断つ。
空間固定フィールドが二人を捕らえようとする。
だが、ミオの支援網が先に警告を出していた。
『レイさん、右後退! リンさん、上へ抜けて!』
レイは刃を引く。
リンは機体を上へ逃がす。
固定フィールドが、二人のいた空間を閉じる。
だが、捕まえるものはなかった。
斬りすぎない。
待つ。
必要な時だけ切る。
その判断が、二人を戻した。
裂け目がさらに開く。
インペリウムは即座に反応した。
『中核防壁、損傷』
『再同期波、展開』
『PT反応照合、再実行』
『対象A、対象L、相互補完構造へ照合』
『対象Y、命令層切断能力保持個体として遮断』
PT反応照合波と再同期波が、裂け目の周囲へ広がる。
中核へ近づくために、PT達を分類し、遮断し、命令へ戻そうとする。
その前へ、ヴァルクレイド・セレスが出た。
レータが機体制御を握る。
アミィが支援波を重ねる。
《セレス・バスティオン》が展開した。
防壁の表面に、分類の文字が叩きつけられる。
対象A。
対象L。
相互補完構造。
系列管理逸脱。
アミィは、またその言葉を聞いた。
逃げずに、聞いた。
その上で、言う。
「私は、アミィです」
照合波が揺らぐ。
「私は、戻りません」
レータが隣で笑う。
「うん。隣にいる」
セレス・バスティオンが前へ押し出される。
PT反応照合波が、防壁の外側で弾かれた。
アミィは震えていた。
だが、声は消えていなかった。
ノクス・レクイエムの操縦席で、ユイは裂け目の周囲に絡みつく命令層残滓を見ていた。
防壁を完全に切れば、進路は広がる。
だが、それでは皇帝府防衛規定まで巻き込む。
切るのは、命令層残滓の線だけ。
閉じようとする命令の線だけ。
中核を守るための最低限認証には触れない。
ユイは、ノクスの刃を細く伸ばした。
「一人では切りません」
彼女は自分に言う。
そして、通信の向こうにいる仲間へも言う。
「切った後を、渡します」
ミオが答える。
『受け取る』
イリスが答える。
『記録は守ります』
カナデが答える。
『声は見ています』
カイトが答える。
『道は、俺が進む』
ユイは頷いた。
ノクスの刃が走る。
命令層残滓の線だけが、裂け目の周囲から剥がれていく。
インペリウムが再接続しようとする。
だが、ミオの支援網がその空白を受け取る。
ミオの《ルナ・ドール・リンク》は、もう限界に近かった。
それでも、支援網は崩れない。
撃たない領域。
帰る場所。
退避路。
ルクス本体の防御線。
カイトの突入路。
レイとリンの離脱経路。
セラの射線。
ナユの残響索敵線。
レオン隊の通常軍手動回線。
それらを、命令ではなく支援で繋ぐ。
インペリウムは、全てを命令で再接続しようとする。
ミオは、必要なものだけを支援で繋ぎ直す。
「ここは撃たない」
ミオは呟く。
「ここは帰る場所。ここは通す場所。ここは守る場所」
バリスタが砲台補助ノードを止める。
ファランクスが防壁片を受ける。
リーフガードがカイトの突入路に保護線を敷く。
支援網が、裂け目へ向かう道を作った。
イリスは、記録区画で中核へ向けた記録層を開いていた。
インペリウムは、保護記録の再分類用コピーを求め続けている。
アミィの自己応答記録。
ユイの切断記録。
ミオの支援網記録。
セラが撃たなかった記録。
レイとリンが待った記録。
ナユが見つけた記録。
それらを、命令復旧の材料にしようとしている。
イリスは、それを拒む。
「保護記録は渡しません」
彼女は静かに言った。
「でも、命令ではない記録は、重ねます」
中核へ送るのは、再分類用コピーではない。
命令ではない記録の署名。
彼女達が、自分で選び、待ち、撃たず、斬らず、支え、名乗った記録。
インペリウムの中核防壁に、それが薄く重なる。
命令で閉じようとする壁に、命令ではない記録が触れる。
それは防壁を壊さない。
だが、命令だけで閉じることを、少しだけ遅らせる。
「これは、命令ではありません」
イリスは言う。
「私達が、残したかった記録です」
外部防衛網では、カイルがレイヴン隊を率いて無人艦盾列を抑えていた。
インペリウムは、裂け目が開くたびに無人艦隊を盾として押し込もうとする。
カイルは、それを派手に壊さず、外周から崩していく。
「おい、盾を戻させるな。管制部だけ外せ」
『了解』
「爆散させるなよ。破片がルクスに戻る」
『隊長がそれ言います?』
「言う日もあるんだよ」
カイルは苦笑しながら、レイヴン・ハウルで無人艦の姿勢制御部を撃ち抜いた。
盾列が崩れ、ルクスへの反撃線が一つ外れる。
レグナリア側では、レオンが通常軍と民間区画を守っていた。
インペリウムは、中央GD部隊を裂け目へ向けて強制突撃させようとしている。
そこへ通常軍の一部を盾として混ぜようとしていた。
「中央GD部隊、脚部を止めろ。有人機は退避路へ下げろ」
レオンの声が通常軍回線へ飛ぶ。
リュカのヘルメス隊が、強制管制に引かれかけた機体を誘導する。
『右! 右へ! そっちは中核じゃなくて巻き添えコースです!』
クラウスが記録する。
『通常軍回線、手動維持。インペリウム管制、拒否継続』
レオンはインペリウムを見た。
「帝国軍は、お前の盾ではない」
エリシオンの防壁が、中央GD部隊の突撃を押し留める。
防衛管制室では、リゼルが中枢防衛網の暴走停止を続けていた。
「本国防衛砲台、第六群、照準補助停止。第八群、民間区画側射線固定。カルディア・ベイの搬出ラインを再起動させるな」
技術官が叫ぶ。
「インペリウムが再度、統合照準を要求しています!」
「拒否。皇帝府停止命令、退避路保護規定、通常軍手動指揮を重ねて承認しろ」
「防衛効率がさらに低下します!」
「今は効率ではなく、被害を出さないことが防衛だ」
リゼルは端末から目を離さない。
敵に情報を渡す。
通常軍の手動判断を認める。
ルクス側の突入路を、結果的に支える。
どれも、以前の帝国中枢なら認めなかった判断かもしれない。
だが、今インペリウムへ全てを渡せば、帝国は命令の形へ戻る。
それだけは避けなければならない。
「中核防壁周辺の砲台線を外せ。突入路へ撃つな」
リゼルは言った。
「インペリウムを守るために、ネメシアを撃たせるな」
全ての役割が重なった。
ナユが本命を示す。
セラが一点を撃つ。
レイとリンが外殻を切り開く。
ユイが命令層残滓の線だけを切る。
ミオが空白を受け取り、帰還線を残す。
レータとアミィが照合波と再同期波を受け止める。
イリスが命令ではない記録を重ねる。
カイルが外部防衛網を抑える。
レオンが通常軍を奪わせない。
リゼルが防衛網を暴走させない。
ジンが主砲を封じ、破壊ではなく停止の作戦として指揮を通す。
インペリウムは、全てを命令で繋ごうとした。
だが、その場にある全ては、命令ではなく、それぞれの判断で繋がっていた。
裂け目が広がる。
中核への道が、数秒ではなく、突入できる幅へ変わる。
カイトは、アルタイル・ノヴァ・ブレイスを前へ出した。
ユイの声が届く。
『カイト、道が開きました』
ミオの声が続く。
『帰る道も、残してる』
アミィの声。
『照合波は、抑えています』
イリスの声。
『記録は、命令ではありません』
ナユの声。
『本命は、その先です』
カイトは、息を吸った。
目の前には、インペリウム中核への進路がある。
黒金の巨体の奥。
帝国が命令で守ろうとした最後の形の、中心。
そこへ届く道が、全員の判断で開かれた。
カイトは操縦桿を握り直す。
「届いた」
アルタイル・ノヴァ・ブレイスが、裂け目へ向けて進む。
「あとは、止めるだけだ」
インペリウム中核への進路が開いた。




