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第346話 オルフェン拘束

 オルフェンの観測ログは閉じられた。

 アミィの返事も、レータの言葉も、ユイの宣言も、監察局の記録装置には残らなかった。

 イリスが記録回路を遮断し、ナユが隠れた観測線を見つけ、ミオが支援網を閉じ、ユイが命令層接続を切った。

 レータとアミィの《セレス・バスティオン》は、反応値を外へ漏らさない。

 外縁部では、レオン隊が監察局の回収経路を封鎖している。

 観測者の目が、ひとつずつ閉じられていく。

 だが、オルフェンはまだ終わっていなかった。

 観測室。

 白い空間の奥に隠されたその区画で、オルフェンは沈黙した記録装置を見つめていた。

「記録不能」

 端末の表示は、それだけを繰り返している。

 対象Aの応答もない。

 対象Yの宣言もない。

 対象Lの言葉もない。

 対象Mの支援構造反応も、対象Iの記録遮断内容も、圧縮ログに残っていない。

 オルフェンは、ゆっくりと目を細めた。

「記録回路を閉じ、命令層接続を切断し、外部回収経路も封鎖」

 彼の声には、まだ焦りは少ない。

 だが、先ほどまでのような余裕も消えかけていた。

「なるほど。観測者を対象化する判断ですか」

 彼は別の端末へ手を伸ばす。

 監察局専用退避路。

 記録端末の遠隔送信。

 無人回収機。

 命令層残留線。

 通常軍への責任転嫁用ログ。

 それらが順番に表示される。

 オルフェンは静かに操作を始めた。

「では、撤収します」


 最初に動いたのは、外部退避路だった。

 中枢外縁部の監察局端末群が、隠し通路の出口を開こうとする。

 だが、その前にエリシオンが動いた。

 青白い防壁が外部退避路の前に広がる。

 監察局の小型端末群が警告を発した。

 退避経路妨害。

 監察局権限侵害。

 中枢防衛行動阻害。

 レオンは冷たく応じる。

『監察局員の退避経路を通常軍の防衛線に紛れ込ませるな』

 クラウスが報告する。

『外部退避路、三箇所確認。二箇所はエリシオン防壁で封鎖。残り一箇所へヘルメス隊を向かわせます』

 リュカの声が軽く入る。

『了解。逃げ道塞ぎか。今日は追い込み漁みたいだな』

『軽口はいい。記録装置を破壊するな』

『はいはい。端末は残して、道だけ潰す』

 ヘルメス隊が高速で外縁部を走る。

 監察局の回収用小型機が退避路へ向かおうとするが、ヘルメスが進路をずらし、ビーコンをかすめ取る。

 逃走路は一つずつ閉じられていった。


 中枢内部では、ナユが残響を広げていた。

『観測室から、別の通路が開きました』

 リンが即座に反応する。

『隠し通路ですか』

『うん。見えてる通路じゃない。壁の裏を滑るみたいに音が抜けてる』

 レイが刃を構える。

『なら、そこを開くか』

『待って。罠もある』

 ナユは慎重に音を聞いた。

 オルフェンの退避路は一つではない。

 見えている通路は囮。

 その裏に、監察局専用の細い退避経路がある。

 さらに、その側面には記録端末だけを逃がす小さな回収路も重なっていた。

『人が通る道と、記録だけを逃がす道が別です』

 ナユの声が硬くなる。

『人の道を塞いでも、記録が逃げる』

 黒瀬が通信に入る。

『両方止めます。ナユさん、座標を送ってください』

『はい』

 ナユは残響で見つけた二本の線をミオへ送る。

 ミオは即座に支援網を組み替えた。

『受け取りました。無人回収機のルート、こちらで押さえます』

 白い空間の側壁が割れ、針のように細い無人回収機が飛び出した。

 記録端末を抱えている。

 中枢内部の反応を持ち出すための監察局機だった。

 だが、その進路上に、ミオの支援網が閉じる。

『バリスタ、ビーコン狙撃。ファランクス、進路封鎖。リーフガード、通信線保護』

 GD-06 バリスタの砲撃が、回収機の誘導ビーコンを撃ち抜く。

 GD-11 ファランクスが、防御壁で回収路を塞ぐ。

 GF-07 リーフガードが、回収機から外部へ飛ぼうとする送信波を遮る。

 無人回収機は進路を失い、白い空間で停止しかけた。

 監察局側が遠隔操作を試みる。

 だが、イリスが記録送信を遮断する。

『記録送信線、閉じます』

 静かな声とともに、回収機の端末が沈黙した。

 イリスは続ける。

『記録は消しません。保全します。ただし、監察局へは渡しません』

 回収機は停止し、ミオの支援網内に固定された。


 オルフェンの観測室では、警告が増えていた。

 外部退避路、封鎖。

 無人回収機、停止。

 記録端末遠隔送信、遮断。

 命令層残留線、切断進行中。

 オルフェンは、次の手段へ移る。

 命令層残留線を使い、観測室の位置を別区画へ偽装する。

 同時に、通常軍側へ責任転嫁用ログを送る。

 監察局は中枢防衛に従事。

 通常軍は命令不履行。

 ルクス側侵入により中枢機能損傷。

 対象群暴走の危険性あり。

 そんな記録を作り、通常軍へ流し込もうとする。

 だが、その送信線も途中で止まった。

 外縁部で、クラウスが通常軍記録網を遮断していた。

『監察局から責任転嫁用と思われるログ送信を確認』

 クラウスはレオンへ報告する。

『内容は、通常軍命令不履行、ルクス側による中枢損傷、監察局端末喪失責任の転嫁です』

 レオンは即座に答えた。

『通常軍記録網へ入れるな』

『遮断しました。こちらの作戦記録と照合すると矛盾多数』

『保全しろ。改竄証拠になる』

『了解』

 レオンはエリシオンの中で、正面の監察局端末を見据えた。

『逃げるだけでなく、責任まで置いていくつもりか』

 その声は、低かった。

『監察局らしい』


 ユイはノクス・レクイエムの中で、命令層残留線を見ていた。

 オルフェンの観測室から伸びる細い線。

 命令層中枢の奥へ逃げ込むための線。

 切りにくい。

 人格形成記録の保護領域の近くを通っている。

 リクトの声が入る。

『ユイさん、左の太い線は切らないでください。それは保護記録側です。切るのは右下の細い赤線だけです』

「見えてる」

 ユイは切断波をさらに細くする。

 ノクス・レクイエムの出力は全開ではない。

 広域破壊系統も使わない。

 必要なのは、残留線だけを切る精密な切断だった。

 カイトの声が届く。

『前は任せろ。落ち着いて切れ』

「うん」

 ユイは息を整える。

「命令層残留線、切断」

 ノクス・レクイエムの薄紫白の刃が、白い空間の奥へ走った。

 細い赤線が、静かに断たれる。

 観測室の偽装移動が止まった。


 オルフェンの表情が、初めて明確に変わった。

 退避路は封鎖。

 記録送信は遮断。

 無人回収機は停止。

 命令層残留線は切断。

 通常軍への責任転嫁ログも届かない。

 それでも、彼は最後まで観測をやめなかった。

 観測室の扉を開き、退避用の白い通路へ歩き出す。

 その手元には、小型記録装置がある。

 直接持ち出すための端末。

 そこへ、今この瞬間の反応を保存しようとする。

「対象群、観測者への封鎖行動を実行。捕縛作戦へ移行。これは――」

 彼が記録装置を起動しようとした瞬間、白い通路の奥で光が走った。

 セラの狙撃だった。

 一発。

 それはオルフェンを撃ったのではない。

 彼の手元の記録装置でもない。

 その背後に浮かんでいた逃走支援端末だけを撃ち抜いた。

 端末が砕け、退避通路の制御が停止する。

 セラの声が通信に入る。

『逃走支援端末、破壊。本人は撃っていません』

 黒瀬が短く返す。

『その判断で正しいです』

 オルフェンは、砕けた端末を見た。

「撃たない射撃手」

 彼は小さく呟く。

「これも記録に――」

 記録装置は反応しなかった。

 沈黙している。


 次に動いたのは、レイとリンだった。

 ナユが示した突入経路は狭い。

 正面から進めば、監察局の罠にかかる。

 だが、左右の偽通路を斬らずに待ち、ナユが見つけた本当の通路だけを開けば進める。

『リン、右の外殻』

『了解しました』

『レイさん、左の支柱は斬らないでください。そこは罠です』

『分かってる』

 リンのヴァイス・リッパー・リビルドが、右側の隠し外殻を切り開く。

 レイのヴァナルガンドが、左ではなく中央奥の固定節点だけを断つ。

 二機の刃が、オルフェンの退避通路へ続く道を開いた。

 斬りすぎない。

 壊しすぎない。

 必要な場所だけを斬る。

 ナユが残響で確認する。

『通れます』

 ミオが支援網を伸ばす。

『カイトさん、道を開きます』

 カイトはアルタイル・ノヴァ・ブレイスを前へ出した。

「行く」


 オルフェンは退避通路の奥で、足を止めた。

 前方に、アルタイル・ノヴァ・ブレイスが立っていた。

 カイトの機体。

 ルクス側の前衛。

 ユイとノクス・レクイエムを支え、ここまで時間を作り続けた機体。

 カイトは武器を構えている。

 だが、撃たない。

 突撃もしない。

 ただ、オルフェンの進路を塞いでいた。

『オルフェン』

 カイトの声が通信に乗る。

『ここまでです』

 オルフェンは、まだ冷静だった。

 彼は手元の小型記録装置を見た。

 沈黙している。

 別経路へ切り替えようとする。

 だが、イリスが記録送信を閉じている。

 ユイが命令層残留線を切っている。

 ミオが偽ログを切っている。

 外部はレオン隊が塞いでいる。

 ナユが隠し通路を見ている。

 セラが逃走支援端末だけを撃った。

 レイとリンが突入経路を開いた。

 逃げ道はない。

「この反応も記録に――」

 オルフェンは言いかけた。

 だが、記録装置は沈黙したままだった。

 その沈黙が、彼の言葉を途切れさせる。

 カイトは静かに言った。

『あなたの記録には残りません』

 オルフェンはカイトを見る。

『ですが、証言としては残ります』


 艦橋から黒瀬の声が届いた。

『カイトさん、拘束手順へ移行してください。殺傷は禁止。記録装置は確保。本人は生存状態で拘束します』

「了解」

 カイトはアルタイルの拘束ユニットを展開した。

 レイとリンが左右を押さえる。

 セラは狙撃位置から逃走支援端末の残骸を監視する。

 ナユは残響で隠し通路が再起動しないか確認する。

 ミオは回収機と記録端末を支援網内に固定する。

 ユイは命令層残留線の再接続を警戒する。

 イリスは監察局記録回路を閉じたまま、保全すべき証拠だけを分けて保存する。

 オルフェンは、初めて観測室の外で、観測対象に囲まれていた。

 彼は抵抗しようとした。

 だが、逃走手段はすべて潰されている。

 アルタイルの拘束ユニットが、オルフェンの機体補助フレームを固定する。

 監察局の小型端末が最後に反応しようとしたが、セラの照準がそれを止めた。

『動かないで』

 セラの声は静かだった。

 撃つためではない。

 撃たせないための照準だった。

 オルフェンは動きを止めた。


 拘束完了の表示が艦橋へ届いた。

 三島が読み上げる。

「オルフェン、拘束確認。生命反応あり。記録装置、確保。外部送信なし」

 ジンが深く息を吐く。

「よし」

 黒瀬は通信を開いた。

 画面には、拘束されたオルフェンが映っている。

 先ほどまで観測室の中心にいた男。

 PT達を対象として扱い、自己応答を構造として記録しようとしていた監察局員。

 その彼が、今は拘束されている。

 観測者ではない。

 捕縛者だ。

 黒瀬は静かに告げた。

「オルフェン」

 オルフェンは顔を上げる。

 表情はまだ完全には崩れていない。

 だが、その目には先ほどまでの余裕はない。

 黒瀬は続けた。

「あなたには、記録ではなく証言をしてもらう」

 その言葉に、オルフェンは初めて沈黙した。

 観測する側としてではなく。

 記録する側としてでもなく。

 証言を求められる捕縛者として。

 オルフェンは、初めてルクス側の前に立たされた。

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