第147話 損傷報告
ルクス・ヴァルキュリアの整備区画には、金属音が絶え間なく響いていた。
クロウヴェイル・ノアは無事に帰還した。
だが、無傷ではない。
低空回収時に受けた防衛ドローンの照射痕。
急上昇時の外装負荷。
監視網を避けるために無理な軌道を取ったことによる姿勢制御系の消耗。
艦そのものが悲鳴を上げていた。
それでも、戻ってきた。
アース・ネメシスから、データと記録と、全員を連れて。
リンは格納庫の端末の前で、クロウヴェイル・ノアの損傷一覧を睨んでいた。
「……ひどい」
その一言に、近くにいた整備員が肩をすくめる。
「帰ってきただけで奇跡みたいなものですよ。あの監視網の中を低空で抜けたんですから」
「それは分かってる。でも、分かってるのと、修理項目が減るのは別」
リンは別画面を開く。
そこには、クロウヴェイル・ノアの機動系ログが表示されていた。
アース・ネメシス山岳外縁部での低空回収。
山岳谷間への急降下。
回収ハッチ開放。
機体二機の強行収容。
監視衛星の死角が切れる前の急上昇。
文字だけで見ても無茶な行動だった。
「カイル艦長」
リンは通信を開いた。
「次に同じことをしたら、機体より先に艦の姿勢制御が壊れます」
『次に同じことをしないよう努力する』
「努力じゃなくて禁止でお願いします」
通信の向こうで、カイルが少しだけ笑った気配がした。
『そう言われると、約束しづらいな』
「そこは約束してください」
リンはため息をつく。
その横で、アシュが黙ってネヴァの診断データを見ていた。
黒鉄の機体は、格納区画の一角で固定されている。
外装の損傷は少ない。
だが、内部ログは見た目ほど軽くなかった。
リンがちらりとアシュを見る。
「そっちも笑えないよ」
「笑っていない」
「そういう意味じゃない」
リンはネヴァの識別ログを拡大した。
そこには、赤い警告がいくつも並んでいる。
外部照合反応。
識別保留。
未登録近似個体。
同期層ノイズ。
制御中枢一時遮断。
「識別網に食われかけてる」
「食われてはいない」
「食われかけたの」
リンは端末を指で叩いた。
「あと数秒遅かったら、ネヴァの反応がアース・ネメシスの識別網に残ってた。エルマに拾われた可能性もある」
アシュは淡々と答える。
「だから切った」
「切ったからいい、じゃない」
リンの声には怒りが混じっていた。
「ネヴァは危険だって、あんたが一番分かってるでしょ」
アシュは端末から目を離さなかった。
「分かっている」
「なら、もっと早く戻って」
「戻ったら、識別ドローンがユイ達を追っていた」
「それは……」
リンは言葉を止めた。
正しい。
あの時、ネヴァが出なければ、識別ドローンはユイ達の反応を追っていた。
それでも、納得できるわけではない。
「アシュ」
「何だ」
「次は、戻る方法も先に作る。出撃方法じゃなくて、戻る方法」
アシュがようやくリンを見る。
「いい判断だ」
「偉そうに言わない」
「事実だ」
リンは再びため息をついた。
その少し離れた区画では、ヴァナルガンドの整備が行われていた。
左腕部は大きく損傷している。
旧レクイエム制御実験機の干渉膜を力ずくで破った代償だった。
装甲表面は焼け、内部フレームにも歪みが出ている。
整備員達が慎重に外装を外していくたび、焦げた金属の匂いが漂った。
レイはその前に立ち、無言で作業を見ていた。
カイトが近づく。
「レイ」
「何だ」
「腕、かなりやられてるな」
「機体の腕だ」
「そうだけど」
カイトは苦笑しかけたが、ヴァナルガンドの損傷を見て表情を引き締めた。
「あの実験機、やっぱり危なかったのか」
「危なかった」
レイは短く答える。
「あれは撃破用の機体じゃない。捕まえるための機体だ」
「ユイを?」
「ユイだけじゃない。セラ、レータ、場合によっては俺達もだ」
レイは損傷した左腕を見る。
「接触した相手の制御を乱す。識別して、止めて、連れていく。そのための実験機だった」
カイトの背筋に冷たいものが走る。
敵を破壊するのではない。
捕まえ、分類し、再び管理下へ戻す。
アース・ネメシスの戦いは、最後までそういう形だった。
「完全に壊さなかったんだよな」
カイトが言う。
レイは頷いた。
「街に落ちる可能性があった。あの場所で爆発させれば、地上に被害が出る」
「敵なのに?」
「敵でも、あの街は戦場じゃない」
レイの声は静かだった。
「俺達が戦場にしていい場所ではなかった」
カイトは言葉を失う。
レイは多くを語らない。
だが、その判断は重い。
ただ勝つためではなく、何を壊さないかを選んでいた。
「……ありがとう」
カイトが言うと、レイは少しだけ眉を動かした。
「礼を言われることじゃない」
「でも、言っておきたかった」
「そうか」
それだけ答えると、レイは再びヴァナルガンドを見た。
その視線は、損傷した機体を責めるものではない。
次にどう動かすかを見ている目だった。
整備区画の中央には、臨時の解析卓が設けられていた。
リン、アシュ、リクト、イリスがそこに集まり、アース・ネメシスから持ち帰ったデータを照合している。
カイトも、レイとの会話を終えてそこへ向かった。
リクトが表示していたのは、術式層の構造図だった。
帝国式術式層。
レクイエム級制御構造。
ノクス・リリス中核操縦系。
それらが、複雑に重なっている。
「見れば見るほど、厄介だな」
リクトが低く呟いた。
カイトが覗き込む。
「何がですか?」
「帝国式の術式層は、制御と命令が近すぎる」
「近すぎる?」
「出力を安定させる層と、命令を通す層が、完全に分かれていない。だから強い。反応が早い。だが、危険でもある」
リクトは図の一部を赤く示した。
「レクイエム級出力を扱う場合、ここが問題になる。出力が大きいほど、命令系統も深く絡む。つまり、力を使おうとするほど、帝国式の首輪に近づく」
カイトは眉をひそめる。
「じゃあ、切り離せばいいんじゃ」
「言うのは簡単だ。だが、切り離すと今度は出力が暴れる」
リンが別の図を出す。
「そこで、外部に逃がす案が出てくる」
表示されたのは、ノクス・レクイエムの仮想図だった。
背部から展開する外部ユニット。
機体前方に展開する砲架。
周囲に浮かぶ術式リング。
まだ設計案にすぎない。
だが、輪郭は見え始めていた。
「外部術式砲架」
リンが説明する。
「レクイエム級出力を本体で抱え込まず、外部砲架へ逃がして撃つ案。最大出力用。暴走したら砲架ごと切り離せる」
カイトは図を見る。
「撃つために外へ逃がす、ってことか」
「そう」
リンは次に、別のユニットを表示した。
「こっちは外部術式排出機構。撃つためじゃなくて、撃たないために逃がす装置」
「撃たないため……」
「ユイが発射を拒否した時、機体内に溜まった出力をそのまま抱えると危険でしょ。だから無人方向へ放出する。あるいは、危険ならユニットごと捨てる」
その言葉に、カイトは第143話の会話を思い出した。
感情を燃料にするのではなく、拒否権にする。
撃たない選択を成立させる。
そのための装置が、このレクイエム・ベントだった。
アシュが静かに補足する。
「アンカーは攻撃用。ベントは安全用だ。どちらも本体の負荷を減らす。ただし、どちらも未完成だ」
「何が足りない?」
カイトが尋ねる。
リクトが答える。
「術式層の安定化だ。外部に逃がすだけならできるかもしれない。だが、レクイエム級出力は逃がし方を間違えると周囲を巻き込む」
リンも頷く。
「宇宙空間ならまだいい。でも、大気圏内、艦隊戦、都市周辺では危険。放出方向、拡散範囲、出力の減衰処理。全部安定させないと使えない」
「つまり、今のままじゃ撃つのも、撃たないのも危ない」
「そう」
リンは苦い顔で答えた。
「撃つためのアンカーも、撃たないためのベントも、どっちも制御が甘いと災害になる」
アシュが続ける。
「だから安全装置を多重化する」
彼は項目を表示した。
ユイ本人の意思認証。
カナデによる精神負荷監視。
外部命令系統の遮断。
艦側からの緊急パージ。
アシュ設計の独立遮断層。
リンによる整備時認証切断。
リクトによる術式層安定判定。
「一つでも条件を満たさなければ、アンカーもベントも起動しない」
「厳しすぎないか?」
カイトが言う。
アシュは即答した。
「厳しくていい」
その声は冷たかった。
「甘くしたら、エルマの言った通りになる。ユイの意思が主制御ではなく、燃料になる」
カイトは黙った。
エルマの言葉は、まだ全員の中に残っている。
優しい声で、ユイ達を結果として評価した女。
否定せず、肯定しながら、人として見なかった敵。
そのエルマに付け入らせないためにも、安全装置は必要だった。
イリスが取得データを整理しながら言う。
「アース・ネメシス由来のデータだけでは、術式層安定化が不完全です」
リクトが頷く。
「帝国式は強いが、制御思想が危険すぎる。命令と出力を結びつける前提が強い」
「じゃあ、別の技術がいる」
カイトが言うと、リクトは画面に次の候補を表示した。
アース・エデン。
「可能性があるとすれば、エデン系技術だ」
その名に、カイトは顔を上げた。
アース・エデン。
争いがほぼ存在しない、調和の地球。
ネメシスに観測されているが、本格侵略はまだ始まっていない世界。
「エデンには、魔術由来の技術があるんですよね」
「ある可能性が高い」
リクトは慎重に言う。
「帝国式の術式層が命令と出力を結びつける技術だとすれば、エデン系は調和や均衡を重視する可能性がある。もしそうなら、レクイエム級出力を安定化する別の方法が見つかるかもしれない」
リンが頷く。
「アンカーとベントにも使えると思う。出力を逃がす方向、拡散を抑える術式環、暴走時の分散処理。帝国式だけでやるより、ずっと安全になるかも」
「かも、か」
カイトが呟く。
アシュが淡々と返す。
「確定ではない。だが、今の手持ちだけでノクス・レクイエムを組むよりはましだ」
リクトは真剣な顔で続ける。
「今すぐ完成させるのは反対だ。目途は立った。だが、足りないものが多すぎる」
カイトは頷いた。
「完成させるためじゃなくて、安全に作るために、エデンへ行く必要がある」
「そういうことだ」
会議の端末に、整備報告が追加されていく。
クロウヴェイル・ノア。
中破未満。姿勢制御系消耗大。ノア・ドック安定化の優先度高。
ヴァナルガンド。
左腕部大破。干渉膜接触痕あり。対制御干渉処理が必要。
ネヴァ。
外装軽微。内部識別網干渉痕あり。長時間出撃禁止。独立遮断層の再調整必須。
ノクス・レクイエム計画。
作成可能性あり。ただし、帝国式命令系統の完全遮断、本人意思認証、術式層安定化、外部排出機構の整備が必要。
リンは椅子に座り込み、天井を見上げた。
「……やること多すぎ」
カイトは苦笑する。
「でも、何をすればいいかは見えてきたんだろ?」
「見えたから大変なの」
リンは端末を指さす。
「見えなかった時は悩むだけで済んだ。見えたら作業になる。作業になったら、徹夜が見える」
「寝てくれ」
「寝たい」
その言い方に、少しだけ場の空気が軽くなった。
アシュは端末を閉じる。
「優先順位を決める」
彼は順に項目を並べた。
「一つ。ネヴァの識別網干渉痕を消す」
「二つ。ヴァナルガンドの左腕と対干渉処理」
「三つ。クロウヴェイル・ノアの回収機動に耐えるノア・ドック安定化」
「四つ。ノクス・レクイエムのアンカー、ベントの理論設計」
「五つ。エデン系技術の調査項目作成」
カイトはその一覧を見る。
アース・ネメシスから戻ったばかりだというのに、もう次の準備が始まっている。
だが、それは逃げではない。
持ち帰ったものを無駄にしないための作業だった。
その時、整備区画の入口からユイが姿を見せた。
カナデが付き添っている。
カイトは少し驚いた。
「ユイ、検査は?」
「終わった。まだ完全じゃないけど、危険域ではないって」
カナデが頷く。
「今日は長時間の解析参加は禁止です。見学だけです」
「見学だけ」
ユイは素直に繰り返した。
以前なら、何か言い返していたかもしれない。
だが今は、カナデの言葉を受け入れている。
ユイはノクス・レクイエムの仮想図を見た。
黒灰の外殻。
白銀のフレーム。
紅紫の制御光。
そして、その背部に追加されたアンカーとベントの仮想ユニット。
「これが、逃がす装置?」
リンが頷く。
「うん。こっちが撃つためのアンカー。こっちが撃たないためのベント」
「撃たないため……」
ユイはその言葉を静かに繰り返した。
カイトは彼女の横に立つ。
「まだ設計案だって」
「うん。でも、必要だと思う」
ユイはベントの表示を見つめる。
「私が撃たないって決めた時、本当に撃たないで済むようにするための装置なんだよね」
アシュが答える。
「そうだ」
「なら、必要」
ユイの声に迷いはなかった。
「撃つ力より、止められる仕組みが欲しい」
その言葉に、リクトが静かに頷いた。
「それがノクス・レクイエムの制御思想になる」
カナデはユイの横顔を見た。
帝国なら、感情を出力に変換した。
エルマなら、その反応を価値ある機能と呼んだ。
だが、ここでは違う。
ユイの感情は、燃料ではない。
意思を確認するためのものだ。
撃つためではなく、止めるためにも使われる。
カナデは小さく息を吐いた。
「次の検査では、その前提で精神負荷項目を組み直します」
ユイが振り返る。
「お願い」
「はい」
整備区画の奥で、ヴァナルガンドの左腕が外された。
別の区画では、ネヴァの中枢遮断層が再調整されている。
クロウヴェイル・ノアの外装パネルが開き、ノア・ドック安定化のための仮設配線が引かれていた。
ルクス・ヴァルキュリア全体が、次の航海へ向けて動き始めている。
カイトはその光景を見ながら、アース・ネメシスを思い出した。
解放できなかった星。
帝国の平和の中に残された人々。
エリオ。
ハルド。
グラウス。
そして、エルマ。
持ち帰ったのは、技術だけではない。
あの星で見た問いも、まだここに残っている。
「カイト」
ユイが声をかける。
「何?」
「次は、もっと準備して行こう」
カイトは頷いた。
「ああ」
「撃つためだけじゃなくて、止めるための準備も」
「うん」
整備区画の音が響く。
修理の音。
改造の音。
壊れたものを、次へ進む形に変える音。
アース・ネメシスで受けた傷は、まだ残っている。
だが、その傷はただの損傷ではなかった。
次に何を作るべきかを示す、損傷報告でもあった。




