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第131話 壊れ方の記録

 旧統合気候制御局の中枢室には、古い警告音が鳴り続けていた。

 高い音ではない。

 耳に刺さるような警報でもない。

 むしろ、長く使われすぎて擦り切れた機械が、まだ終わっていないと訴えているような音だった。

 カイトは、中央端末に映るカタストロフ全域の地図を見つめていた。

 巨大嵐。

 地殻振動。

 火山帯。

 津波警戒線。

 軌道デブリ落下予測。

 避難都市の位置。

 帝国観測装置の痕跡。

 その全てが、赤や橙の警告線で埋め尽くされている。

 どこか一か所を直せば終わる世界ではない。

 嵐を逸らしても、次の地震が来る。

 津波を避けても、軌道デブリが落ちる。

 衛星を止めても、古い制御網が別の災害を呼び込む。

 アース・カタストロフは、今も壊れ続けていた。

「全部は、止められないんだな」

 カイトが呟く。

 誰もすぐには答えなかった。

 ダグラス・レインは端末に手を置いたまま、画面を見ている。

「止められるなら、とっくに止めている」

「……」

「我々にできるのは、崩れる速度を遅くすることだ。壊れた場所を塞ぎ、次に壊れる場所を予測し、避難する時間を作る。それを繰り返すしかない」

「それで、救えるのか」

「全員は救えない」

 ダグラスは、はっきりと言った。

「だが、何もしなければもっと死ぬ」

 その言葉は冷たい。

 だが、カイトはもうその冷たさをただ否定できなかった。

 第三区避難都市で、彼は見た。

 選ばなければ、災害が勝手に選ぶ。

 その言葉の意味を、少しだけ理解してしまった。

 ユイが端末を確認する。

「クロウヴェイル・ノアが中枢衛星の観測系を一部切断しました。ですが、衛星群全体にはまだ帝国系の観測装置が残っています」

「全部壊せばいい、とはいかないんだよな」

 カイトが言う。

「はい。災害制御衛星そのものは、防災にも使われています。全て破壊すれば、避難都市の予測能力が大きく落ちます」

 レータが補足した。

「フォージと同じです。壊すのではなく、使える部分を住民側へ返す必要があります」

「ネオジェネシスでも、同じだったな」

「はい。仕組みそのものが悪とは限りません。問題は、誰が、何のために、どこで止めるかです」

 カイトは小さく頷いた。

 それは、この旅で何度も突きつけられてきたことだった。


 作戦は三段階に分かれた。

 第一に、災害制御衛星群の暴走部分を停止する。

 ただし、衛星そのものは破壊しない。

 観測装置と帝国式術式回路だけを切り離し、防災機能を残す。

 第二に、旧統合気候制御局に残る制御権限を、第三区避難都市へ移す。

 ダグラス個人の端末からではなく、住民側の管制室から防壁、浮上ブロック、避難誘導ドローンを動かせるようにする。

 第三に、回収した災害予測データを、他の避難都市へ再送信する。

 孤立した都市同士をつなぎ直し、次の災害に備える時間を作る。

 完全な救済ではない。

 だが、今できることだった。

 クロウヴェイル・ノアは軌道上で動いていた。

 カイル、ナユ、リンが中枢衛星群の残りの観測装置を探し、破壊ではなく切断していく。

 ルクス・ヴァルキュリアは、軌道上からデータ中継とデブリ迎撃を担当する。

 地上では、カイト達が旧制御局の端末を操作し、ダグラスが古い権限移譲プロトコルを呼び出していた。

「認証が古すぎますね」

 レータが顔をしかめる。

「この形式、今の避難都市のシステムと合いません」

「当たり前だ」

 ダグラスが言う。

「この制御局が作られた時、第三区避難都市はまだ存在していなかった」

「では、互換層を作る必要があります」

「できるか」

「やります」

 レータは即答した。

 ユイは帝国式術式回路の切り離しを担当している。

 旧制御局の深層には、ネメシス帝国が後付けした術式層が絡みついていた。

 それは機械配線ではない。

 情報の流れそのものに干渉し、災害制御網の判断を観測装置側へ引っ張っている。

「帝国式術式層、第二層を遮断します」

 ユイが言う。

「遮断後、気象制御の一部が不安定になります」

「どれくらいだ」

 カイトが問う。

「三分ほどです。その間、軌道側からの補正が必要です」

「カイルさん達に連絡を」

「もうつないでいます」

 通信越しにカイルの声が入る。

《聞こえてる。三分くらいなら、こっちで押さえる》

「無茶しないでください」

《災害相手に無茶するなって方が無茶だな》

 その声に、少しだけ緊張が緩んだ。

 ナユの声も聞こえる。

《黒い音、薄くなってる》

「観測装置の反応か」

《うん。まだ残ってる。でも、見えにくくなってる》

《リン、次の切断点は》

《出します。中枢衛星二番、観測補助回路。防災系には触れないでください》

《了解》

 軌道上で火線が走る。

 中枢衛星の一部が焼き切れ、黒い術式回路が光を失った。

 同時に、旧制御局の画面から赤い警告が一つ消える。

「帝国観測装置、第一群を無力化」

 レータが報告する。

「続けます」


 第三区避難都市の管制室では、エリナ・フォースが新しい権限移譲データを受け取っていた。

 画面には、これまでダグラスの旧端末を経由しなければ動かせなかった防壁制御、浮上ブロック、災害予測機能が表示されている。

「本当に、こちらから動かせるんですね」

《まだ全てではない》

 通信越しにダグラスが答えた。

《旧制御局に残る機能もある。だが、第三区の防壁と避難誘導は、お前達で直接動かせるようにした》

「なぜ今までそうしなかったんですか」

《できなかった。古い権限が絡みすぎていた。言い訳に聞こえるだろうがな》

「ええ。少し」

 エリナは正直に言った。

 ダグラスは短く頷く。

《それでいい》

 管制室の若い技師が、遠慮がちに言った。

「レイン博士」

 その呼び方に、周囲の何人かが反応した。

 今までは、あの人、レイン、あるいはもっと冷たい呼び方だった。

 博士と呼ぶ声には、まだ硬さがある。

 だが、完全な拒絶ではなかった。

「次の防壁調整、お願いします」

 ダグラスは、一瞬だけ黙った。

 それから、低く答える。

《分かった。北防壁は第二角度で固定しろ。南側の排水路は開けすぎるな。津波警戒線が上がっている》

 若い技師は頷いた。

「了解しました」

 許されたわけではない。

 過去が消えたわけでもない。

 だが、必要な人として、もう一度名前を呼ばれた。

 エリナはその様子を見て、何も言わなかった。


 作業は数時間続いた。

 災害制御衛星の観測系は、完全には消せなかった。

 帝国の装置は深く入り込み、いくつかは自動消去で痕跡を断っていた。

 それでも、主要な観測経路は切断された。

 嵐は完全には消えない。

 地震も止まらない。

 火山も眠らない。

 だが、災害制御網が災害を都市へ誘導する動きは弱まった。

 他の避難都市との通信も、一部だけ再接続された。

《第八浮上居住区、信号回復》

《北半球地下区画、短時間通信可能》

《旧沿岸避難塔群、応答あり》

 イリスの報告に、ブリッジの空気が少しだけ和らぐ。

 ジン艦長は静かに頷いた。

「各避難都市へ災害予測データを送信してください」

「了解」

 カタストロフ全体を救うことはできない。

 だが、次の災害で逃げるための時間は作れる。

 それは小さな成果だった。

 しかし、この世界ではその小ささが命につながる。

 カイトは旧制御局の端末から、避難都市群の光を見ていた。

「これで、少しはましになるのか」

「少しは」

 ダグラスが答える。

「嵐の進路を読める。防壁の角度を調整できる。水路を開く時間を作れる。他都市へ警告を出せる」

「それだけか」

「それだけだ」

 ダグラスは画面を見つめた。

「だが、この星では、それだけで何千人も変わることがある」

「……そっか」

 カイトは、少しだけ息を吐いた。

 大勝利ではない。

 世界を救ったわけでもない。

 でも、無駄ではなかった。


 作業終了後、カイト達は第三区避難都市へ戻った。

 都市はまだ片付いていない。

 壊れた防壁、濡れた道路、流された機材。

 東側旧居住区は水路になり、もう居住区としては戻らないだろう。

 住民達は疲れ切っていた。

 それでも、都市は生きていた。

 子供達が地下から少しずつ戻ってくる。

 配給所では、水と食料の再配布が始まっていた。

 医療班が怪我人を運び、技師達が防壁の損傷を確認している。

 エリナがダグラスの前に立った。

「レイン博士」

「何だ」

「次の嵐までに、北防壁の補修計画を組み直します。あなたの知識が必要です」

「……私でいいのか」

「信用したわけではありません」

「そうだろうな」

「でも、必要です」

 エリナは、まっすぐに言った。

「あなたがいなければ動かせないものが、まだ多すぎます。だから、隠さず全部出してください。私達が使えるように」

「分かった」

 ダグラスは短く答えた。

「今度は、私一人の端末には残さない」

「お願いします」

 それは和解ではなかった。

 許しでもなかった。

 だが、次へ進むための言葉だった。

 カイトは、そのやり取りを見ていた。

「ルクスに来る気はないんだな」

「ない」

 ダグラスは即答した。

「私はここで、まだ止めなければならないものがある」

「ここに残るのは、危険だ」

「知っている」

「帝国の記録を渡したんだ。狙われるかもしれない」

「その前から、何度も死にかけている」

 ダグラスは少しだけ空を見た。

 嵐の雲は遠ざかっているが、空はまだ暗い。

「私は死んで償うつもりはない」

「……」

「死ねば楽になる。責められることも、選ぶことも、残った人間に頭を下げることもしなくて済む」

「じゃあ」

「生きて直す。直せるところまで」

 その声には、初めてはっきりとした意思があった。

「それが、私に残った仕事だ」

 カイトはしばらく黙っていた。

 それから、小さく頷く。

「分かった」

「お前達は行け。ここに長くいれば、別の災害に巻き込まれる」

「言われなくても行くよ」

「そうしろ」

 ダグラスは、最後まで不器用だった。


 ルクス・ヴァルキュリアへ戻った後、解析室ではカタストロフから得たデータの整理が始まっていた。

 イリス、レータ、三島、ユイ、アルベルトが同席する。

 カイトも、少し離れた場所で画面を見ていた。

 得られた情報は多い。

 帝国の地球系文明分類データ。

 災害耐性試験ログ。

 未統合地球という用語。

 支配介入可能性。

 帝国管理区域の記録。

 ヴァルディウス三世時代の観測制度らしき断片。

 アース・ネメシス方面の古い認証断片。

 そして、いくつかの言葉が繰り返し出てくる。

 正統地球。

 未統合地球。

 地球系文明分類。

 統合価値。

 観測対象。

 災害耐性。

 統合候補。

 カイトは眉を寄せる。

「正統地球……未統合地球……」

 その言葉は、何度見ても気味が悪かった。

 まるで、他の地球はまだ完成していない、という言い方だ。

 誰かに統合されて、初めて正しくなる。

 そんな思想が、画面の奥から滲んでいるようだった。

「なあ」

 カイトは、ユイとアルベルトを見る。

「帝国はなんでここまで“地球”にこだわるんだ?」

 ユイはすぐには答えなかった。

 彼女は帝国で育てられた。

 正統地球という言葉も、未統合地球という分類も、おそらく聞いたことはあるのだろう。

 だが、それをどう説明するべきか、迷っているようだった。

 アルベルトが静かに息を吐く。

「そろそろ、ネメシス帝国そのものを説明する必要がある」

「帝国そのもの……」

「そうだ」

 アルベルトは画面に映る分類データを見つめる。

「なぜ彼らが“地球”を名乗る文明を狙うのか。なぜ他の星ではなく、地球系文明を分類し、観測し、統合しようとするのか」

「それが分からないと、次へ進めないってことか」

「少なくとも、アース・ネメシスへ近づく前に知っておくべきだ」

 三島も頷いた。

「外交的にも、戦略的にも必要です。敵の思想を知らなければ、行動の意味を読み違えます」

「……」

 カイトは画面の文字を見た。

 正統地球。

 未統合地球。

 デッドエンドも、ヴェルデも、フォージも、ネオジェネシスも、カタストロフも。

 帝国にとっては、ただの別文明ではなかった。

 何かの分類表の中に入れられ、価値を測られ、統合対象として見られていた。

 その考え方の根にあるものを、知らなければならない。


 ルクス・ヴァルキュリアとクロウヴェイル・ノアは、カタストロフの軌道を離れていく。

 スクリーンには、まだ荒れた地球が映っていた。

 巨大嵐は完全には消えていない。

 火山はまだ赤く光り、海は不安定にうねっている。

 だが、第三区避難都市の光は残っている。

 他の避難都市との通信線も、細くつながっていた。

 世界は救われていない。

 けれど、崩れる速度は少しだけ遅くなった。

 カイトはその光を見つめる。

「全部は救えなかったな」

「はい」

 ユイが隣に立つ。

「ですが、無駄ではありません」

「分かってる」

「ダグラス・レインも、残りました」

「ああ。生きて直すってさ」

「それは、簡単なことではありません」

「だろうな」

 カイトは小さく息を吐いた。

 死んで償う方が楽だ。

 ダグラスはそう言った。

 生きて直す。

 責められながら、必要とされながら、許されないまま、それでも手を動かし続ける。

 それもまた、一つの選択だった。

 艦内放送が流れる。

《カタストロフ軌道離脱。次航路、調整中》

 カイトは、画面に残る分類コードをもう一度見る。

 正統地球。

 未統合地球。

 統合候補。

 その言葉の意味を、次に知らなければならない。

 アース・ネメシスへ向かう前に。

 ネメシス帝国というものを、真正面から見なければならない。

 ルクス・ヴァルキュリアは、崩壊の地球を後にする。

 壊れ方を記録された世界。

 それでもまだ、壊れながら生きている世界。

 その光を背に、彼らは帝国の思想へ近づいていく。

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