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第102話 封鎖された生存区画

 第七地下残存区画の内部は、地上よりも静かだった。

 風の音はない。

 汚染雲が流れる音もない。

 ただ、古い換気装置のかすれた駆動音と、時折どこかで水滴が落ちる音だけが響いている。

 通路の壁には、非常灯がまだ残っていた。

 すべてが生きているわけではない。

 多くは消え、いくつかは割れ、いくつかは赤く点滅したまま止まりかけている。

 それでも、完全な闇ではなかった。

 そのわずかな明かりが、かえって不気味だった。

 ここは完全な廃墟ではない。

 壊れている。

 だが、まだ何かが動いている。

 その気配は、救助への希望であると同時に、最悪の危険でもあった。

 降下隊は、慎重に通路を進んでいた。

 先頭はカイル。

 その後ろにユイ、イリス、レータ、アルベルト。

 三島は少し後方で記録端末を構え、周囲を映像として残している。

 入口付近では、カイトのアルタイル・ノヴァが警戒を続けていた。

 狭い地下通路には入れない。

 だが、外で戻り道を守ることも重要な役目だった。

《こちらカイト。入口周辺、今のところ異常なし》

 通信にはわずかなノイズが混じっている。

 ミオの中継がなければ、もっと途切れていただろう。

《こちらミオ。通信状態は不安定です。深部へ進むほどノイズが強くなる可能性があります》

 レータが頷く。

「了解。通信途絶時の撤退基準を維持します」

 三島はその会話を記録しながら、周囲を見た。

 古い案内板。

 壁に貼られた地図。

 避難者用の矢印。

 床に転がる空の水容器。

 破れた防護服。

 ここは兵器庫ではない。

 戦場でもない。

 人が避難し、待ち、耐えていた場所だった。


 通路の先に、小さな広場のような区画があった。

 そこには、子供用と思われる低い椅子と机が並んでいる。

 壁には色あせた絵が貼られていた。

 太陽。

 家。

 青い空。

 何人かの人影。

 その上から、避難経路図が雑に貼られている。

 遊ぶための場所が、途中から避難所に変えられたのだろう。

 床には、小さな靴が片方だけ残っていた。

 三島は息を呑んだ。

「ここに……子供達がいたんですね」

 誰もすぐには答えなかった。

 イリスが静かに記録を始める。

「児童保護ブロック外縁部と推定。生活用品、教育用備品、避難物資の残骸を確認」

 その声はいつものように落ち着いている。

 だが、三島には、イリスがただ機械的に記録しているわけではないように見えた。

 イリスは壁の絵をしばらく見つめた。

 そして、自分の端末を少し握り直す。

「これは、残すべき記録です」

 三島がイリスを見る。

 イリスは続けた。

「命令だからではありません。これを残さなければ、ここにいた人達が消えてしまいます」

 ユイがわずかに目を伏せた。

「イリス……」

「記録します」

 イリスは改めて端末を向けた。

 壁の絵。

 小さな靴。

 壊れた椅子。

 使われなくなった机。

 そのすべてを、丁寧に映像として保存していく。

 三島はその姿を見て、自分も端末を構え直した。

 記録することは、奪うことではない。

 少なくとも、今ここでは違う。

 ここに人がいたことを、消さないための行為だった。


 奥の通路では、古い避難放送が流れ続けていた。

《避難者は、指定区画から出ないでください》

《児童保護ブロックの登録者は、係員の指示に従ってください》

《救援を要請中》

《救援を要請中》

《救援を要請中》

 声は合成音声だった。

 抑揚は薄く、長い年月で音質も劣化している。

 それでも、同じ言葉を繰り返し続けている。

 アルベルトが放送装置を見上げた。

「中央管理室の自動放送だろう。まだ完全には死んでいない」

 カイルが低く言う。

「死んでいないものほど厄介だ」

 その言葉に、ユイが反応する。

「帝国の施設も、そうでした。停止しているように見えて、深層部で命令だけが残っている」

「ここも同じか」

 カイルが尋ねる。

「分かりません。でも、似ています」

 ユイは放送装置を見た。

「止め方を失った命令が、まだ動き続けている」

 その言葉は、通路に低く残った。


 さらに進むと、医療区画の外縁に入った。

 そこには、壊れた医療ポッドが並んでいた。

 透明なカバーは割れ、内部の寝台は傾き、制御端末はほとんどが沈黙している。

 いくつかのポッドには、途中で処置が放棄されたような痕跡があった。

 薬剤カートは倒れ、床には乾いた点滴チューブが絡まっている。

 壁際には、破れた防護服が数着、折り重なるように落ちていた。

 三島はその前で足を止めた。

 防護服には、深い裂け目があった。

 刃物で切られたというより、何かに引き裂かれたような跡。

 近くの扉には、爪痕のような傷が何本も残っていた。

「……ここで、何があったんですか」

 声が震えた。

 レータが扉の傷を解析する。

「金属疲労ではありません。外部からの衝撃痕と、内部からの引っかき痕が混在しています」

「内部から……」

 三島は扉を見た。

 誰かが出ようとしたのか。

 それとも、何かが出ようとしたのか。

 その違いを考えた瞬間、背筋が冷たくなった。

 イリスが静かに記録する。

「医療ポッド破損。防護服裂傷。封鎖扉に複数の損傷痕」

 カイルが周囲を確認する。

「長居するな。ここは良くない」

 アルベルトが頷く。

「ヒュドラ感染後の隔離区画だった可能性がある。残留汚染を確認する」

 ユイは医療ポッドの一つを見つめていた。

 誰かがここで処置を受けていた。

 助かるはずだったのかもしれない。

 だが、何かが起きた。

 封鎖され、壊れ、放棄された。

 その結末だけが残っている。


 通路の先で、小さな機械音が聞こえた。

 全員が一斉に身構える。

 カイルが手を上げ、前進を止めた。

「何かいる」

 イリスがセンサーを向ける。

「小型機械反応。一機。移動速度、低速。敵性反応は不明」

 影の向こうから現れたのは、自動清掃ロボットだった。

 丸い本体に、小さなブラシが付いている。

 かなり古い型で、外装は錆び、片側の車輪は歪んでいた。

 それでもロボットは、同じ場所を何度も往復していた。

 前へ進む。

 壁にぶつかる。

 少し戻る。

 また進む。

 同じ汚れた床を、意味もなく掃除し続けている。

 三島は、その光景に言葉を失った。

 可笑しいはずなのに、笑えなかった。

 ここにはもう、掃除される日常など残っていない。

 それでもロボットだけが、日常の命令を続けている。

 イリスが静かに言う。

「清掃命令が残存。経路情報破損。同一区画内で動作を繰り返しています」

 ナユなら、何と言っただろう。

 カイトは通信越しに映像を見ながら、そう思った。

「まだ動いてるのか……」

 カイルが低く言った。

「この星は、止まっているように見えて、止まっていない」

 その一言が、妙に重かった。


 やがて、降下隊は倉庫区画へ入った。

 そこは、他の区画よりも異様だった。

 最初は物資倉庫だったのだろう。

 棚が並び、コンテナが積まれ、輸送ラインの残骸が床に残っている。

 だが、今はその形をほとんど失っていた。

 壁の一部に、白黒の生体機械組織が融合している。

 それは植物の根のように広がり、配管のように天井へ伸び、乾いた繊維のような管を床へ垂らしていた。

 コンテナの側面には、卵殻状のカプセルがいくつも張り付いている。

 中身は空のものもあれば、割れた殻の中に未完成の機械部品のようなものが残っているものもあった。

 奥には、小型ドールビーストの未完成殻らしきものが転がっている。

 頭部も脚部も完全には形成されていない。

 だが、それが何かを生み出そうとしていた痕跡であることは分かった。

 三島は一歩下がった。

「これは……」

 レータが表情を硬くする。

「NB-15 エキドナ由来の生体工廠化痕跡と推定」

 アルベルトが低く言う。

「物資倉庫を乗っ取ったのか」

 ユイは生体機械組織を見つめていた。

 その目には、嫌悪が浮かんでいた。

 恐怖ではない。

 怒りに近い嫌悪だった。

 レータは周囲の構造を解析しながら言った。

「これは生産施設ではありません」

 三島が彼女を見る。

 レータは続けた。

「施設そのものが、生産器官に変えられています」

 その言葉に、通路の空気が凍った。

 生産施設ではない。

 施設が、生産器官にされた。

 避難所が。

 倉庫が。

 人が生き延びるために使う場所が。

 兵器を増やすための器官に変えられていた。

 ユイが低く言う。

「止める方法を用意しないまま、増やすことを優先した……」

 誰もすぐには答えなかった。

 ユイは生体機械組織を見つめる。

「レクイエムも同じです。強さを優先して、制御と停止を後回しにした」

 アルベルトは目を伏せた。

「帝国は、勝つための設計を優先した。勝った後のことを、都合よく切り捨てた」

 ユイは拳を握った。

「その結果が、これです」

 エキドナの痕跡は、もう活動していないように見えた。

 だが、そこに残された思想はまだ生きているようだった。

 増やせ。

 広げろ。

 止まるな。

 それだけを命じられた何かが、施設を食い荒らした跡だった。


 イリスは倉庫区画の中央で端末を構えた。

「記録します」

 三島が彼女を見る。

 イリスは淡々と続ける。

「これは、残すべき記録です」

 さっきも聞いた言葉だった。

 だが、今度はさらに重かった。

「この区画は、エキドナによる施設侵食の実例です。避難施設が、生体工廠化された痕跡です。記録しなければ、同じことが繰り返される可能性があります」

 イリスは、ゆっくりと周囲を撮影した。

 卵殻状のカプセル。

 乾いた管。

 未完成のドールビースト殻。

 壁と融合した生体機械組織。

 そして、物資倉庫だったはずの名残。

 イリスは命令で記録しているのではない。

 そうするべきだと、自分で判断していた。

 三島も端末を向けた。

 彼女は今、監査官として記録している。

 だが、それだけではなかった。

 この場所をなかったことにしないために、記録していた。


 その時、カイトの通信が乱れた。

《こちらカイト、外で――ノイズが増えてる。そっちは大丈夫か》

 ミオの声も重なる。

《通信中継に異常な反射があります。地下深部からです》

 レータが顔を上げる。

「地下深部?」

 イリスが端末を確認する。

「中央管理室方向から、旧式放送信号が増幅されています」

 カイルが即座に言う。

「全員、警戒」

 通路の奥から、音が聞こえた。

 合成音声だった。

 古いスピーカーを通した、劣化した声。

《生存者確認》

 全員が動きを止める。

 声は続いた。

《救援を要請します》

 雑音。

 短い沈黙。

 そして、別の警告音声が重なる。

《外部開放禁止》

《感染リスク最大》

 また雑音。

《生存者確認》

《救援を要請します》

《外部開放禁止》

《感染リスク最大》

 三島は息を呑んだ。

 助けてほしい。

 開けるな。

 その二つが、同じ声で繰り返される。

 人間の声ではない。

 管理AIの合成音声。

 壊れかけたシステムが、矛盾した命令をまだ守り続けている。

 カイルは奥の封鎖扉を見た。

 そこには、赤い警告灯が点滅していた。

 扉の向こうから、古い放送が響き続ける。

《生存者確認》

《救援を要請します》

《外部開放禁止》

《感染リスク最大》

《生存者確認》

《救援を要請します》

 ユイは小さく息を吸った。

 レータは端末を見つめ、表情を硬くする。

「この先が、中央管理室へ続く封鎖区画です」

 イリスが静かに記録した。

「救難放送および警告放送、同時発信を確認」

 カイトは外から通信越しに声を上げる。

《そこに、誰かいるのか?》

 答えは返ってこなかった。

 返ってくるのは、壊れた管理AIの声だけだった。

《生存者確認》

《救援を要請します》

《外部開放禁止》

《感染リスク最大》

 封鎖された扉の奥から、矛盾した声が響き続けていた。

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