007:試練前の休憩
壁際で腰を降ろした僕は、カバンの中からペットボトルを取り出した。
朝、学校に来る途中で買ってきた、未開封の麦茶だ。
もう少し後の時間であれば少し飲んでいたかもしれないが、これなら特に気にせず飲んで貰えるだろう。
飲み物を目にした武村さんは、そこで水分補給のことを思い出したのか、さっと顔色を変えていた。
「未開封だから、先に飲んでいいよ」
「え……でも、それは都築君のじゃ」
「この状況で独り占めなんて、流石にできないよ。それに……ここは、クライヴって人が僕に受け継がせるつもりでいた施設なんだ。試練が終わったなら、食事も水分も手に入るようになっている筈――そうだろう?」
『肯定します。生活環境については、問題なく整えられております』
まあ、そうでなければ、たとえ施設を受け継ぐことができたとしても、早晩死ぬことになってしまう。
流石に、それでは本末転倒というものだろう。
それの質がどうなのかはわからないけど、少なくとも生存については問題なく行えるはずだ。
「最後の試練をクリアするためにも、ここでコンディションの調整は必要だ。だから、武村さんにも飲んで欲しい。その後で間接キスになっちゃうのは、ちょっと申し訳ないけどね」
「……あはは、そういうの、気にするんですか?」
何処か、からかうような武村さんの表情に、僅かに目を見開く。
あまり、彼女のイメージにはない行動だった。
口調こそ普段通りだけど、そちらが彼女の素なのだろうか。
そんな疑問を抱きながらペットボトルを渡せば、武村さんはお礼を言った後にペットボトルを開封した。
「お腹は空いてる? 朝食は食べてきた?」
「はい、大丈夫です。まだ朝でしたからね」
武村さんは、麦茶を五分の一程度を飲んで返してくれた。
もう少し飲んでも良かったと思うけど、まあ念のためこのぐらいの方がいいだろう。
僕もまた麦茶を飲もうとして――じっと、武村さんがこちらを見つめているのに気が付いた。
「……武村さん?」
「ふふふ、ごめんなさい」
間接キスを恥ずかしがる、というような様子ではない。
どちらかというと、こちらの反応を見て楽しんでいたような、そんな印象だ。
まあ、こうして二人でいることに慣れて来てくれた、ということであれば良いのかもしれないが。
ともあれ、僕も麦茶を口にして人心地つき、この後の課題へと思いを馳せた。
――気恥ずかしさからは、目を逸らすようにしながら。
「改めて、だけど……巻き込んでしまってゴメン、武村さん。本来だったら、君は皆と一緒の場所に召喚されていた筈なのに」
「気にしないでください。あの状況だと私も、都築君のことを掴んでいたかもしれませんし……でも、他の皆さんのことは気になりますね」
「そうだね……他の召喚された人たちがどうなったか、聞いてもいい?」
勿論、それは気がかりなことではあった。
自分たちのことで精一杯だったから、そこまで気にする余裕が無かったけれど――先が見えた今なら、それを確認するのも悪くないだろう。
僕の問いに対し、案内の声は普段と変わらない調子で答えた。
『貴方がた以外の召喚者については、この近辺を統治するファレンジア王国によって保護されています』
「……とりあえず、その辺に突然放り出されたわけじゃなくて安心したよ」
晃司や先生がいるとはいえ、流石に異世界で助けもないまま放り出されるのはあまりにも危険すぎる。
保護してくれる存在がいたことは、素直に歓迎すべきだろう。
尤も――果たして、彼らがどんな思惑を持っているのか、それを確かめる必要はあるだろうが。
(そもそも、召喚者がどういう扱いになっているのかもわからない……少しでも情報を集めたいところではあるけど)
流石に、そこまで込み入った情報を持っているとは考えづらい。
情報を得るにしても、今のままでは難しいだろう。
何にしても、まずは目の前にある課題をクリアすることが先決か。
そんなことを考えながら沈黙していたちょうどその時、またも武村さんの視線がこちらを向いていることに気が付いた。
しかし、今度は先ほどまでのようなからかうような視線ではない。
何処か興味深そうに、こちらのことを観察していた。
「……武村さん?」
「あ、ごめんなさい。その……私が言うのもなんだけど、都築君の印象が、普段と違うと思って」
「ああ……まあ、普段はあんまり主体的には動いていなかったからね」
僕はいつも、晃司を目立たせるために行動していた。
だからこそ、僕が表立って活動することは無かったし、クラスでもほとんど印象に残ることは無かっただろう。
精々、晃司の腰巾着といったところか。
「まあ、こんな状況じゃ自分から動くしかないから。この場に晃司がいたなら、あいつに頑張って貰っていたさ」
「天堂君なら……確かに、率先して動いていたかもしれないですね。でも、この施設なら都築君の方が活躍できるんじゃないですか? 何故天堂君が主体になるような話に?」
そんな、武村さんの当り前の問いに、思わず口を噤んでしまった。
状況が状況であるためか、口を滑らせてしまったようだ。
正直、この場に晃司がいたとしたら、先程の言葉の通りあいつが主体となるように動いていたことだろう。
扉を開けたりするのは僕だが、他の諸々の活躍は全て晃司に譲る形にしていた筈だ。
その方が、アイツのヒーロー性を演出することができただろうから。
だが、僕のここまでの活動を見てきた武村さんからすれば、それはあまりにも不自然な話だろう。
咄嗟に誤魔化そうとして――彼女の目を見て、小さく嘆息した。
ここまで一緒に来たのだ。最早、一蓮托生と言っても良いだろう。
そんな中で、最早確信を持たれているレベルの相手に誤魔化すのは不義理が過ぎるというものだ。
「……秘密だよ? 君だけには話す。僕はね、ずっと晃司のことを活躍させてきたんだ」
「え? それは……天堂君が目立つように、ってことですか?」
「そう。僕はね、アイツにヒーローになって貰いたいんだ」
理解できなかったのだろう、武村さんは首を傾げている。
まあ、仕方のない話だ。普通に考えて、そんなわけのわからない行動をしているとは思わないだろう。
けれど、僕は本気でそれに取り組んでいた。あいつを誰よりも輝かせたいと、全力を尽くしていたのだ。
「だから、僕はあいつが目立てるように、とにかく場を整えてきた。もしもここにアイツがいたなら、アイツの指示で僕が動いているように、そう見せかけていたよ」
「……本当は逆なのに、ですか」
「あはは、そういうこと」
僕の言葉に、武村さんは眉根を寄せた。
あまり納得できないのだろう。勘違いして欲しくはないため、僕は改めて告げた。
「一応言っておくけど、僕がやっているのはサポートで、アイツの活躍はあくまでもアイツが主体でやっていることだよ。武村さんは、晃司に対してどんな印象を持ってる?」
「彼は、クラスの中心で……いつも人助けをして、人に信頼されていると思います」
「うん、晃司はそういう人間だ。誰かに手を差し伸べずにはいられない、天性のヒーローだよ。僕はただ、そんな晃司がもっと目立てるように演出してるだけ。アイツに、誰よりも輝いて欲しいから」
武村さんが浮かべているのは微妙な表情だ。
やはり、僕の活動については理解しきれないのだろう。
ただ、僕が勝手にやっていることであり、晃司に強制されたわけじゃないことは理解して貰えたようだ。
「都築君は……天堂君のことが、大好きなんですね?」
「そう言われると恥ずかしいけどね。でも、晃司に惚れ込んでいることは事実だよ」
そう告げた時の武村さんの表情は――何とも形容しがたい、微妙なものであった。
複雑そうな視線でこちらを見つめていた彼女は、やがて小さく溜息を吐いて視線を逸らす。
「……とりあえず、都築君が変な人なんだってことはよくわかりました」
「否定はできないかな」
「でもいいです。秘密を話してくれたことは、嬉しかったですから」
そう言って笑う彼女の表情は、何処までも無邪気で、思わず目を逸らしてしまった。
まだまだ、武村さんのことはよくわからない。
けれど、その素顔は、少しだけ垣間見えてきたような――そんな気がした。




