002:世界を渡り
「……教会?」
朝のクラスで席に着いて、それとほぼ同時に感じた落下の浮遊感。
そして次に気が付いた時、最初に目に入った光景に、俺は――天堂晃司は、思わずそう呟いていた。
海外旅行の番組で時折目にするような、有名な聖堂の如き、高い天井とステンドグラス。
色とりどりの光に照らされたその光景は、一度として目にしたことのないものだった。
「っ……!」
意識がはっきりすると共に、すぐに立ち上がって周囲の状況を確認する。
周りには、クラスメートの皆が同じように呆然と地面に座り込んでいた。
そんな皆の体の下には、無数の線をいくつも組み合わせて作られたような、複雑な図形が。
――そして少し離れた場所には、見覚えのない幾人もの人物が並び、こちらのことを見つめていた。
「っ、先生!」
「天堂君、君はそこで! 栗原さん、生徒たちを!」
「わ、わかりました!」
同じく周囲の状況を把握したらしい箱崎先生は、教育実習の栗原先生に俺たちを任せて前に出た。
それに合わせるかのように、遠くでこちらのことを観察していた人々の中から、一人の女性が前に進み出る。
――率直な感想を言えば、本当に綺麗な女性だった。
青白く長い髪を派手すぎないような装飾品で彩り、空のような蒼いドレスを身に纏った女性。
前へと進み出るその姿勢だけで、彼女が一般人ではないと確信できてしまう程に。
そんな彼女へと向け、箱崎先生は警戒心を滲ませながら声を上げる。
「止まってください、貴方がたは何者ですか」
「……警戒させてしまい、申し訳ございません」
耳に入ってきた声に、思わず眉根を寄せる。
その声自体は、実に綺麗なものだった。けれど――聞いたこともないその言語を、直接的に理解できてしまったことが、あまりにも不可解だったのだ。
先生もその事実に面食らったのか、一瞬だけ沈黙してしまう。
けれど、その女性もぴたりと足を止め、それ以上こちらに接近してくることは無かった。
「まず、私たちは皆さまに危害を加えるつもりはございません。近づくなということであれば、ここからお話を致しましょう」
「……わかりました、そのままお願いします」
先生の声は、低く冷たいまま。
けれど、それに堪えた様子もないまま、女性はにこやかな笑みで続ける。
「私はティエーリア・ルークスト・ファレンジア。異界からの来訪者である皆さまを保護するため、ここにやって参りました」
「異界……?」
「嘘、まさか……異世界?」
生徒たちの間で、ざわめきが広がる。
俺も、気持ちは同じだった。そういったジャンルの物語があることは、俺も知っていたから。
けれど、まさか自分たちがその当事者になるなんて、露ほども考えていなかった。
「……貴方がたが、我々をここに連れてきたと?」
「いいえ、それは否とお答えします。何故なら……その召喚の魔法陣。それを制御できるものは、この世のどこにも存在しないからです」
先生の言葉に、ティエーリアと名乗った女性は俺たちの足元を指差してそう告げる。
みんなが上に乗っているためわかりづらいが、これは魔法陣であるらしい。
驚いて自分たちの足元を観察する中、先生は硬い声色で質問を続ける。
「ここは、我々の住んでいた世界ではないと、そう仰るつもりですか?」
「はい、その通りです。誤解なきようにお伝えしておきますが、その界渡の魔法陣は百年に一度、自動的に起動するものです。故に、我らファレンジアの王家は、異界よりの来訪者を保護する役割を負っております」
彼女の視線と言葉は、どこまでも率直で真っすぐだった。
信じて貰えないことは、承知の上なのだろう。その上で、可能な限り誠実に答えようとしている――俺には、そのように聞こえた。
「……我々を、元いた場所に帰すことは?」
「既にお察しのようですが、現状では不可能であると、お答えせざるを得ません。私たちでも、その魔法陣を解析することはできないのです」
「なっ……ふざけるなよ、俺たちを家に帰してくれよ!」
「み、みんな、落ち着いて!」
ティエーリアの言葉に、納得しきれなかったクラスメートたちから憤慨の声が上がる。
栗原先生が落ち着かせようとしているが、流石にそれも無理な話だ。
何処だかわからないような場所に連れてこられ、家に帰れない――そんなもの、悪夢としか言いようがない。
「……保護ののち、我々に求めることは?」
「何かを強制するつもりはございません。ご自身で何かの活動をするということであれば、支援いたします」
だが、それでも先生は冷静だった。
ティエーリアの言葉を真っすぐと受け止め、その真偽を吟味して――その上で、自分たちに選択の余地がないことも、十分なほどに理解していた。
深く、深く、息を吐き出して。背筋が震えるほどの覚悟と共に、箱崎先生は声を上げた。
「分かりました。詳しい話を、聞かせてください」
その言葉に、ティエーリアはほっと安堵の吐息を零す。
納得しきれるものではない。不安しかないこの状況。
それでも――選択肢がない以上、できることをするしかない。
先生は、その全ての責任を背負う決意を定めていた。
――なら、俺もできる限りのことをしなくては。
(みんなの不安を、可能な限り取り除く。その為にも、裕也と協力して――)
周囲を見渡して――ふと、気づく。
「……裕也?」
俺の親友、都築裕也の姿は、その場のどこにも存在していなかったのだ。
* * * * *
「う……?」
ふと気が付いた時、周囲は薄暗い闇に包まれていた。
転がっている地面は硬い岩の感触。どう考えても学校の床にはありえないその感触に、僕は急いで体を起こし、周囲を見渡す。
そして、すぐ傍に転がっている人影に気付き、思わず目を見開いた。
「武村さん!?」
前の席の武村エリ――銀色の髪を地面に広げた彼女は、微動だにせずその場に転がっていた。
慌てて彼女の肩を揺らせば、その眉間に僅かなしわが寄る。
どうやら意識を失っているだけのようだと一先ずの安堵をしつつ、彼女の肩を揺さぶるのはそのままに、周囲の状況を観察する。
「……何なんだ、一体」
僕たちは先ほどまで、間違いなく学校の教室にいたはずだった。
にもかかわらず、僕と武村さんだけがこの場にいる。
他に物音はしない。誰かがいる様子もない。誘拐されたというのなら、見張りの一人ぐらいはいそうなものなのに。
(そもそもここは? それに……)
奇妙なのはそれだけではなかった。
この薄暗い空間を照らしている、壁に備え付けられた松明。
奇妙なことに、そこには青白い炎が灯っていたのだ。
確かに、炎色反応でああいった色にすることも不可能ではない。けれど、照明用の松明をあんな色にする必要性は一切感じなかった。
それに、何だって松明なのか。照明なら、もっと手軽な手段もあっただろうに。
不可解にも程がある周囲の状況に眉根を寄せていた、ちょうどその時――肩を揺すっていた武村さんが、自らの力で身じろぎした。
「う、ん……?」
「武村さん? 気が付いた?」
僕の声に反応するように、武村さんはぼんやりと、その瞳を開く。
そのまま、茫洋とした視線で周囲を見渡し――がばっと、勢いよく体を起こした。
「つ、都築君!? ここ、何処!?」
「ゴメン、わからない……直前までのこと、覚えてる?」
「えっと……教室にいて、それから……急に、落下して?」
どうやら、武村さんも覚えていることは同じであるらしい。
あれから一体何があって、こんな場所にいるというのか。
そもそもあの時何があったのか――何もかも、謎のままだ。
「都築君、他の皆は?」
「少なくとも、この場には見当たらない。どこかにいるのかもしれないけど、こうも暗いと――」
そんな言葉を口に出した、その瞬間だった。
僕たちの頭上に灯っていたものと同じ、青白い松明。
それが順番に灯りながら、奥へ奥へと道を照らしていったのだ。
「……これって」
「あからさまに、誘われてるみたいだね」
ゆっくりと、警戒しながら立ち上がる。
ポケットにはスマホがある。ライトを使えば、明かりのない後方を調べることもできるだろう。
けれど、ここで充電を使ってしまうことが致命的になる可能性もある。
まずは、ライトなしで探索できる範囲を確認するべきか。
「ここでこうしてもいられない。行ってみよう」
「っ……わかり、ました」
何もかもわからない、不安な状況。
それでも一人ではなかったことは、言い表せない程の幸運だ。
のしかかるような不安を押し殺し――僕たちは、青白い光の先へと、足を踏み出したのだった。




