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第23話 鎖が落ちた日

第23話 鎖が落ちた日


 誠実の火が王へ触れた。


 それは、音にならない爆発だった。


 玉座の間に風が吹き抜けたわけでもない。

 炎が天井まで燃え上がったわけでもない。

 ただ――空気そのものが、ぎしり、ときしんだ。


 ロックの足元から伸びた赤い光が、

 一直線に享楽王ヴェルラウトの胸へ届く。


 熱はない。

 なのに頬の皮膚が焼ける錯覚が走り、

 喉の奥が勝手に震えた。


「や……やめ……ろ……」


 王が口を開いた。

 その声は、怒りでも威圧でもない。

 自分に降りかかる痛みの意味が理解できない子供のような、

 薄い恐怖の響きだった。


「私は……王……だ……

 楽しませてもらう側……なんだ……

 私は……何も……――」


 言葉は途切れた。


 火が包んだのは、一瞬だった。

 炎の形をとる暇すらなく、

 王の輪郭はぎゅっと潰れて、

 次の瞬間には、そこに何もなくなっていた。


 灰も、跡も、影さえも残らない。


 享楽王ヴェルラウトという存在は、

 この世界から「なかったこと」にされたかのように消えた。


 直後――


 ぱきん。


 何かが割れる、小さな音がした。


 王が座っていた玉座の上で、見えない何かが砕けた。

 それは特権魔法の核だった。


 砕けた破片は光にもならず、

 煙にもならず、

 ただ“圧”の形だけを残して四散し――


 玉座の間全体へ、静かな波紋となって広がっていく。


 空気が、ふっと軽くなった。


 床に膝をついていた盾奴隷たちが、

 一斉に肩を揺らす。


「……?」


 胸の奥が、奇妙な感覚に包まれた。


 ざり、と皮膚の下で何かが剥がれるような感触。

 焼ける痛みではない。

 けれど、長年まとわりついていた重い膜が、

 内側から剥ぎ取られるような――そんな感覚。


「……っ!」


 ひとりの奴隷の胸で、

 刻印がぱち、と弾けて消えた。


 続いて、またひとり。

 またひとり。


 刻印が崩れ落ちるたび、

 そこにいた奴隷たちは、思わず胸に手を当てた。


「……あれ……?」


 命令の声が、聞こえない。


 それは、恐怖ではなかった。

 かといって、まだ歓喜でもない。


 どこからどこまでが自分の感情で、

 どこからどこまでが刻印に植え付けられた“幸せ”だったのか、

 彼らにはまだ判別できない。


 ただ――


 長い夢から、急に叩き起こされたような、

 そんな茫然とした顔で、彼らはゆっくりと辺りを見回した。


「……陛下……?」


 誰かが呟いた。

 だが玉座には、もう誰もいない。


 奴隷たちは、そこで初めて気づいた。


 この部屋には、王も、命令も、もう存在しない――と。


 静寂が訪れた。


 重々しい扉の向こうからは、

 まだ物音ひとつ聞こえない。


 玉座の間にいるのは、

 さっきまで“盾”でしかなかった奴隷たちと、

 ロックと、ハクタンだけ。


 ロックは、ゆっくりと息を吐いた。


 胸の奥で、火が脈動している。

 真っ赤な色が、心臓と同じリズムで打っている。


 そのさらに奥――

 燃える赤の底に、濃い黒が渦を巻いていた。


 黒は冷たくない。

 むしろ焼けるように熱い。


 焼いたのは王だ。

 焼いたのは不誠実だ。

 焼いたのは、この国の“鎖”だ。


 それでも――

 「燃やす」と決めたのは、他の誰でもない、自分だ。


(……全部、俺が選んだ。)


 誰かの命令でも、正義でもない。

 自分がやると決めたから、火を放った。


 その責任だけが、黒い渦になってロックの胸に沈んでいた。


 ハクタンは、それをはっきりと視ていた。


 ロックの胸の赤。

 そこに沈んでいた影は、

 今までで一番濃く、重く、痛そうな色をしていた。


「……ロック……」


 思わず声が漏れた。


 自分でも驚くほど弱い声。

 喉がひりつき、うまく言葉にならない。


 足が勝手に、一歩前へ出る。

 ロックの背中へ、手を伸ばしかけ――


 ぴたり、と止まった。


 ロックの背には、

 「触れてはいけない」と言っている何かが張り付いていた。


 火の熱でも、怒りでもない。

 責任と、覚悟と、孤独が凝り固まった重さ。


 それに触れた瞬間、

 何かが崩れてしまうような気がして、指先が震えた。


 それでも、黙っていることはできなかった。


「……ロック……

 その色……すごく……痛そうだよ……」


 色視の話ではない。

 ただの言葉。

 ただの心配。


 ロックは、胸を押さえたまま、ゆっくりと息を吐いた。


「……心配すんな。

 まだ歩ける。」


 声は淡々としていて、

 いつもの悪ぶった調子に聞こえなくもない。


 けれどハクタンには、その中に

 どうしようもない疲労と重さが滲んでいるのが分かった。


 だから、もう一歩踏み込んだ。


「……だったら……」


 喉が震えた。

 それでも、言葉を続ける。


「だったら……

 一緒に歩きたいところまで……歩く。

 ロックがどれだけ黒くても……

 私、ロックと歩くよ。」


 自分としては、驚くほど長い言葉だった。


 うまく言えた自信はない。

 でも、それでもいいと思った。


 ロックの火が、かすかに揺れた。


 赤の奥の黒が、

 一瞬だけ、その形を変えたように見えた。


「……そうかよ。」


 ロックは小さく笑ったのか、

 ため息をついたのか、自分でもよく分からない息を零した。


 その直後だった。


 玉座の間の扉が、

 重々しい音を立てて開いた。


「ロックさん!!」


 ジュラルが駆け込んできた。

 鎧は傷だらけで、髪には血と埃が張り付いている。

 それでも目だけは、妙に澄んでいた。


 視線が玉座の間をぐるりと走り、

 王の姿が消えていることを確認すると――


「……なんという……」


 ジュラルは言葉を失い、

 それから小さく息を吸い込んだ。


「……なんという光景だ。

 ロックさん……

 あなたは本当に、“正しさ”を成した……」


 その声音には、理屈ではないものが滲んでいた。

 国に裏切られ、正論から追放された男が、

 初めて“自分の信じる正しさ”を目にした時の声だった。


「ちょっと、先に言わないでよ。」


 遅れて、ルヴァートが姿を見せた。

 服は裂け、剣の刃には血と煤がこびりついている。


 片手で壁に触れ、息を整えながら周囲を見渡す。


 盾奴隷たちは、ぼんやりと胸を押さえたまま座り込んでいる。

 玉座は空っぽ。

 王はどこにもいない。


 ルヴァートは、ふっと口元を緩めた。


「アンタ……本当に……

 やりきったわね……。

 ここまでやるなんて、

 ちょっと……反則級よ。」


 冗談めかした口調なのに、

 声の奥には安堵と敬意が滲んでいた。


「……でも、ありがとう。」


 ルヴァートは扉の方を振り向く。


「すごいわよ、外。」


 扉の向こうから、

 遅れて音が流れ込んできた。


 足音。

 泣き声。

 笑い声。

 何かが崩れ落ちる音。

 誰かが壁を叩く音。


 それらがすべて、

 「絶望」からではなく、「解放」から生まれたものだと分かる音だった。


 ジュラルが扉の方へ歩み寄る。


 開かれた隙間の向こう、

 広間や廊下のあちこちで、奴隷たちが崩れ落ちていた。


 戦闘奴隷が、

 自分の手のひらを見つめて震えている。


 魔術奴隷が、

 自分の周囲に滲む魔力を見て、ためらいながらも笑っている。


 生体改造された者たちが、

 軋む義肢を抱えながら、涙を流し合っている。


 英雄を堕とされた戦士が、

 剣を床に落とし、

 空を仰いで肩を震わせていた。


「……これほどの……歓喜……」


 ジュラルは呟いた。


「正義は……

 確かに、存在していたのだな……」


 その横で、ルヴァートが小さく笑う。


「いいじゃない、この顔。

 あんたの火が、ここまで届いたんだよ。」


 ハクタンは、その光景を見ながら、

 胸の中で何かが膨らんでいくのを感じていた。


 色も、言葉も追いつかない感情。


(……私……)


 胸の中の色が、ゆっくりと変わっていく。


 今までは、怖さと不安と、

 自分の無力さへの黒い影ばかりだった。


 今、そこに――

 柔らかい赤が、ぽうっと灯った。


(私が……ロックと一緒に選んで……

 ロックと一緒に動いて……

 その結果、こんな顔になってる……)


 あちこちで泣き笑いしている奴隷たちの色が、

 少しずつ灰色から離れて、

 それぞれの色を取り戻しつつある。


(これが……役に立つってこと……?

 これが……生きてていいってこと……?)


 胸が熱くなり、

 目頭がじんとした。


(ロックも……きっと……)


 ロックの胸の黒も、

 この光景を見れば少しは薄くなっているはずだ。


 そう信じて――ハクタンは振り返った。


「ロ……ック……?」


 そこに、ロックはいなかった。


 さっきまで立っていたはずの場所は、

 まるで最初から誰のものでもなかったかのように、

 ぽっかりと空白になっている。


 床には血も、足跡も残っていない。

 ただ、ほんの少しだけ空気が揺れた痕跡だけがある。


「ロック!? どこ!?」


 ルヴァートが眉をひそめて周囲を見渡す。


「ロックさん?」


 ジュラルも、玉座の陰や柱の影を確かめた。


 だが――どこにもいない。


 さっきまで、確かにここにいたはずの男の姿が、

 影ひとつ残さず消えていた。


 ハクタンの胸の赤に、

 ひたり、と黒い影が滲んだ。


(ロック……

 どこに……行ったの……?)


 玉座の間の外では、

 解放された奴隷たちの歓喜の声が響いている。


 その祝福のざわめきの中で――

 ハクタンだけが、胸の奥に新しい黒を抱えたまま、

 ひとり立ち尽くしていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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