第22話 揺らいだ灰、選ばれた火
第22話 揺らいだ灰、選ばれた火
ロックの足元から広がった赤い光は、もはや“光”などという生やさしいものではなかった。
床石が軋む。空気が震える。
熱はない。だが、肌の奥まで焼け爛れるような錯覚だけが、玉座の間全体に満ちていく。
ロックは胸を押さえ、歯を噛みしめた。
これは炎ではない。ただの現象だ。
誠実の火――不誠実を観測した分だけ肥大し、意思を持ったかのように暴れる“赤い圧力”。
ハクタンには、それがはっきりと見えていた。
ロックの胸の奥で膨張する赤。
王へ伸び、玉座の黒い空虚を食い破ろうとする“真紅の爪”。
(……あれ……止まらない……
ロック……火が……大きすぎる……)
玉座の上。
享楽王ヴェルラウトは、はじめて目の奥に“焦り”を浮かべた。
「……何だ……これは……
この、不愉快な……揺れは……?」
ロックが歩くたび、床が沈むように歪む。
火は彼の意思とは無関係に、獲物に伸びる蛇のように玉座に向かって走る。
王は反射的に命じた。
「おい……前に立て……!!
命令だ、“盾となれ”!!
“ロックを通すな”!!!」
王の足元に伏していた奴隷たちが、一斉に顔を上げた。
無表情。無感情。
幸福に酔った虚ろな瞳で、ただ命令だけを見る。
色は――濁った灰色のまま。
ハクタンにも、揺れは一切見えなかった。
彼らの胸には、依然として“命令される幸福”しかない。
死の恐怖も、生存本能も、抵抗の影すらも、生まれていない。
奴隷たちは並び立ち、盾のようにロックの前へ立ち塞がった。
ロックの前へ“幸福のままの壁”が形成される。
だが――火は止まらない。
ロックの胸から溢れた赤は、
もはや床を這うだけでなく、空中に糸を引くように伸び、
王と奴隷の間にある全てを焼き払う準備をしていた。
「……ッ」
ロックは胸を掴む。
暴走を抑えようとする。
だが、誠実の火は王の“不誠実の核”を観測した反動で、
今までにないほど肥大化している。
王の不誠実――
責任の完全放棄。
他者を快楽の部品としか扱わない構造。
選択を奪い、幸福を他者の命令に置き換える世界観。
楽しむ努力を捨て、快楽の供給を当然とする姿勢。
国民の生を“命令ひとつ”で消費する虚栄。
この国そのものが、王そのものが、不誠実の塊。
その観測が、火を暴走させていた。
赤がさらに膨れ上がり、玉座を包囲する。
その瞬間だった。
ロックが抑えきれなかった火の“端”が、盾奴隷の胸元に触れた。
ほんのわずか。
すれ違いのような触れ方だった。
だが――誠実の火は反応する。
命令に従うだけの幸福。
選択を放棄したままの生。
自分の意思を一度も持たなかった人生。
そこに、火は触れてしまった。
――ボウッ。
盾奴隷の身体が、赤い光に包まれ、そのまま炎へと変わった。
声を上げる暇すらない。
燃え上がり、灰のように崩れ落ちた。
残ったのは黒い影と、微かに漂う焼け匂いの錯覚だけ。
玉座の間が、一瞬だけ完全に静まり返った。
他の奴隷たちが、それを見て――
初めて、胸の奥が揺れた。
命令の幸福がわずかにひび割れる。
色が濁った灰から、乱れた灰へと変動する。
しかし、それは“恐怖”とは呼べない。
ただ理解不能な光景に、刻印が処理しきれず揺れているだけ。
(……いま……やっと……揺れた……
焼かれるのを見て……命令が……崩れ始めてる……)
ハクタンの喉が震えた。
ロックの拳が震えた。
「……てめぇ……」
低く押し殺した声。
次いで爆ぜるような怒声。
「ふざけんじゃねえ!!」
ロックは胸を掴み、誠実の火そのものを殴りつけるように、胸元へ拳を叩き込んだ。
「誰を燃やすかは――
“俺が選ぶ”んだよッ!!
俺の意志に関係なく焼いてんじゃねぇ!!
俺を無視すんじゃねぇッ!!」
火が震えた。
赤い圧力が萎む。
暴走が押し込められるように、ロックの胸へ戻っていく。
玉座の間の空気が、ようやく揺らぎを止めた。
ロックは息を吐き、盾奴隷たちを睨む。
「聞け……」
その声は怒りでも優しさでもない。
選ばせるための声だった。
「お前ら……今、揺れただろ。
命令の幸福が揺れた。
“見てしまった”からだ。」
乱れた灰の色をした奴隷たちが、震える足で立ち尽くしている。
ロックは一歩、踏み出す。
「なら――選べ。」
胸の赤が、淡く脈打つ。
「“死にたくねぇ”って思うだけじゃ足りねぇ。
そんなもん、ただの反射だ。」
ロックの声が、玉座の天井を揺らすほど響いた。
「選べ!!
“生きたい”って――
お前ら自身が言え!!
命令じゃなく――
自分で選んで、叫べ!!」
その言葉は、奴隷たちの胸の灰へ刺さった。
一番前の男が、喉を震わせる。
「……いき……た……い……?」
初めて、自分の中に感情が生まれたような、恐る恐るの声。
次の瞬間、その言葉が形になった。
「生きたい……!!」
その声が伝染する。
「生きたい!!」
「生きたい……っ!!」
「生きたい!!!」
揺れが感情になり、感情が誠実になる瞬間。
ハクタンの瞳に映る色が、灰から
**赤と白の混じった“選んだ色”**へと変わっていく。
その瞬間――
ロックの火が再び動いた。
だが今度は暴走ではない。
奴隷の誠実に反応した、正しい燃焼。
奴隷たちの胸の刻印だけが、赤く光った。
「……あ……熱く……ない……」
「身体が……軽い……!!」
「命令が……聞こえない……!!」
刻印が次々と焼け落ちていく。
割れた刻印から、
王へ向かって何本もの 魔力の鎖 が露出する。
ロックはそれを見て、低く呟いた。
「燃えるのは……お前らじゃねぇ。
燃やすのは――
“お前らを縛ってた鎖”だ。」
誠実の火が動いた。
鎖へ沿って一直線に逆流する。
玉座の王の喉がひきつった。
「やめろ……!
やめろぉぉぉおおお!!
私は正しい……!!
私は……楽しませてやった……!!
私は……!!」
ロックの声が、その叫びを断ち切る。
「……終わりだ。」
「これで、この国は――
やっと選べる。」
誠実の火が王へ触れた。
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