第21話 享楽の王、誠実の火
第21話 享楽の王、誠実の火
玉座の間は、思っていたよりも狭かった。
いや――広さの問題じゃない。
視界に入るものすべてが、「ここだけ別の世界だ」と主張していた。
壁は宝石と金で埋め尽くされているのに、ところどころ黒く煤けている。
床には、食べかけの果実や、ひしゃげた酒瓶、壊れた楽器、飽きられた娯楽の残骸が散らばっていた。
玉座の階段には、奴隷たちが折り重なるように座っている。
誰も喋らない。
誰も動かない。
ただ、王の足元に寄り添う“装飾”として、そこにいる。
その中心。
享楽王ヴェルラウトは、片肘を玉座に預けた姿勢のまま、あくびをこぼした。
「……ふぁあ。ようやくか。」
眠たい目で、ゆるく笑う。
「まさか自力でここまでたどり着くとはな。
せっかくなら――それなりに楽しませてほしいところだ。」
ロックは足を止めない。
ハクタンが、半歩後ろに寄り添うように続く。
「楽しむ努力も知らねぇくせに、楽しませてもらえると思ってんのかよ。」
ロックが吐き捨てるように言うと、玉座の間の空気がわずかに揺れた。
ハクタンはロックの横で、こっそり王の胸元を見る。
(……え……?)
色が、なかった。
赤でも、青でも、灰でもない。
そこにあったのは、底の見えない黒と、その周りを覆う空虚の膜――“空っぽ”だけだった。
(これ……人……?)
喉が、ひゅっと音を立てて詰まる。
「見るな。気分悪くなるだけだ。」
ロックが視線を前に向けたまま言った。
ハクタンは肩をびくりと揺らし、うなずく。
王は、そのやりとりすら退屈そうに眺めていた。
「……努力?。」
王は、言葉を転がすように繰り返した。
「その言葉の意味が、よく分からんな。」
「そうだろうな。」
ロックは玉座の下、適当な位置で足を止める。
「お前みたいな生き方してたら、一生出てこねぇ言葉だ。」
王が目だけを細める。
「貴様……名は、ロックと言ったか。」
「そう聞いたなら、そうなんだろ。」
「実に不遜だな。」
王は肩をすくめる。
「よかろう。楽しんでやる、ロック。
私の国を見て、何を思った?」
ロックは、ほんの少しだけ視線を巡らせた。
積み上げられた装飾。
壊れて放置された娯楽。
動かない奴隷たち。
「……クソみてえな国だ。」
短い答えだった。
王は、すぐには怒らない。
笑みを崩さないまま、穏やかな声で言った。
「そうか。
私は、よくできた国だと思っているがな。」
ハクタンが、思わず顔を上げる。
(……よく、できた……?)
王の声には、本気の自負が滲んでいた。
「この国では、誰も責任を負わない。」
王は指先をひとつ動かす。足元の奴隷が、それだけで姿勢を直した。
「誰も選ばない。誰も迷わない。
ただ命じられ、その通りに動き――与えられた楽に身を浸す。」
目を閉じ、うっとりとした表情を浮かべる。
「素晴らしいではないか。
選ぶ苦しみから解放され、責任の重荷から逃れ、
ただ“幸せだけ”を感じる国だ。」
ロックは鼻で笑った。
「幸せ、ね。」
「責任ほど無価値なものはない。」
王は淡々と続ける。
「責任は痛みを生む。
選択は後悔を生む。
私は国民に、そんなものを背負わせたくはない。」
玉座の間に響く声は、どこか優しい響きすら帯びていた。
「だから、私が命じるのだ。
“考えるな”と。
“選ぶな”と。
“楽を享受せよ”と。」
ハクタンは、ぞっとした。
(……今の、声……
本気で、優しいって思ってる……)
責任を奪うことを、
選ばせないことを、
“救い”だと信じて疑っていない声。
ロックは、ゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。
「……責任から逃れるのが幸せ?
選ばなくていいのが楽?
笑わせんなよ。」
王の眉がわずかに動く。
「与えられた楽だけ食ってりゃ、
そのうち何も感じなくなんだよ。」
ロックの声は、静かだった。
「楽しむってのはな――
“楽しむために、自分で動く”ことだ。」
王は、露骨に眉をひそめた。
「……“楽しむために何かをする”?」
王は心底訝しげに、言葉を反芻する。
「なぜ、私がそんなことをしなければならない。
楽しませるために動くのは奴隷だ。
楽を受け取るのは、私だ。」
「まあ、そう思ってるだろうな。」
ロックは肩をすくめる。
「だから今のお前になった。」
「今の私がどうした。」
王は指を鳴らす。
足元の奴隷たちが震えながら身を縮める。
「私は、生まれてから一度も不自由したことがない。
命じれば全てが整い、
退屈すれば新しい娯楽が届き、
飽きたものは消える。」
薄く笑う。
「ここが、理想だ。
誰も苦しまない。
皆、命じられた役目を果たし、褒美として快楽を得る。
責任などという、くだらぬ苦痛に触れずに済む。」
「……くだらねぇな。」
ロックの返しは短かった。
「お前は、最高の国を作ったつもりかもしれねぇけどよ。」
少しだけ視線を落とす。
王の足元で、目を閉じたまま立っている奴隷と目が合った。
「お前がやってるのは国づくりじゃない。
“思考を奪われた人形”を並べてるだけだ。」
「人形……だと?」
王の声が、初めて低くなった。
「そうさ。
自分の意志で立てない。
自分で選べない。
与えられた快楽が切れたら倒れるだけ。
そんなの、人間の形した“消費装置”だ。」
ロックの胸で、赤い火がゆっくりと揺れた。
「思索のない娯楽は、娯楽たりえねぇ。
ただの刺激だ。
そんなもんに浸かってたら、
いつか何も感じなくなんだよ。」
王は、理解できないものを見る目でロックを見た。
「……努力して楽しむなど、愚かだ。」
王は吐き捨てる。
「なぜわざわざ苦しむ道を選ぶ。
責任を負えば、失敗したときに傷つく。
選べば、後悔する。
そんなものに誠実になる価値があるのか。」
「あるから、俺はここにいるんだろうが。」
ロックは一歩前に出た。
「怒って、迷って、自分で選んで、
それでも“それでよかった”って思うために――
人は痛みも背負ってんだよ。」
王は鼻で笑う。
「痛みなど不要だ。
痛みを消すためにこそ、私は命じている。」
両手を広げて、玉座の間を示す。
「見ろ。
誰も、自分で選ぶ必要はない。
“命令に従う”という正しさだけを与えられ、
その対価として快楽を得る。」
そこには、確かに一つの“世界観”があった。
責任を避けることこそ善。
思考を捨てることこそ救い。
命令に従っている限り、自分は傷つかない――という、歪んだ優しさ。
(……これが……)
ハクタンは、視線を下げながら思う。
(これが……この国の“形”……)
ロックは、ゆっくりと息を吸った。
「……お前さ。」
少しだけ顎を上げて、王を見据える。
「“楽しむ側”が誠実じゃなくていいと思ってんのか。」
王の表情が、露骨に固まった。
「……誠実?」
「そうだ。」
ロックは静かに続ける。
「娯楽や享楽を悪だとは言わねぇよ。
誰かが頭抱えて作って、
誰かが人生削って準備して、
“楽しめるように”してくれてるもんだ。」
玉座に散らばる壊れた楽器や、割れた杯へと視線を向ける。
「それをさ、
“思った通りじゃねぇ”ってだけでぶっ壊して、
“俺を楽しませろ”って顔で座ってるやつを――
誠実だとは、俺は思わねぇ。」
王の口元が引きつる。
「楽しむには、楽しむ側にも誠実が要る。」
ロックの声は、玉座の間全体に届くほどに、よく通った。
「与えられる楽をありがたがること。
作ってるやつに敬意を持つこと。
“自分も楽しめるように”動くこと。
そこに、自分なりの責任を持つこと。」
拳を握り、胸に軽く当てる。
「それがねぇ享楽は、ただの“逃げ”だ。
自分の生から目ぇ逸らすための言い訳だ。」
ハクタンは、ロックの胸の赤が大きくなっていくのを見ていた。
(……ロック……)
その赤は、怒りだけじゃなかった。
誰かの生を肯定したい、静かな熱が混ざった色だった。
王が、ついに笑みを崩した。
「……分からぬ。」
苛立ちを隠さない声だった。
「なぜ“快楽を与えられる側”が、そこまで考えねばならん。
私は王だぞ。
世界は私を満足させるために回っている。」
「……ああ。そこが一番ムカつく。」
ロックは頭をかいた。
「世界が“自分を楽しませる努力”を怠ってるだけ。
自分は悪くねぇ。
そうやって責任を全部外に投げて、
命令で他人の人生をねじ曲げて――」
目を細める。
「お前、自分の人生を楽しませる努力、
一回でもしたか?」
王の瞳が、わずかに見開かれた。
「……私は……」
何か言いかけて、言葉を飲み込む。
その瞬間だけ、
ハクタンには、王の胸の色がぐにゃりと揺れたように見えた。
(……揺れた……?)
だが、すぐに黒が全てを塗り潰した。
「私は――民から責任を奪ってやった。」
王は叫ぶように言った。
「選ぶ苦しみをなくし、
痛みなく楽を与えるために、この国を作ったのだ!!」
声が玉座の間に反響する。
「その“善意”を、なぜ責められねばならん!!
なぜ私を楽しませぬ者のために、
私が何かをせねばならん!!
世界は私のためにある!!
私を楽しませぬ者は――消えるしかない!!」
怒り。
恐怖。
空虚。
全てが混ざった叫び。
ハクタンは、思わずロックの腕を掴みそうになって――ぎゅっと拳を握りしめた。
(ロック……)
ロックの胸の赤が、一気に燃え上がる。
黒を押しつぶし、形を変え、
玉座の間全体にじわりと熱を広げ始めた。
「……ああ、そうだな。」
ロックはゆっくりと一歩、階段に近づいた。
「“世界が俺を楽しませろ”って在り方。
責任から逃げて、
選ぶことから逃げて、
楽を貰えないなら世界のせいにして――」
言葉を切り、王を真っ直ぐに見上げる。
「それが、不誠実の塊なんだよ。」
王の喉が、ごくりと鳴った。
「観測は、終わりだ。」
ロックは胸に手を当てる。
「他責。責任放棄。欺瞞。
命令で人を支配して、
本心から目を逸らして、
搾取を“正しさ”で塗り固めて――」
静かに告げた。
「お前の生き方は、全部燃える。」
「ロック……!」
ハクタンの声が、思わず漏れる。
ロックは振り返らない。
ただ、片手を軽く上げて見せた。
「大丈夫だ。」
短い言葉。
「“楽しむ誠実”は、俺が選んだ生き方だ。」
その瞬間だった。
ロックの足元から、赤い光がにじむように広がり始めた。
炎――ではない。
しかし、確かに熱を帯びた何かが、玉座の間の空気を震わせる。
王の足元を覆う奴隷たちの背筋が、一斉にこわばった。
(……火……)
ハクタンには、それがはっきりと見えた。
ロックの胸の赤が、玉座へ向かって伸びていく。
享楽王ヴェルラウトの黒と空虚を、真正面から焼き尽くすために。
誠実の火が――
いま、玉座に届こうとしていた。
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