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第17話 灰色の街、赤い火の影

第17話 灰色の街、赤い火の影


 裏路地は、まだ朝の冷たい空気を抱えていた。

 足音だけが、四人の逃走を知らせるように乾いた石畳に響く。


 ロックは一度も振り返らなかった。

 あの屋敷で生まれ始めていた日常――笑い声、ぎこちない会話、温かい食卓――それらを背負ったまま、ただ前へ進む。


 壁の影が、何度も角を曲がっていく。

 屋敷の匂いが、街の匂いに薄められていく。


 ルヴァートが小さく息を吐いた。


「……ねぇ、ロック。

 こうして後ろ姿だけ見てるとさ……なんか、ほんとに屋敷を捨てたんだなって実感するわ。」


 ロックは走りを崩さない。


「何だよ、今さら寂しくなったのか。」


「なるに決まってんでしょ。」


 ルヴァートが肩をすくめる。

 

「なんだかんだで、あのガタガタの屋敷……居心地良かったじゃない。」


 ハクタンも、小さく言った。


「……うん。

 みんな、やっと……笑ってたのに。」


 ロックは短く息を吐いた。

 それでも前を向いたまま。


「笑う時間があったなら、それで十分だ。

 あそこを守るために全滅するのは……馬鹿のやることだ。」


 ルヴァートが小さく苦笑した。


「そういう言い方するから、あんたは悪に向いてないって言うのよ。」


 帰らない日常。

 それを理解しながらも、誰も足を止めなかった。


 遠くで、重い衝撃音が響いた。

 王命隊が屋敷に到達したのだろう。

 その音は、過去を断ち切る刃のようにスラムへ届く。


 ロックは眉一つ動かさず言った。

 

「急ぐぞ。」



 広い通りに出ると、ロックは自然と話し始めた。

 走りながら、呼吸するより自然に。


「城の出入り口は三つ。

 使えるのは裏の二つだけだ。

 正面は戦士奴隷が固まってる。」


 四人は細い路地を抜け、次の大通りへ出る。

 スラムへ向かう道はまだ人影もまばらで、足音がよく響いた。


 走りながら、ロックは思考をそのまま言葉に落とす。


「……三つ。」

 ハクタンが小さく繰り返す。


「戦士奴隷が最前線に?」

 ルヴァートが眉を寄せる。


「あいつらは“命令で動く壁”だ。」

 ロックの声は淡々。

「王の側に置かれるのは当然だ。」


 ジュラルが速度を合わせながら報告する。


「訓練場は城の東に集中しています。

 王命隊の動きは単純で直線的。

 命令の伝達に依存しすぎていて……横の連携は薄い。」


「つまり、正面からぶつかるのは愚策ってわけね。」


 ルヴァートが腕を組む。


「正論の国と比べれば、連携の粗がよく見えます。」


 ジュラルは淡々と言う。


「……もっと言えば、個の判断が捨てられている分だけ、対処しやすいかもしれません。」


「医療区画はどう?」

 ルヴァートが訊く。


「損耗した戦士奴隷はそこに集められてる。

 負荷が高すぎて壊れかけの奴らばかりだ。」

 

 ロックは淡々と言う。

 ルヴァートは眉を上げた。

 

「働ける奴隷はロックに流れて、城は人手不足。

 それで王は娯楽奴隷を異常に消費してる。……笑えない状況ね。」


 その言い方に、ロックは肩をすくめるだけだった。


 ハクタンが視線を道の先へ向けたまま呟く。


「……スラムが近い……

 灰色が……濃くなってきてる……」


「色の話か?」


 ロックが短く問う。


「……うん。

 誰も……未来を見てない色。」

 

 ハクタンの声は震えていた。

 

「王命隊の色は……空っぽのまんま……。」


 ロックは少しだけ目を細める。


「この国が壊れてる理由だよ。

 色を見るまでもねぇけどな。」



 四人の速度は自然と速まり、ロックが次の指示を口にする。


「城に入ったら、ジュラルが前だ。

 あいつらの突進を、まずお前が止める。」


「承知しています。」


 ジュラルは短く答えた。

 

「ですが、止めるだけでよいのですね。」


「ああ。」


 ロックは続ける。


「んで、ルヴァート。

 お前は刻印の位置を露出させろ。

 切れ味は一番信用してる。」


 ルヴァートは軽く鼻で笑った。


「“露出させろ”ってあんたね……。

 まあいいわ、派手にやってあげる。

 あたしの剣が泣かない程度にはね。」


 ルヴァートは軽口を叩きながら、目だけは獰猛に光っていた。


「頼りにしてる。」


 言葉が、飾りなく落ちる。

 その一言に、ルヴァートはわずかに目をそらす。


「……やめてよ、そういう言い方。」


 ロックは続ける。


「ハクタンは俺の護衛。

 それと、操られてる奴と、自分で従ってる奴の区別をつけろ。」


「……うん。

 ちゃんと、見る。」

 

 短い返事。

 未完成のままの音が、背中に残る。


 ロックは前を見る。


「そこまで渡してくれりゃ……あとは俺が燃やす。」


 ロックは静かに言った。


「全部だ。」 


 その言葉の裏側で、ハクタンはふとロックの胸元に目を落とす。


(……ロック……

 赤い火の後ろ……黒が……揺れて……)


 赤い火の奥で揺れる黒。

 誰にも気づかれない影。

 痛みのようなものが胸を打った。

 けれど、ハクタンは言葉を飲み込む。

 ロックの邪魔をしたくない。

 ただそれだけだった。



 大通りを抜け、さらに細い道を進むにつれ、空気が変わり始める。


 壊れた家の瓦礫。

 雨風を防げず裂けた布切れ。

 焦点の合わないまま、地面の一点を見つめる子供。

 見栄を張るような偽りの笑顔で金を求める女。

 ロックを見るなり怯えて壁に隠れる老人。

 逆に、牙をむく獣のような目で睨む若者。


 空気が、生きていない。

 呼吸していても“命の色”がない。


「……あんた。」


 ルヴァートが呆れ半分、本気半分の声を出した。

 

「ほんとに、こんなとこ……一人で歩いてたの?」


「別に珍しくねぇよ。」


 ロックは淡々と返す。


「……バカじゃないの。」


 言い捨てて、ルヴァートはロックの半歩後ろに入る。

 刃の位置が、自然に人波の外側を押さえる。

 

 ジュラルは静かに前後の気配を読み続ける。

 彼の足音は、周囲の腐った空気を押し返すように淡々と響いた。


 ハクタンはロックの横に寄り、また胸を見る。


(……黒い……

 さっきより……また……)


 影は、確かに濃くなっていた。

 誰も気づかない。

 ハクタン以外には。


 だがハクタンは何も言わない。

 言えば、ロックが足を止めてしまう気がした。


 さらに道を進むと、スラムの中心を抜ける細い抜け道へ出た。

 そこは、叫び声とすすり泣きが混じる“沈んだ音”が常に流れている場所。


 ――“視線の棘”が刺さる。


 軽蔑でも、憎悪でも、怯えでもいい。

 どれであっても、彼らの視線は“誰かを殺したいほどの色”を帯びていた。


 ロックはまっすぐ歩く。

 後ろを歩く三人は、自然と彼の“壁”のように位置取っていた。


「……行きましょう。」


 ルヴァートが囁く。

 

「ここ、長居したら……心がすり減るわ。」


「この先を右に折れれば、城の裏道へ入れます。」


 ジュラルの声はいつも通りだが、微かな緊張を含んでいた。


「急ぐぞ。」


 ロックが歩幅を広げた。


 壊れた街の中で、四人の影が長く伸びていく。

 その影は、ただ戦場へ向かうだけではない。

 それぞれの胸に“覚悟”と“恐れ”と“諦念”が混ざり、重さを増していた。


(ロック……。

 どうか……燃え尽きないで……)


 ハクタンの祈りのような心の声だけが、誰にも届かぬまま薄暗いスラムに溶けていく。


 城は、もうすぐそこだ。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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