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第11話 揺れる青と、選択の火

第11話 揺れる青と、選択の火


 ――何かが、折れた。


 音はしなかった。

 けれど、ジュラルの胸の内側で、確かに柱がひしゃげる感触があった。


 自分は、正しい側に立ってきた――。

 そう信じてきた年月ごと、胸の奥で軋んでいる。


 喉から、声にならない息が漏れた。


「……っ……!」


 剣を握る指がひきつる。

 膝が、わずかに沈む。

 教本どおりに積み上げてきた「騎士の型」が、足元から崩れていく。


 ハクタンは、その背中を見つめていた。


(……支えてた“正しさ”が……抜けてく……)


 色視を意識しているわけじゃない。

 それでも、一瞬だけ視界の端で、白が砕けて散る感覚があった。


 その代わりに残ったのは――空洞だ。


 支えていたものを失った人間の、どうしようもない揺れ。


「私は……」


 ジュラルの声は、掠れている。

 それでも、吐き出さずにはいられなかった。


「私は……どう、生きれば……」

 言葉を探す。いつもなら、すぐに出てきたはずの定型句。

 秩序。悪。正義。責務。


 どれも、喉の手前でばらばらに崩れた。


「“正しい”と言える……?」


 問いはロックに向けられている。

 けれど、その刃先は、今まで一度も向けたことのなかった場所――自分自身へ向かっていた。


 ロックは、その揺れを逃さない。


 喉に当たる刃の冷たさを無視して、ゆっくりと目を細める。

 視線が、ほんの一瞬だけハクタンのほうへ滑った。


 ハクタンは、唇を噛んだまま、小さく頷く。


(揺れてる……。

 さっきまでみたいな、“誰かの正解をなぞる揺れ”じゃない……)


 それを確認して、ロックは息を吐いた。


「……知らねぇよ。」


 あまりにも簡単な答えだった。


 しかしその簡潔さこそが、残酷なほど誠実だった。


「生き方を他人に決めてもらおうとする奴が、正義なんて語るな。」


 言葉が、真っ直ぐに刺さる。


 ジュラルの瞳が大きく揺れた。

 今度の揺れは、怒りでも、恐怖でもない。


 信じていたものが剥がれ落ちて、空っぽになった場所に、冷たい風が吹き込んでくる感覚。


「どう生きるかは、“お前の悪”で決めろ。」


 ロックの声音が、ほんのわずかに柔らかくなる。


「正義はあとでいい。

 先に必要なのは、“お前自身が選んだ”って事実だ。」


 善か悪か。

 正しいか間違っているか。

 そのジャッジよりも前の話だ、とロックは言う。


「誰かの枠の中で“正しい”をやってきた剣は、“正義の代行”だ。

 枠の外まで自分で歩いて、そこで振るった剣だけが――」

 そこでロックは一度、言葉を切った。

 喉の傷が、ずきりと主張する。


「“お前自身の正義”になる。」


 その瞬間、ジュラルの手から力が抜けた。


 剣が床に落ち、乾いた金属音が部屋に響く。


 張り詰めていた糸がぷつりと切れ、ロックの身体からも力が抜ける。

 壁に手をついたまま、ゆっくりと座り込んだ。


「ロック!」


 ハクタンが駆け寄る。

 ロックの首筋には、刃が浅く走った痕があり、細い赤い線が伝っていた。


「ちょ、ちょっと待って……今、治すから……!」


 ハクタンは震える指で傷に触れ、息を吸う。


 淡い光がふわりと広がり、切り傷に満ちていく。

 浅い傷口がゆっくり閉じ、血が止まり、肌が滑らかに再生した。


「……助かった。」


 ロックは首を軽く動かし、問題ないことを確かめる。


「助かったじゃないでしょ……! 本当に……!」


 涙をにじませるハクタンに、ロックは小さく肩をすくめた。


「……悪いな。」


 ロックは少しだけ目を細める。


「こう見えて……死にたくはねぇからな。

 生きたがりなんだよ、俺。」


「そういう問題じゃないって言ってるの……!」


 ハクタンの尾が、怒りとも安堵ともつかない動きでぶわっと膨らんだ。

 それを見て、ロックはかすかに肩を揺らす。


 ***


 少し離れたところで、ジュラルは――立ち尽くしていた。


 剣を落とした手が震えている。

 握っていた感覚が、まだ抜けない。


 視界は、やけに鮮明だった。


 傷を負いながらも静かに笑う男。

 慌てながらも迷いなく魔法を流し込んだ少女。

 壁にもたれ、腕を組み、睨むでもなく笑うでもなく、ただその光景を観察している女。


 どれも、ジュラルの世界には存在しなかった構図だ。


 正義の国で学んできた「救済の絵」にも、

 奴隷の国で見てきた「支配の光景」にも、当てはまらない。


(……何だ、これは……)


 胸の奥で、小さな言葉にならない問いが渦巻く。


 ルヴァートが、そこでようやく口を開いた。


「まったく。

 あんたってほんとさ、ろくでもないところで命張るのよね。」


 呆れたような声。

 だが、その眼差しは氷のようには冷えていない。


「褒め言葉なら、もっと素直に言え。」


 ロックが喉を押さえたまま返す。


「呆れてるの。」


 短いやりとり。


 しかし、その軽さが、この場の重さを少しだけ和らげた。


 ハクタンの肩から、かすかに力が抜ける。

 尾の毛並みも、少しだけ落ち着いた。


 首を斬られかけた男と、その仲間たちと。

 自分は今、その輪の外側に立っている。


 だが、完全な“外”とも言い切れない位置だ。


 自分の剣は、今、床に落ちている。


 ロックが、ゆっくりと顔を向けた。


「……で。お前はどうすんだ。」


 問いは単純だ。

 しかし、そこに「正解」は置かれていない。


「今すぐ、答えを出す必要はねぇ。」


 ロックは目だけでジュラルを見る。


「今すぐ答え出すってのは、

 “また誰かの正義に乗っかる”のと、そう変わんねぇからな。」


 ジュラルが、はっと息を呑む。


「……今すぐ決めないことも、

 “選択”だと言うのか。」


「そうだ。」


 ロックは、ゆっくりと頷いた。


「“悩む”ってのはな――

 自分で選ぼうとしてる奴だけに許された贅沢だ。」


 ジュラルは、その言葉を噛みしめるように、胸の中でひとつひとつ繰り返した。


 ハクタンは、そっとロックの火を見る。


 さきほどまで、死を踏まえた静かな赤だった火が、

 ほんのわずかに表面の温度を取り戻している。


(……生きようとしてる……)


 彼は、この先のことまで含めて、まだ観測している。


 ジュラルが、落ちている剣に一度だけ視線を落とし――もう一度、ロックたちを見る。


「お前の言うことが、全部正しいとは思えない。」


「そりゃそうだ。」


 ロックはあっさりと返す。


「“正しいと思え”なんて、一度も言ってねぇ。」


 その一言に、ジュラルの表情がわずかに揺れる。


「私は……あの国で“正しくありすぎた”。」

 ぽつり、と零れた言葉は、自嘲にも似ていた。

「だから追放されたのだと、今なら思う。」


 正論を振るい過ぎた剣は、いずれ組織すら斬ってしまう。

 その結果として、彼はここにいる。


「今すぐ、自分を“悪”と呼ぶことはできない。」


「それでいい。」


 ロックは淡く笑う。


「お前が勝手にそう思える日が来るなら、

 その時勝手に呼べばいい。」


「正義を……完全に捨てることも、できない。」


「捨てなくていい。」


 ロックの答えは、即答だった。


「お前が無理して捨てるってのも、それはそれで“不誠実”だろ。

 捨てたくもないもんを捨てたふりして、

 “新しい自分”とか言い出すのは、ただのごまかしさ。」


 その言葉は、

 ジュラルから「救い」を奪い、

 同時に「言い訳」も奪った。


 どちらかに寄りかかる余地を壊し、

 真ん中に立たせる言葉。


 ジュラルは目を伏せ、一度、長く息を吐いた。


 その沈黙は、逃げるためのものではない。

 自分の中を探るための時間だ。


 それを、ハクタンは“雰囲気”で理解した。


(さっきまでの黙り方と、違う……)


 やがて、ジュラルは顔を上げる。


「今すぐ、お前の思想を受け入れることはできない。」


「それでいい。」


「だが――」


 短く息を吸う。

 その呼吸は、さっきまでよりもずっと、自分のものだった。


「私は、自分の目で“お前を見る”。」


 ロックを、真正面から見据える。


「この国でお前が何をし、

 本当に“悪として生きているのか”、

 それともただの破壊者なのか。」


 その言葉は宣言だった。


「……“正義の剣”として――

 そして、“ジュラル”として、お前を監視する。」


 国でも、役割でもなく、自分の名で立つ。


 ハクタンの胸が、少しだけ熱くなった。


「勝手にしろ。」


 ロックは笑った。

 小さな笑いだったが、そこに拒絶はない。


「見て選ぶってんなら、それなりに誠実だ。

 気に入らなきゃ、その時斬りゃいい。」


「そう簡単に言う……」


 ジュラルは苦い息を吐く。


「命を預け合うことが、どれほど重いことか……」


「預けねぇよ。」


 ロックの返しは速かった。


「俺はお前に命を預ける気なんざない。

 勝手に“斬れる距離”にいるのは、お前が選んでるだけだ。」


 ジュラルは一瞬だけ目を伏せ――そしてまた、まっすぐ見た。


「……なら――私も、勝手に“傍にいる”と決める。」


 それは、誰からも与えられていない言葉だった。


 自分の足で立ち、自分の意思で距離を選ぶ宣言。


 ルヴァートが、そこでふっと鼻で笑う。


「監視って言いながら、普通に“仲間の距離”まで入ってきてるわよ、それ。」


「仲間になるとは言っていない。」


「でも、出て行くとも言ってないじゃない。」


 軽口を叩きながらも、ルヴァートの視線は鋭い。

 この騎士が持つ「利用価値」も、「危うさ」も、両方測っている目だ。


「……ロック。」


 ハクタンが、小さな声で呼ぶ。


「もう、喋らないほうがいい……。

 首、まだ痛むでしょ……?」


「浅かったんだ。問題ねぇよ。」


 ロックは首筋を軽く触れ、動きを確かめる。

 

「さすがに今日は……

 これ以上、説教する喉じゃねぇな。」


「最初から説教じゃないでしょ……!」


 ハクタンの声には、安堵と苛立ちが混ざっていた。


 ロックが座り込んだまま肩をすくめると、

 ルヴァートはやれやれと首を振る。


「とりあえず今日は、ここまで。

 あんたの命ごと吹き飛ばされたら、正義も悪も商売も何もかもパーだし。」


「商売……?」


 ジュラルが眉をひそめる。


「ロック商会よ。

 あんたが斬ろうとした“悪”の拠点。」


「……商会。」


 ジュラルの口の中で、言葉が転がる。


 正義の国では、剣と法が秩序を作っていた。

 ここでは――一人の男と、その選択が、別の秩序を作ろうとしている。


「この国で本当に“悪として生きる”って言うなら。」

 ルヴァートが続ける。

「奴隷制っていう“正しさ”の形を、丸ごと相手にすることになるわ。

 ……騎士様の剣、うまく使わせてもらうかもね。」


 ジュラルは、一度だけ目を閉じた。


「利用されるのは、慣れている。」


「そう?

 じゃあ今度は、“自分が納得できる利用のされ方”かどうか、ちゃんと見張りなさい。」


 ルヴァートの言葉に、ジュラルの表情がわずかに揺れた。


 それは、これまで考えたことのない観点だった。


 ハクタンは、そっと視線を上げた。


 ロックの胸の火は、深く静かに燃えている。

 ジュラルの胸のあたりには、濃い青がゆっくりと揺れていた。


 その二つの色が、同じ部屋で、違うリズムを刻んでいる。


(ロックの選び方が……

 誰かの選び方を、変えていく……)


 そう思った瞬間、胸の奥がひそかに誇らしく満たされた。


(……ロック。

 やっぱり、あなたは……)


 ロックが見えない角度で、ハクタンは小さく笑う。


(すっごく、かっこいいよ。)


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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