34.光の先
――戦える。
シュバルツの思考にあるのは、それだけだった。
どうして狼の姿から人の姿になれたのか、推測はできる。
この黒煙は森の魔力を凝縮したものだ。八年も森にいたのだから本能でわかる。
森の魔力に手を加え、歪め、貶めたのが黒煙であり、太古の技術。
それが思いがけずにシュバルツにも作用したのだ。
剣が空を走り、ヌラウの腹を裂く。
「貴様……! ただの人間がぁっ!」
「……それは君もでしょ?」
想像よりも冷たく言い放てたことにシュバルツは少し驚く。
床に突き立つランスターの剣を見た時に、震えが来たのと同じだ。
自分の深奥がざわめき、目覚める。
それが良いことなのか悪いことなのか――シュバルツ自身にもわからない。
だが、戦える。それだけが今、必要なことだった。
黒煙を吸い込んで力を強めたヌラウが叫ぶ。
「いいや! 俺は進化した! 森の魔力を制御して、人を超えたのだ!」
マーコールの半獣人と化したヌラウにシュバルツはふと、記憶にある絵画を思い出した。
角を生やした半獣人が人の英雄に討たれる、ありふれたモチーフの絵。
ヘクタールの宮殿の廊下にはいくつもそのような絵が飾ってある。
「今の君は人を超えたというより、悪魔に成り下がったみたいだね」
「これは偉大なる叡智だ!」
激するヌラウが右腕を繰り出す。
シュバルツは壁を跳ねて回避するとともに、稲妻のごとき一閃をヌラウの脚へ叩き込んだ。
「それに俺を殺すのに、ずいぶんと手間取っているじゃないか。これで人を超えたってよく言えるね?」
「……貴様も森の魔力を取り込んだからだ!」
冷静さを取り戻したヌラウが下がりながら脚の回復を待つ。
そこにシュバルツが何度も猛攻を仕掛ける。ヌラウは防戦一方だ。
「呪いの実験体に過ぎない貴様が、神聖なる探求を侮辱するな……!」
ヌラウが大きく息を吸い、黒煙を取り込む。
今のシュバルツは本能で黒煙を取り込んでいたのだが、それを断つつもりのようだ。
「……呪い、か」
半獣人、呪い、森の魔力――目の前の怪物と黒狼の己が重なる。
この黒煙がある限り、ヌラウは無敵なのだろう。
シュバルツにもわかっている。黒煙が染みると傷があっという間に治るのだ。
普通ではない。普通のはずがない。
(――冷たいね)
これをシュバルツは人を超えた証だとは思わなかった。
ひどく呪わしく、忌まわしい力だ。
エリーザの光は、彼女が与えてくれたものはこれとは比べものにならないほど暖かかった。
シュバルツは攻防の刹那にエリーザとオーリへ視線を走らせる。
自分を解き放ってくれた光。
エリーザの持つ聖なる力なら、黒煙そのものを止めることができるはずだとシュバルツは直感していた。
◆
「……えっ?」
シュバルツが台を見て、私を見た。
私のそばにいるオーリが鳴く。
「ぴっ! ぴぃー!」
台を壊して――オーリとシュバルツは同じことを言っている。
でもそれはもう試したのだ。
ランスターと一緒に戦っている時に、隙を見てナイフを突き刺してみた。
しかし、全く効果がなかったのだ。
魔力の濃すぎる狼の死体も台も並の力では歯が立たない。
「ぴーっ!」
「私の、力で……?」
伝わってくる。何をすればいいのか。
私の癒しの力……聖女の力。
確かに聖女の力はシュバルツを癒して、黒狼から人へと戻した。
「何か手があるのなら、やってください……」
ランスターが息も絶え絶えに言う。
「でも……!」
癒しの力は一日一回だけ。ここで使えばランスターや他の人には使えなくなる。
「……殿下は無茶をしておられる。迷っている時間はありません……」
ヌラウとシュバルツの戦いは続いている。
だが、少しずつシュバルツの動きは遅くなっていた。
対してヌラウはまだ回復して戦い続けている。
角を失った衝撃と影響を差し引いても、まだヌラウは強い……とてつもなく。
やるしかない。信じるしかない。
私はすがりつくように煙を放ち続ける台に向かう。
身体はガタガタで、意識が遠ざかり始めていた。でも、やらなくちゃ。
なんとか上半身を台へと張り付かせる。
台にはめ込まれた、狼の死体。
一体、これは何なのか――それを知るのは怪物と化したヌラウだけなのだろう。
私は精一杯、息を吸って吐いた。
「癒しを……」
私の身体の中にある光が胸を通り、腕を伝う。
きらめく光の粒が指先からあふれて、台へとこぼれ落ちていった。
淡く、熱した光が台の狼へと降り注ぐ。
私の胸に湧いたのは、ひとつの言葉だった。
この狼はきっと、ずっとここにいたんだ。
たったひとりで。遥か昔から。
「……おやすみ」
狼の顔が――気のせいに違いないけれど、安らいで見えた。
純白の光が狼をゆっくりと包み込む。
同時に黒煙も形を変えていく。
不吉な黒の魔力から、春の日差しにも似た暖かな光の波へと。
私は確信した。森の魔力が応えてくれている。
いびつな黒の魔力を森そのものが拒絶しようとしていた。
ヌラウが光の奔流に向かって怒りをぶつける。
「これは聖女の――貴様、偉大なる知恵の遺産に何をしている!?」
私を止めようとヌラウが駆け出す。
癒しの力を使っている時、私は無防備だ。
でも、私にはシュバルツがいる。
「君の相手は俺だよ」
「ぬぅぅっ! 邪魔を! するな!」
必死の形相を浮かべるヌラウ、冷静に剣を振るうシュバルツ。
広間に蔓延していた黒の魔力が純白の魔力へと置き換わり、聖なる気が満ちていく。
激しく火花を散らす激闘。
そこでまず変化が起きたのは、ヌラウだった。
「はぁ、がはっ、おのれ……!」
「息が上がっているね。森の魔力がなくなって、苦しいのかい?」
「それは貴様も同じのはず!」
広間にあった黒の煙が追いやられ、消えていく。
シュバルツとヌラウが吸収すべき魔力がなくなっていく。
台にある狼の死体もすでに純白の光しか発しない。
シュバルツの鋭い剣がヌラウの左腕を裂く。そこから黒の魔力が漏れ出すが、ついに傷が塞がらなくなっていた。
「……終わりだ」
「俺が終わり!? 貴様のような、凡人どもに――俺が遅れを取ると!?」
ヌラウの一撃をシュバルツが剣で防ぐ。
だけど、シュバルツも限界だった。黒の魔力は彼の力の源でもあったのだから。
怪物の腕力に圧され、シュバルツが膝をつく。
私の指先から癒しの力が消える。今日の分の力を使い切ったのだ。
私は疲労を脇に置いて、反射的に弓と矢を取っていた。
「見ろ! 貴様も限界だ――」
ヌラウの横顔を矢が突き抜ける。
「……あ?」
理解できない、という顔をしてヌラウは矢の飛んできた方向を睨んだ。
矢を放ったのは私だ。
力を失いつつあるヌラウに、これまでよりも深く矢が刺さった。
ヌラウの魔力が震え、動揺する。
その隙を見逃すシュバルツではなかった。
全身の力を駆使し、剣をヌラウの首元へと叩き付ける。
怪物の頸動脈にシュバルツの剣が食い込んだ。
「がっ!? そ、そんな……あと、もう一歩だったのに……!」
「違うね。君はどこにも到達しない――先駆者と同じ。滅ぶだけの存在だ」
「ふ、ははは……勝ち誇るがいい。それも長くは続かない――!!」
ヌラウが大口を開けた瞬間、シュバルツが一気に力を強める。
ばす、と肉を断ったとは思えない音がしてヌラウの首が飛んだ。
怪物の首が宙を舞い、角からごとりと床に転がる。
「はぁっ……ふぅ……」
勝った、終わった。
シュバルツの勝ちだ。あとはヌラウの配下だけ……なのに、シュバルツの身体が大きく揺れた。そのままうつ伏せにシュバルツは倒れてしまう。
「シュバルツ……!」
弓と矢を投げ出し、私はシュバルツに駆け寄る。
白い光で満たされた広間の床。シュバルツの身体の下から赤い鮮血が流れていく。
心臓がきゅっと縮まる。
(嫌だ、そんな、止めて!)
私はシュバルツの身体を起こそうとして――震えた。
彼の身体からは大量の血がこぼれていた。
「うそ……!」
「あはは、俺も限界みたいだ」
「ま、待って!」
ベルトの小袋から止血帯を取り出す。
手が震える。助けなくちゃ。まだ間に合う。
絶対にまだ間に合う。
シュバルツの怪我は酷かった。腕も脚も、胴体からも出血している。
無事なのは顔くらい……その顔からも生気が失せて、青白くなっていく。
駄目だ。私が持っている、こんな小さな止血帯じゃ。
「ああっ、人を呼んでくる!」
そうするしかない。私が立ち上がりかけたのを、シュバルツの腕が止めた。
力は込められていない。ただ、私を止めた。
「いいんだ。それよりも……そばにいてほしい」
「まだあなたは助かるよ! 諦めないで!」
「……俺も罰を受けるべき側なんだよ」
シュバルツの瞳がヌラウの首と胴体を見た。
あの魔術師と自分を重ねて見ている。
違う。あなたは彼とは違う。
握った手でそう伝える。でも……シュバルツの手からはどんどん命の火が消えていった。
美しい黒の瞳のまぶたが下りてくる。息が、静かに――止まっていく。
「ありがとう、本当に」
「駄目だよ……!」
私にはもう、彼を癒すことができない。
聖女の力。神の奇跡。今、それが必要なのに。
涙がこぼれてくる。せっかく、あなたを好きになって出会えたのに。
「……ぴぃ」
「オーリ……?」
台の上にオーリがいた。彼女が、お辞儀をしている。
誰に……向かって?
そこにいるのは、遥か昔に死んだ狼だけ。
オーリのくちばしが台の下の狼に触れて。
広間の光の粒が舞った。
「これは……!」
雨が逆巻くように、光の粒が次々と塔の遥か上に昇っていく。
同時に、感じた。
大いなる森がそこにいる。
私の手とシュバルツは血に塗れても、深くて安らかな森の中にいる。
血の匂いが清純な川の匂いに変わり、シュバルツの心臓の音が葉のざわめきに似て聞こえた。
その間に光は渦を巻き、空へと踊る。
膨大な魔力が弾け、森へと還っていく。あるべきところへ、森の奥深くへと。
その光の中に、ひとつの姿が浮かぶのを私は見た。
――狼だった。
私はそれが台の中にいた、死したはずの狼だと確信した。
その狼が頭を下げて、そして粉々になって光に溶けていく。
光はますます増え、視界を埋め尽くす。
怖くはなかった。とても優しくて、太陽にも似た暖かさだったから。
私はシュバルツを抱きしめ、目をぎゅっと閉じた。
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