24.過去
その言葉を聞いて、私は飛び上がらんばかりに驚いた。
冗談でなく、びくっと椅子から跳ね上がりそうになったのだ。
でも、そうはならなかった。
いつの間にか――隣にいたシュバルツが私の手を握っていてくれたからだ。
涼し気な目と裏腹に彼の手は熱く、私は彼から勇気を貰えた。
「俺が王子ね……。それは確かなの?」
「私はかつてヘクタール王国の近衛騎士でした。殿下を見間違うなど、あり得ません!」
はっきりと断言するランスター。
「殿下、記憶の断片の中に白亜の大理石の廊下はありますか? 巨大な絵画の連なる、花の満ちた空間は?」
それはかつて、シュバルツが私に語ってくれた記憶の断片のことだった。
ヘクタールの宮廷で私も同じものを見ている。
シュバルツが頷くと同時に、私の手を握る力がわずかに強くなった。
「細目の、髭の立派な老人はいかがですか?」
「……白衣の?」
「ええ、そうです! 彼は殿下の侍医でした。彼を覚えているのなら――」
なおも続けようとするランスターをシュバルツは手で制した。
「わかった。俺の出自のことは――君を信じよう。話を次に進めないと」
「何か事情がおありで……?」
「彼が人の姿でいられるのは、満月の光を浴びている時だけなんです。それ以外は狼の姿で、言葉は話せません――覚えてはいてくれますけれど」
「狼の時は複雑な思考もできないんだ。だから悪いけれど、重要なことを先に話したい」
はっきりと言明したシュバルツにランスターが顔を強張らせ、頷く。
「殿下の仰せとあれば……。そうなると――殿下はずっと黒狼の姿でおられたのですよね?」
「そうだね。エリーザと会うまで、多分そうだ。森で暮らしていたはず」
ふとシュバルツが目を細めた。
「……俺がヘクタールから消えて、どれぐらい経っている?」
「八年です、殿下」
ひゅっと私は息を呑んだ。八年はあまりにも長すぎる時間だ。
同時に嫌な予感が背筋を這い上る。
(八年……私がヘクタール王国を追放された時期だ)
あの事件で私は失敗した。
苦しむ男性の治療を任され、上手くいかなかったのだ。
宮殿の奥深く、カーテン越しの男性……黒の毛が生えて、近衛兵に守られた貴人。
そこまで考えてごくりと喉が鳴る。
あの時の黒の毛は黒狼と同じではなかっただろうか。
自信はない。八年も前のことだ。
(……でも、もしかして)
思考がぐるぐると巡る中、シュバルツがそっと言った。私の思考を向けるように。
「思ったよりは経っていないね」
「……そんな」
「下手したら数十年、数百年くらい経っているかもと思っていたよ。狼の時は時間の感覚が薄かったから」
それからランスターは口早に語り出した。
十年ほど前からシュバルツは体調を崩しがちになり、王宮から出られなくなったこと。
徐々に記憶が失われ、意志疎通が困難になり――八年前からはさらに酷い状態に陥った。
「身体に謎の黒毛が生え、それが広がると殿下の病状はさらに悪化していきました。昏睡状態と謎の興奮状態を行ったり来たり、周囲の者も手の施しようがなく……」
「だから君は俺が黒狼であることと記憶喪失にすぐ納得したんだね」
「――はい」
宮廷医は未知の魔術、強大な呪いがシュバルツを蝕んでいると診断した。
しかし数年がかりの治療にも目立った成果はなく、ついにシュバルツは王宮から消えてしまったという。
……全てが符合する。ヘクタールの宮殿、ギルベルト第一王子。
あの時、私が治療できなかったのは……ギルベルト第一王子だったのだ。
だから私は糾弾され、追放された。
「呪いに侵されても、殿下の肉体は衰弱していないようでした。もしも……生きておられるなら、どこかで健在やもと」
私にもランスターのこれまでの苦労と忍耐が伝わってきた。
「それでゴルドワナ帝国の騎士になっていたの?」
「はい……ヘクタール王国は姿の消えた殿下を探そうとはしませんでした。ゴルドワナ帝国は大国で様々な地域との繋がりがありますので」
私はこれまで、彼ほどの人間が帝国の代理として村に来るのを不思議に思っていた。
それには――こんな訳があったのだ。
祖国を離れ、姿を消した主のため。にしても、可能性はほとんどなかったはず。
「――本当に苦労をかけたね」
「いいえっ! 殿下の苦難の日々を思えば……」
満月の光が弱まる。夜空を見上げると長い雲が流れてきていた。
ランスターが慌てて言葉を重ねる。
「殿下! 殿下の呪いを解くには――」
「……ごめん。俺の意識が限界みたいだ」
言って、シュバルツの身体から淡い光が漏れ出す。狼の姿に変わる兆候だった。
「エリーザ、代わりに聞いておいてくれるかい?」
「……もちろん」
シュバルツの姿が黒狼に戻った。
わふ、と背筋を伸ばすが……この状態では意思疎通ができない。
「殿下……」
ランスターが唇を噛むがどうにもならない。
私はランスターの言葉の続きが気になっていた。
「彼の呪いを解く方法があるのですか?」
「……帝国に身を置く中で、私はひとつの手掛かりを得ました」
この時には私の胸はどきどきしながらも、冷静だった。
シュバルツはやはり一国の王族だったのだ。
もうそれは変えられない。シュバルツには家族どころか国が待っている。
私が聖女になってから、ヘクタールの王族とも会ってきたけれど――第一王子の話題は皆が避けていた。聖女だった半年間はきっと床に臥せっていたのだろう。
そうとわかれば、私のすべきことは決まっている。
シュバルツの記憶を取り戻し、人の姿でいられるようにすること。
やるべきことが決まれば、私の心はきちっと動いてくれる。
「この間のマーコールを覚えていますか?」
「ええ、でもあれは森の獣ですよね?」
「そうです。しかし、あの獣は特別でした。私も相対して気が付いたのですが、あの獣の発する不気味な気配と殿下を蝕んだ呪いは同質に感じられます」
「あの、粘つくような魔力ですね……」
主の魔力と視線、気配は忘れられない。
森の鳥や虫さえもいなくなるほどの存在感だ。
「あのような魔力はそうそう存在しません。あの不気味な魔力の出所が一番怪しいかと。しかも出処と思われる森の西には塔があり、人が住み着いているとか……」
「ベッセルさんもここから西に人がいるのを見たと言っていました」
狩人の住み着かない古代の塔。呪いと主の魔力。確かに疑わしい。
「森の連中は調べる必要があるように思います」
「そうですね……」
今はまだ雲を掴むような話だ。
でもあの主と呪いが同質というランスターの言葉は捨て置けない。
「もし聖女様が見つかれば、彼女に助けを求めるという方法もありますが……」
どきりと心臓が鳴る。ランスターは私が聖女ということを知らないのだ。私もランスターに会った記憶がない。
「ヘクタール王国には短期間ですが、聖女様がいたようです。残念ながら、私はお会いしたことがありません」
「……そ、そうですか」
「その頃の私は殿下の治療手段を求めて、王国を留守にすることも多く……その縁で帝国への士官が叶ったわけではありますが」
雲がより一層、月にかかる。晴れるまでは時間がかかりそうだった。
ランスターが席を立つ。
「今日はこれまでにしましょう。すぐ動き出したいのですが、焦って失敗してもいけません」
「……ありがとうございます。正直、受け止めるだけで精一杯で」
「それは私もです」
お互いに顔を見合って苦笑してしまう。
まさか、こんなことになるなんて。ランスターは丁重に礼を述べると帰っていった。
私も寝支度をして、ベッドに入る。
オーリは枕の上、シュバルツは私の隣で寝るのがいつものことなのだけれど。
頭が重くて、眠いような眠くないようなふわふわした感じだった。
でも夜にやりたいこともない。
「すぴぃ……」
オーリはあっさりと寝始めた。
置いてけぼりの私はずっと悶々としながら、天井を見ていた。
「……はぁ」
なんだかシュバルツの顔を見れなかった。
ランスターの情報はかつてない収穫なのに。
心がついていかない。
(お別れか……)
何度も考えたことが心の中をかき乱す。
シュバルツといられるのは、もう長くない。
覚悟できていると思ったのに。でも駄目だった。
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