23.過去の残響
十二月の満月の日。
村は迫る年越しにそわそわしていた。
それは私も同じだった。クララの先の言葉から初めて、人の姿のシュバルツと会うのだ。
夜、野外にテーブルを置いて食事をする。
硬めの黒パンとチーズ、あとは川で獲れたサーモンだ。
この季節、森の南部の川ではたまに獲れる。ふっくらと焼き上げると、とても美味しい。
しかもバターやキノコまでしっかり使った逸品だった。
「ぴぃっ!」
オーリは魚類にも目がない。
めちゃくちゃ上機嫌にサーモンとキノコを味わう。
黒髪のシュバルツも……フォークとナイフでサーモンを綺麗に切り分けていた。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう……」
シュバルツはサーモンの身とキノコを美しく皿に盛り付け、渡してくれた。
「慣れてるんだね」
「……うん、そうみたいだね。どこを切ればいいのか、なんとなく分かるんだ」
彼の手元は喋りながらも淀みなく動く。
「季節が変わって色々と触れれば、わかっていくかもね」
「……そうだね」
普段の食べ方も丁寧だけど、今は抜群に洗練されている。
(ヘクタール王国も川と海が近い国だったけれど)
大陸の南部には大きな川がいくつも流れ、海も豊かだと聞いた。
逆に大陸の北側は寒くて、漁も厳しいのだとか。
もし魚料理に慣れているのなら、シュバルツの出自は大陸南の可能性が高くなる。
そんなことをつらつら考えながら食べると、思考が引っ張られ、なんだか沈む。
「美味しいね、このサーモン」
「うっ、うん!」
突発に頷いて返事すると、シュバルツの深い黒の瞳が私を見つめていた。
「…………」
そこから先の言葉が思い付かず、私は黙ってしまう。
こんなにも私は喋れなかったっけと思うほどに。
「エリーザは怖いの?」
「えっ……?」
「俺の記憶が戻るのが」
「――っ!!」
違う。そんなんじゃない。
「それは……違う。本当にあなたの記憶が戻って欲しいと思ってるよ」
「……俺は戻らなくてもいいかなって思ってる」
「な、なんで? 少しずつ思い出してきたんじゃないの?」
「俺も怖いんだ。自分が何者なのか、知るのが……怖い」
彼が寂しげな笑顔をふっと浮かべた。
その笑顔が辛くて、私の胸が軋んで音を立てる。
「シュバルツ……」
「最近は風景だけじゃなくて、音も思い出せる。きっと俺が学んできた音楽だ」
喋りながらサーモンのほとんどを食べ終わる。
オーリも満腹なようで、ぽふっとテーブルの上で休んでいた。
「聞かせて」
「わかった。良さそうな草があれば……」
食事が終わるとシュバルツは幅広な草を手に取り、即席の笛にした。
ただ、これまでと違うのはずいぶん念入りに草笛を作っていることだ。
穴をきちんと開け、吹いては整えている。
「うん、これでいいかな」
シュバルツは納得すると草笛で曲を奏で始めた。
私はオーリを膝に乗せて、彼の隣で曲を聴く。
ゆったりと、静かな曲。
春のように優しく、目を閉じると鳥が舞う様が浮かび上がるようだ。
『聖女は鷹に導かれ、宿命に相対する』
『暗雲が空を覆うとも、聖女はいささかも臆さない』
『癒しの光が闇を裂くゆえ』
――私もよく知っている曲だ。
これは聖女時代、ヘクタール王国の宮廷楽団がよく演奏していた。
この曲はヘクタール王国に降臨した今までの聖女を称えるためのもののはず。
つまり、この曲はほぼヘクタール王国でしか演奏されることはない。
他国の人が知ることはまずないはずの曲だった。
(シュバルツはヘクタール王国の――)
ある程度、覚悟はしていた。
ここはヘクタール王国に近いのだから。
シュバルツは旋律の意味もきっと知らずに演奏しているとは思う。
これは私にとっても懐かしい曲だ。
旋律のひとつひとつが心にしみる。
もう八年も前なのに。この曲だけは聖女だった頃を私に思い出させる。
どれだけ帰りたくても、もう帰れない。
心の中では断ち切ったはずなのに……結局、あの治せなかった人は助かっただろうか。
色々な想いが去来して、私の目に涙が溜まる。
ゆっくり、私はシュバルツの肩に体重を傾けた。
なんでそんなことをしたのか、自分でもわからない。
でも、彼のそばにいたかった。彼の曲と体温をできるだけ近くで感じていたかった。
「……温かい」
こうして人の姿でも黒狼の時と同じ温もりにシュバルツは満ちている。
彼は曲を演奏し続けて――私は穏やかな音色に意識を預けようとした。
その瞬間、絶叫がいきなり夜を引き裂いた。
「この曲は……!! ああ、そんな! 神よ、これは一体!?」
小川の向こうに騎乗したランスターがいた。
「――ッ!」
油断した。こんな夜更けに私の家に来る者はいないと思っていたのに。
まさかランスターが満月の夜に村へやって来るなんて。
どうやって説明しようかと思考を巡らせる前に、ランスターが馬から駆け降りた。
「……え?」
そのままランスターは私とシュバルツの前に膝をつき、頭を下げる。
ランスターは帝国の信頼厚い騎士で、私たちのような狩人とは別世界の住人だ。
彼がそんなことをするなんて、想像もできない。
「え、ええと……」
戸惑う声を上げる私に、シュバルツはそっと曲を終えて草笛を置いた。
シュバルツは――落ち着いていた。
「……ランスターさん、顔を上げてください」
「はい……」
肩を震わせるランスターがシュバルツを凝視していた。
ランスターの目にあるものは驚愕、疑問――そして愛おしさ。
背に氷水を浴びせられたみたいに、私の身体が縮こまる。
知っている。ランスターはシュバルツの過去を知っているんだ。
ランスターが静かにシュバルツの顔を窺う。
「私のことはお分かりになられますでしょうか……」
「ごめんね。分からない。俺には記憶がなくてね」
「……やはり」
ランスターが嘆息する。やはり、というのも引っ掛かった。
彼は驚きながらもこの会話の流れを予測していたようだった。
「ランスターさん、あの……っ! この人を知っているんですか?」
「エリーザさん……」
ランスターが周囲を見渡す。
「まずはその前に、確認させてください。あなたが連れていた黒狼と目の前の方は、同一人物ということでいいのですよね?」
「はい……」
そう答えて私は頷くしかない。
「あなたは色々と事情を知っていそうだね」
心臓が痛くなってきた。そうだ、そこまですぐに考え付くなんて。
私たちの知らない様々なことをランスターは知っている。
「エリーザ、長い話になりそうだ。窓を開け放って家の中で話そう」
月の光が入っていれば、シュバルツは人の姿のままでいられる。
村の人に、今の段階で話を聞かれてもややこしくなるだけ。私はシュバルツの提案に従い、ランスターを自宅へと案内した。
ハーブ茶を振る舞い、ランスターの言葉を待つ。
何から話そうか迷っていたようだが、彼はついに口を開いた。
「記憶は、本当に何も覚えておられないのですか?」
「完全なゼロってわけじゃない。こう……頭の中に断片的な絵が浮かんでくるくらいには、過去の情景が思い出せる。でもそれだけだね」
そこでシュバルツがハーブ茶を静かに飲んだ。
「優しくてほっとする味だ」
彼が私を見て、言ってくれる。それが私を安心させるためのものであると察して、少し気が楽になった。
「でも、いつどこの光景なのかわからない。人の顔も……いくつかは浮かぶけど。さっきの曲も同じようなものかな。旋律は出てくるけれど、あの曲をいつどこで聞いたのか――どんな曲なのかわからない」
「……あの曲はヘクタールの宮廷音楽です。『聖女は光をもたらせり』といって、ヘクタールの式典で頻繁に演奏されます」
やはりそうだった。あの曲はヘクタールの音楽だったのだ。
得心したように頷いたシュバルツが続ける。
「あとは名前や自分自身のことも全然わからない。それ以外の――この村に来てからはしっかりと全部覚えてる。奇妙なことに狼の姿の時のことさえも」
シュバルツがテーブルで眠そうなオーリを撫でる。
「……ぴぃ」
「あなたは帝国で名うての騎士と聞いてる。俺は帝国の人間なのかい?」
穏やかなまま、どこか鋭さを秘めてシュバルツは聞いた。
ランスターが間髪入れずに答える。
「……いいえ。あなた様はヘクタール王国の第一王子、ギルベルト殿下であらせられます」
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