19.対決
作戦を練った私たちは移動して、適切な位置につく。
私はひとり、数少ない茂みに囲まれた野原に座っていた。
夜の闇の中、私を照らすのは星と月だけ。
今の私は弓を手放し、ナイフのみを隠し持っている。
粘り気のある魔力はずっと離れない――主はまだ近くにいる。
(……こっちを見てる)
オーリも配置につき、向こうの動きはわからない。
全員が感じ取るしかない。でも私には確信があった。
一見して武器を持っていない私を放置しないだろう、と。
まして夜の間なら……なおさらそのはず。
この粘っこくて寒気する気配はマーコールの視線だ。
私が囮役を買って出たのは、私だけがこの視線を判別できるから。
そして私には切り札もある――癒しの力だ。
癒しの力は私自身にも効果があるのは経験済み。
私なら傷を負っても自分で治癒できる。
(さぁ、来るなら来い……っ!)
クララ、ベッセル、オーリ、シュバルツは近くの木の上に待機している。
心臓が高鳴って痛いくらいだ。
今夜の月は満ちつつある。あと二日ほどで満月のはず。
これだけの視界があれば、二度目の不意打ちはない。
わずかに視界の端の茂みが揺れる。
マーコールは巨体にも関わらず、驚くほど静かだ。
周囲には何か所も茂みがある。私を襲うなら、これほどの好条件はない。
「…………!」
マーコールの視線が近付いてくる。私の背後から。
相手は乗ってきた。あとは――私が囮役を果たせるかどうかだ。
心臓の鼓動に紛れるほど小さく、草の踏みしだかれる音が聞こえる。
常人にはわからない、私たちだけが感知できる音。
振り向くとマーコールは私のすぐ背後にいた。
「ギィィッ!」
唸るマーコールが脚を振り上げ、私を踏みつけようとする。
速い一撃だ。でも充分反応できる。
(さっきよりも遅い!)
肩と臀部に矢が刺さった分、相手も万全ではない。
懐からナイフを抜いた私は飛び込みながら、蹴りの脚を狙う。
ナイフの刃がマーコールの脚に食い込むが――。
「硬い……っ!!」
分厚い毛と皮は天然の鎧だった。
手首をひねり、勢いをつけてなんとか切り抜けるが、全然浅い。
「……ギィィ」
「くっ! まだ……!!」
マーコールが身体を跳ねらせ、助走をつける。
今度は突進攻撃だ――速い。隙がない。
切り込むことができず、なんとか転がって回避に専念する。
ぐしゃりと茂みが粉砕されて土煙が舞った。
マーコールが方向を変えてまた突進しようとする。
「はぁぁっ!!」
身体が動く。方向転換するマーコールに私は切り込んでいった。
いくら速くて強靭でも関節の動きは変えられない。
ナイフをぐっと引いて、左後ろ足を突く。
そして抉るようにナイフを引き抜く――暴れる左後ろ足が私を狙う。
恐ろしい一撃が紙一重で髪をかすめる。
(……なんとか当てられるけど)
私のナイフは普通のナイフじゃない。
カサンドラから仕入れた、森の獣の肉と皮を苦もなく裂けるナイフだ。
なのにもう刃の先端が欠けて軋んでいる。この調子では絶対にナイフが持たない。
致命傷を与える前に私は殺されるだろう。
(と、思っているんでしょう? それがこっちの狙い……!)
マーコールは賢い。隙を作らなければ、乗ってこない。
蹴りを避けた私は後ろに転がる。
振り返ったマーコールの瞳が細まり、口角が上がる。
――笑っている。私の攻撃は怖くない、というように。
距離を取る私にマーコールも下がる。十全の突進をするために。
あの突進を避けながら攻撃するのは容易ではない。
ぐっと姿勢を屈めたマーコールの筋肉が爆ぜ、大地を踏み荒らす。
マーコールが私のナイフを見ながら突撃してくる。
加速が最大限に達した瞬間、マーコールの右の前脚に矢が刺さった。
「――ギイィッ!」
マーコールの速度が落ちるが、止まらない。
矢の一撃は浅い。だがそれで十分だった。
わずかだがマーコールの右目が刺さった矢に向いたのだ。
左目は変わらずに私を見ている。
どんなに目が良くても、目玉はふたつしかない。
今、マーコールの目と意識からクロスボウが外れた。
その隙を見逃す狩人ではない。
どすっとクロスボウの矢がマーコールの左目に突き刺さった。
「ギィアァァッ!!」
眼窩に貫く一撃に、さすがのマーコールも叫んで体勢が崩れる。
そこへ飛びかかるように左前脚をナイフで突く。
「――ッ!!」
マーコールが私を無視して駆け始めた。
形勢不利を悟ったのだ。
「逃がさないっ!!」
私は逃げるマーコールを追って、茂みを全速力で進む。
無傷の状態なら追いつけなかっただろうが、今は違う。
いくつも傷が増え、相手は遅くなっている。
無我夢中で私から遠ざかろうとするマーコール。
それを何分も全速で駆け、追う。
マーコールがしばしば、振り返って私を見る。
左目にボウが突き刺さったまま。
おびただしい流血がこぼれ、夜の闇に吸われていく。
「わうぅっ!!」
「シュバルツ!?」
振り返ったマーコールに向けて、シュバルツが右横から飛びかかった。
打ち合わせのタイミングより早くて、私は驚愕してしまう。
本来ならもっと手傷を負わせてからシュバルツの出番なのに。
「……ギィッ!!」
躍りかかるシュバルツが牙と爪を突き立て、マーコールに食らいつく。
さらにマーコールの速度が落ちるが……倒れない。
マーコールは激しく身体をくねらせ、シュバルツを振り払おうとする。
私たちは茂みを抜けて、小川のふちに出た。
なおも身体を跳ねらせるマーコールにシュバルツは一歩も引かない。
ここでやるしかない。私は空に向かって叫ぶ。
「ここよ、オーリ!」
「ぴーっ!!」
月が一瞬、隠れる。それはオーリの影だった。
夜、オーリの視界は封じられる。でも声や音なら別。
彼女の爪が袋を掴んでいる――私の弓と矢を包んだ袋だ。
オーリが私の真上で袋を放す。
マーコールがシュバルツから逃れようと身体を横倒しにしようとする。
「させない……!!」
私は空に手を伸ばし、袋をつかみ取る。
手に馴染んだ弓と矢。一呼吸の間に私は弓を構える。
「お願い」
短く、祈った私はマーコールに向けて矢を放った。
ひゅんと高鳴った矢がまっすぐにマーコールの額に突き刺さる。
「――ッ!!」
マーコールのどす黒い気配が一瞬、消えた。
衝撃がマーコールの意識を絶ったのだ。
だけど私にはわかっていた。まだ心臓は力強く動いている。
命尽きるまで撃たないと――私が次の矢に手を伸ばす。
「……え?」
と、思った私は動きを止めた。
マーコールの背にシュバルツが立っているのだ。
黒狼の姿ではない。黒髪の青年となって。
まだ満月じゃないのに。
危ない、と叫ぶ私とは対照的にシュバルツは落ち着いていた。
その瞳は優しくも冷たく、狩人そのものだ。
「おやすみ、森の主」
シュバルツは刺さったばかりの、マーコールの額の矢を引き抜く。
血の吹き出すマーコールの首が暴れる。でもシュバルツのほうが動きが早い。
矢の柄を握りしめたシュバルツが、マーコールの首元に矢を突き刺す。
それはあらゆる生物の急所。命を絶つ必殺の一撃だった。
「ギッ……!!」
立ち上がろうとするマーコールだ……でもそれは叶わない。
急速に全身から力が抜けて、そのままぐったりと身体を横たえる。
シュバルツはマーコールの命が尽きるのをしっかりと見届けた。
小川に映る星の光、月明かりに彼の黒髪がたなびく。
その彼の足元には息絶えた巨獣がいて――まるで名画を見ている気分だった。
「ふぅ……」
「シュバルツ、大丈夫……!?」
ふらりと巨獣の向こう側に倒れ込む彼に私は駆け寄る。
すると、ひょっこりと見慣れた黒狼が顔を出した。
「わっふ!」
「あ、あれ……?」
精悍な、格好良かった青年の面影は愛らしい黒狼に変わっていた。
どういうことだろうと思うけど、シュバルツは尻尾をぶんぶんと振るばかり。
……褒めて欲しそうだった。
とりあえず私はマーコールのそばに寄り、間違いなく絶命しているのを確認する。
ようやく熱く、深々と私も息を吐いた。
「よく頑張ったね、シュバルツ」
「わふ! わふっふ!」
マーコールの身体越しに頭を寄せるシュバルツ。
その柔らかな頭を愛おしく撫でる。
「エリーザちゃん! 無事ですか!?」
「やったのか!?」
後方から追いかけてきたのはクララとベッセルだ。
私は振り向いて笑顔で手を振る。
「うん! 私は無事! ちゃんと仕留めました!」
「がははっ、よーくやったー!」
「あああ……! 良かったぁ……!」
安堵するふたり。
オーリもすちゃっとシュバルツの頭の上に着地した。彼女も満足そうな表情だ。
「ぴぃ……!」
月の光が私たちと森を照らしている。
討伐完了の狼煙を上げて、私たちは微笑みあった。
ああ、良かった……誰も大怪我をすることなく、討伐を終えることができて。
私は心の底からほっとしていた。
これにて第3章終了です!
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