18.森の主、あるいは悪魔
そして夜。寝袋に身体を横たえながら星を見る。
空気が澄んでいる。焚き火の守りはクララだった。
シュバルツもオーリもベッセルも寝ている――寝息は浅いけれど。
私はいまいち、眠れなかった。とはいえ、聖女の力があるのでそれでも明日に支障はないのだけれど。月と星がゆっくり動くのを眺める。
空の端が明るく、夜が終わりかけてきた。クララが小さく声をかけてくれる。
「……起きてる?」
「うん……クララちゃんは?」
「怖いけれど、落ち着いてるよ。自分でも不思議なくらい」
クララの声にはかすかな不安があるが、それは私もだ。
問題は恐怖。手や足が動かないのはマズい。
でも今のクララにそれはなかった。
「クララちゃんはやればできるもの……」
ネガティブになりやすいけれど、クララには勝負強さがある。
いざという時のクララは頭も身体もフル回転して、狩人になってくれるのだ。
「えへへ……エリーザちゃんやベッセルさんの助けになれるよう、頑張るよ」
「……わふっ!!」
シュバルツが突然、飛び起きて吠えた。クララがそばにある弓と矢を引き寄せる。
「ひぇっ!? な、なに!!」
「グルル……ッ!」
唸るシュバルツが岩山の方角を睨む。ベッセルもすでに手元のクロスボウを持っていた。
「シュバルツが吠えたのか、今?」
「はい――異常があったみたいです!」
私ももう弓を構えていた。狙うのはシュバルツの唸る先だ。
空気が淀んでべたつき、霧の中にいるのかと錯覚しそうなほどだ。
「ぴぃ……?」
むくりと起きたオーリが首を傾げる。彼女の目には異常が察知できないのか。
だが、次の瞬間――オーリとシュバルツが同時に叫んだ。
野原の端から巨大なヤギ、マーコールが姿を見せる。
足元から頭まで、私の二倍はある。ベッセルやシュバルツよりも遥かに巨大だ。
森の獣にしても違いすぎる。私の頭によぎったのは、もっと別の存在だった。
「……悪魔」
マーコールの黄色い瞳は混濁しており、全身の黒茶の毛は柳をまとっているようだった。
左の角は根元からなくなっているが、それこそシュバルツが折ったものだろう。
年経た獣は賢く、危険になるという。このマーコールはまさにそうだった。
ベッセルが素早くボウをつがえて、射撃態勢に入る。
距離はまだ百歩以上、私やクララの弓ではどこまで効果があるか。
だけど貫通力のあるクロスボウなら……!
しかし、先に動き出したのはマーコールだった。ぐっと前脚と頭を屈め、力を貯める。
「ギィィ……!!」
低く、金属を引っかいたような不快な鳴き声。
耳を塞ぎたくなる衝動に襲われるが、踏みとどまる。
「シュバルツ、オーリ! 手を出さないで!」
今、攻撃するべきは私たちだ。
このふたりでは傷を負ってしまう。
大地を蹴ったマーコールは恐るべき速さで私たちに迫ってきた。
巨体に似合わない、肉食獣のような獰猛さで。
「ぐっ……!」
ベッセルが唸る。巨体を縮めて迫るマーコールのどこを狙えばいいのか。
迷ったベッセルが頭部を狙う。
超人的な動体視力を持った私には、はっきりと感じ取れていた。
(……コイツも見てる!)
マーコールの濁った瞳がクロスボウを捉えていた。
ベッセルの放ったボウは大気を切り裂き、マーコールへと向かう――そのわずかな時間でマーコールは首をそらせた。
ガンと鈍い音がして、ボウがマーコールの頭蓋骨をかすめる。
信じられない光景だった。マーコールがボウを頭蓋骨の丸みで弾いたのだ。
頭は駄目だ。防がれる。私は短く叫んだ。
「足を!」
「う、うん!」
私とクララが構えた弓を放つ。
「ギィィ!!」
マーコールが突進しながら、がくっと身体を落とす。そのせいで狙いを外された。
「――!!」
私たちが真正面から放った矢はマーコールの肩に当たる。
刺さりはしたが、致命傷には程遠い。足も止められない。
マーコールは刺さった傷に一瞬も躊躇することなく、再加速する。
シュバルツが唸って……飛び退いた。オーリも空に舞って退避する。
マーコールはそのままベッセルに向かうと思ったが、違った。
身体をひねったマーコールが走った先には私たちの荷物がある。
「しまった……!」
マーコールは首を縮め、巨大な荷物をふたつくわえて走っていく。
私たちを放置したまま。
矢をつがえた私たちが狙う時には、すでにマーコールは背を向けていた。
それでも矢を放つが……マーコールが首を向けると再び身体をひねり、尻尾を振る。
私の放った矢は尻尾に刺さり、クララの矢は臀部に刺さった。
「ギィ……」
顔を向けたマーコールは――紐をくわえながら笑っていた。
そのままマーコールは私たちを無視して、森へと消えていく。
「ぴぃー!!」
オーリが追跡するが、私たちの速度では彼女はおろかマーコールにも追い付けない。
残された私たちは呆然するしかなかった。
「……なんて奴だ。俺とクララちゃんの荷物を持っていきやがった」
「分かっていたのでしょうか……?」
「匂いか、反応でか。両方かもな……」
矢を構えたままのクララが悔しがっている。
「くぅ……食料を狙うなんて!」
そう、白狼の村から来た私たちの食料はクララの荷物にあった。
ひとりで来たベッセルは当然、自分の荷物に食料を詰めてきている。
持っていかれなかった私の荷物にあるのは野営道具と水筒だ。
「くっそ、ヤバいな。……追うか、引き返すか。どっちがいいんだ?」
ベッセルが迷っている。森で食料が尽きかけるのは、たまによくある話だ。
森の獣は少なく、出くわさなければ帰るしかないのだけど。
でもまさか、狩人の荷物を狙って持っていくなんて。
「主のせいでこの辺りに獣はいないんだよね……?」
構えた弓を少し下げたクララの言葉。
「うん、鳥も昆虫もいない。追いかけるなら――相当危険だよ」
「俺たちを追い払うためか、それだけじゃねぇかもな」
「ど、どういうことですか?」
「ここから引き返すなら、切り詰めないと俺たちがしんどい。もし奴が弱った俺たちを狙うつもりなら……?」
クララがごくりと喉を鳴らす。
普通ならそこまでの知性はないと否定するところだが、計算しているのかもしれない。
「狼煙はエリーザちゃんの荷物にもある。討伐断念の狼煙を上げるなら、早いほうがいい。出直すのも全然ありだ、と俺は思う」
「……ベッセルさん」
「誰も怪我を負わなかった。奴の動きの癖も見れた。次の機会にも活かせる」
「ただ、それは奴も同じです」
私はまだ警戒心を解かないシュバルツを見つめた。
あんな化物と戦ったなんて、彼は本当に凄い。
「あいつは賢すぎます。もっと知恵をつけたら、包囲網を簡単に抜けられてしまうかも……」
「……確かにな。あいつの傷が癒えたら、北のほうは……」
ここが正念場だ。進むか退くか。
狩人としての能力と俯瞰した視点――さっきは不意を打たれた。
マーコールに先手を取られてしまった。
この戦いは私たちの負けだ。でも、相手も無傷じゃない。
「一度だけ、挑戦しましょう」
私の言葉を聞いてベッセルがにやりと笑う。
やはり彼も狩人だ。色々なことを考えながらも闘志は燃えている。
「聞こうじゃねぇか」
「クララちゃんは――」
「私は、ついていくよ。エリーザちゃんの考えたことなら、どこまでも」
「ありがとう……!」
絶対にここで仕留めてやる。白狼の子の名にかけて。
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