13.シュバルツ
「な、なっ! ええええっ!?」
私は後方にずざざーっと飛びのく。
抱きしめていたはずのシュバルツがいなくなり、代わりに毛皮を身につけた男性が草原に座っていた。
男性の黒髪は背中の中頃まで流れ、華やかな光沢を誇っている。
月明かりに照らされた顔立ちは驚くほどに均整が取れ、少年らしさを残しながらも大人の魅力に満ちていた。
そしてすっきりと通った鼻と揺らめくような黒の瞳
私はヘクタール王国で習った詩の一節を思い出さずにはいられなかった。
『ただそこにいるだけで月は喜び、彼を抱きしめる。夜の乙女は彼の手を取り、踊り続ける――朝焼けが美しき彼を照らし出すまで』
そこで私ははっとした。
「……シュバルツ?」
「そうだよ」
あっさりと目の前の男性は頷き、立ち上がった。
背は私よりも頭ひとつ以上高い。
細身だけれど、服の上からもわかるほど体格はしっかりしている。
野性的な、力強い体躯だった。
「変な気分だね。狼の時とさほど変わりがないや」
彼の声はしっとりとして草むらと夜に溶けていきそうだった。
狼の時と変わらない、優しくて安心できる声だ。
彼はゆっくりと足取りを確かめるように、私へと近付いてくる。
「……っ!」
警戒して身構えていると、彼はすっと私の前に屈んで手を差し出した。
「ほら、草の中は汚れちゃうよ」
「あっ……」
地面は渇いているけれど、草は少し濡れている。
森の狩り暮らしをしている私は気にしない程度だけれど。
ただ、ずっとこのまま屈んでいるわけにもいかないのは確かだ。
顔をちょっと伏せて、私は彼の手を取った。
(温かい……)
人の肌の熱を感じて、顔が紅くなりそうになる。
私は彼の手を頼りに立ち上がり、その顔を見上げた。
――はっきりと感じる。彼の髪はシュバルツの毛と同じだ。
色も艶も質感も、何もかも。
私はそっと、まずは確認しなければならないことから聞いた。
「あなたはどうして狼の姿だったの?」
「……どう伝えればいいんだろうね」
シュバルツは頬をかいた。
「うーん、いっぱい質問があるだろうけれど、答えられない。俺にもわからないから」
「それはどういう――」
「記憶がないんだ」
シュバルツはごく自然にそう言って、テーブルに寝転がるオーリを見た。
思ってもみなかった答えに私は絶句する。
「記憶にあるのは……あの泉からだ。血を流して、君からの光を受け取ってからは覚えてる。串焼きを食べて寝て、今日この村に来た」
記憶をなぞるシュバルツ。そう、合っている。
「この家の前でクララさんと出くわして、次にラームさんの家に行った。ああ、その前に村人に囲まれたっけ……」
「うん、その通りだね」
「ラームさんとの話の内容も覚えてる。俺が村に住めるかどうかを決めるのは、俺じゃなくて森そのものなんだと言った」
他の内容はさておき、ラームとの会話を知っているのは私とオーリ、それにシュバルツしかあり得ない。私はごくりとその事実を唾と一緒に飲み込む。
「……それも合ってる。じゃあ、本当にあなたはシュバルツなんだ」
「そう――だけど、それだけだ。俺はどうも人間で、狼とは違う。人間は狼になったりしない。普通はね。そういった概念も理解できるんだけど自分の過去がわからない」
淡々と喋るシュバルツに焦りや不安はないように思える。
だけど、私は段々と平静ではいられなくなっていた。
「名前とか、出身地とかは?」
「わからない。俺と君で使っている、この言葉は?」
「ええと、大陸共通語だから……ごめんなさい。手掛かりにはならないし、私も言葉の専門家じゃないの」
学者先生ならシュバルツのイントネーションから、ヒントを掴めるかもしれないのに。
「この服も手掛かりにはならないかい?」
シュバルツが服の襟を引っ張る。ふさふさ毛皮のマント、それに上質の布地。
刺繍に紋様などはないが、間違いなく高級品だった。
「……高いものだとは思う」
「カサンドラさんなら何かわかるかもだけど、不審がられそうだよね」
シュバルツの推察に私は首肯した。
この村の生産品はごく限られている。シュバルツのこの服を持っていけば、絶対に出どころを確認されるだろう。
だが、シュバルツは落胆した風ではなかった。むしろ涼やかに微笑んでいる。
「まぁ、すぐにはいいか」
「そ、そうなの?」
「人の姿に戻れたのは、君のおかげだ。多分、君の――あの美しい光の力で俺は人に戻れた」
「私の……」
聖女の力でそんなことが起こせるなんて。
ヘクタール王国ではこんな事例には遭遇しなかった。
「それだけでも幸運だよ。とんでもない奇跡さ。それ以上は軽々しく望まないし、焦らない。だから、約束して」
「何を……?」
「君は親切だから、俺の記憶や正体を探してくれるかもしれない。でも、無闇にはやらないで欲しい。俺のせいで君の評判が悪くなったりするほうが嫌だ」
「……シュバルツ」
ふっと口に出た言葉に、私は戸惑う。
このシュバルツという名前は私が付けただけで、本名じゃない。
でもなんて呼んでいいのか。それさえもわからなかった。
「シュバルツ――とても素敵だ」
「ええと、でも……」
「その名前で呼んでよ。俺も気に入ってるから」
「……うん、わかった。シュバルツ」
ふっと空の灯りが弱くなる。雲だ。
また遠く、地平線の果てまで続く森の空から雲が駆け寄ってきた。
シュバルツが自身の両腕を見つめ、微笑む。
淡い光を残して、彼の身体が黒の体毛――狼へとまたたく間に変わっていった。
「わふ」
「なんで……」
困惑する私に、オーリが羽を掲げる。
「ぴっ」
オーリの羽は雲に隠された月を指していた。
「月の光が重要ってこと?」
「ぴっ、ぴい……」
多分、きっとね。オーリの鳴き声はそんな感じだった。
確かにそれなら昨夜は人の姿にならなかった理由にはなる。
「……わう」
シュバルツはぺたんと座って、私を見ていた。
さっきの男性と変わらない眼差しで。何かが変わるわけではない。
私はこの子を助けた。助けることができたんだ。
「大丈夫、私がいるから」
黒狼となったシュバルツの首元を抱く。
とてもふわふわで、温かい。
「……私のおかげ、か」
私が持つ聖女の力で。
そんなことをはっきり言ってもらったのは、いつ振りだろうか。
私は怖がっていた。誰かを救うことに。
実際、今も完全には成功していない。現にシュバルツは黒狼の姿になってしまった。
でもシュバルツは……優しい。
知り合えたのはほんのちょっと前だけど、私に勇気をくれる。
「そろそろ後片付けをしよっか」
「わふっ!」
そう言って私は立ち上がり、シュバルツの頭を撫でる。
オーリは……いつの間にか、テーブルの上で仰向けになってすやすやと眠っていた。
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