暖かいスープ
赤い屋根が目立つ、小さなコテージのような建物。そこがスピカとロウの住まいだった。
家は古びてはいるが、石造りの壁はしっかりとしていて、木の温もりを感じさせる内装が施されている。
棚という棚には薬草の瓶がびっしりと並び、隙間に古びた本が押し込まれていた。
窓辺には乾燥中の薬草が吊るされ、朝の光を受けて柔らかく揺れている。
小さな庭には野菜や薬草が整然と植えられ、朝露がきらきらと光っていた。
その家の中で、スピカは忙しなく動き回っていた。
赤毛の癖髪が動くたびにふわふわと揺れる。
小柄な体でまな板と鍋の間を行ったり来たりしながら、木のスプーンでスープをかき混ぜる。
額にはうっすらと汗が滲み、頬にはうっかりついた小麦粉の白い跡。
それでも楽しげに鼻歌を歌いながら、彼女は料理に夢中だった。
部屋の中には、香ばしくてやさしい香りが広がっていく。
そんな中——
ふかふかのベッドの上で、少女が小さく身じろぎをした。
瞼がわずかに開かれ、焦点を探すように視線がさまよう。
黒髪が枕に広がり、光を受けて艶やかに輝く。
美しい顔立ちだが、表情にはまだ疲れが残っている。
ベルは、ゆっくりと身体を起こそうとした。
だが、思うように力が入らず、軽く息を漏らす。
白い柔らかな服に着替えさせられており、枕元には自分の鎧が丁寧に並べられていた。
どうやら敵地ではないらしい。
周囲を見回し、料理をしている赤髪の少女へと視線を向け——声をかけようとしたその瞬間。
「おう。目が覚めたか?」
低く響く声に、ベルの身体がびくりと跳ねた。
ベッドの下、暗がりから大きな黒い影がゆっくりと現れる。
漆黒の毛並みに、琥珀色の瞳が光った。
黒色の獣は静かに彼女を見上げていた。
「わっ!」
思わず上ずった声を上げるベルに、スピカが驚いたように振り返る。
スプーンを落としそうになりながら、慌てて鍋の火を止めた。
「わっ、良かった!起きた!大丈夫?どこか痛くない? あ、そうだ!ご飯できたよ!食べる?」
「おい、スピカ。落ち着け。」
ロウが一言、低く唸るように言った。
スピカは、肩をすくめてぺこりと頭を下げる。
「え、あ、ごめんなさい……」
彼女の頬が赤く染まり、視線を泳がせる。
ベルはそんな様子を見て、緊張が少し和らいだようだった。
「……いえ、」
ベルはそっとベッドから降り、足元を確かめながら立ち上がる。
そして、深く頭を下げた。
「この度は助けていただき、ありがとうございます。私はフォルトリア国兵士、ベルリッシュ・ローンガーデンと申します。」
「兵士……?」
スピカは目を丸くした。
歳の近い少女が国の兵士だということに、驚きを隠せない。
ベルの黒髪が肩から滑り落ち、礼をする姿は凛として美しい。
「仲間の兵士たちは……他に生き残りはいませんか? あと、私はどれくらい眠っていました?」
焦りを含んだ声に、ロウがゆっくりと前へ出る。
その動きに床板が軋み、黒い毛並みが光を受けて艶やかに揺れた。
「……お前たち、アースドラゴンの縄張りに入ったな?」
「はい。国からの王令で、アースドラゴンの討伐を——」
「無謀だな……」
ロウの低い声に、ベルの肩が小さく震えた。
その目に、悔しさと悲しみが入り混じる。
「俺が見に行った時は、血の跡と鎧の破片しかなかった。……恐らく喰われたんだろう。ベルリッシュ——」
「ベルで大丈夫です。」
「なら、ベル。お前は魔法使いか?」
「はい。戦闘中に魔力を使い果たし、助けを求めて森の中へ……気づけば、ここにいました。」
ロウは鼻を鳴らし、尾を一度だけ振る。
「なぜアースドラゴンなど討伐しようとした? まったく、人間は——」
「はいストップ! もうロウ、話は後だよ」
スピカが両手を広げて遮った。
赤毛がふわりと揺れ、彼女は笑顔でベルの腕を軽く引いた。
「ご飯冷めちゃいますから、まずは食べませんか?」
ベルは少し戸惑いながらも頷いた。
スピカは軽やかな足取りでスープ皿を運び、パンを温めなおして差し出す。
「あ、私スピカって言います!お口に合うか分からないけどよかったらどうぞ」
「……あ、ありがとう。」
ベルは促されるまま椅子に腰を下ろす。
木のテーブルの上には、湯気の立つスープと、焼きたての柔らかいパンが並んでいた。
ほのかなハーブの香りが鼻をくすぐる。
「いただきます……」
ベルが一口、スープを口に含む。
とても優しい味がした。身体だけでなく心も温まる様だった。
「えっ……! ごめんなさい! 美味しくなかった?」
スピカは慌てて声を上げる。
ベルの頬を伝う涙に気づいたからだ。
「え……あれ……違うの。美味しくて……どうして、涙が……」
ベルは戸惑いながらも、止まらない涙を手の甲で拭う。
ロウは何も言わず、ただ静かにその様子を見守っていた。
スピカはそっとベルの背に手を添え、優しく撫でる。
「よかった……美味しいなら。ほんとによかった。」
ベルは顔を伏せ、震える声で小さく「ありがとう」と呟いた。
スピカは思った。
自分にはわからない悲しみが、この少女の中にあるのだと。
何もできないかもしれない。
だけど——そばにいることはできる。
彼女は小さく息を吸い込み、胸の奥でそっと心に誓った。




