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2話 端末の光、窓の外の夜明け

 救護班の手当てを受け、現場の引き継ぎを終えたころには、海風が少しだけ生暖かくなっていた。ゲート前には黄色いテープ、コンテナの陰には白いチョーク。討伐班は痕跡を追って倉庫街の奥へ散っていき、俺たち警備員は破れたフェンスと地面のひっかき傷の撮影を淡々とこなす。


「神谷、よく持ちこたえたな。……だが無茶はするな」


 主任が肩を叩いて、短く言った。

「はい。……すみません」


 言葉は素直に出たが、胸の奥は別の感覚で満ちていた。

 指先に残る熱。目の裏側にこびりついた白い残像。

 《灯火》は、ただの灯りではなかった。あの閃光は偶然ではない──そう確信してしまっていた。


 交代の隊員に現場を任せ、俺は寮兼社宅へ戻ることにした。バスの窓が夜露で曇っている。街の灯が薄皮のように滲み、遠く、別のゲートの誘導灯が波打っていた。車内アナウンスが小さく流れるのを聞きながら、俺は制服の胸ポケットを指で確かめる。


 固く、薄い板の手触り。

 管理局支給の《ステータス端末》。


 長いこと開いていない。

 冒険者登録を抹消してからは、必要がなかった。結果だけ見せつけられる黒い鏡のように思えて、ロッカーの奥へ押し込んでいた。


     ◇


 六畳一間の部屋は、潮と消毒液の匂いがわずかに混ざっていた。洗面台で顔を洗い、割れた肩口に湿布を貼る。鏡の自分は眠そうな目をしている。窓の外では、夜と朝が綱引きをしているように薄明が伸びていた。


 机に端末を置き、深呼吸をした。

 電源を入れる。淡い青の表示灯。

 指紋、脈拍、魔力反応。生体認証のプロンプトが順に流れ、うっすらと額の奥が痺れる感覚が走る。


 ──認証完了。


 スクリーンの中に、十年前に見たきりの画面が立ち上がった。


【神谷悠真】

職業:夜間警備員(冒険者登録抹消)

スキル:

 ◆ユニーク《模倣訓練》

  ・模倣枠1:《剣術・初等》 熟練度 25%

  ・模倣枠2:《気配察知・微》 熟練度 20%

  ・模倣枠3:──


 空欄。

 そこには、確かに《灯火》があったはずだ。十年前、そして昨日まで。


 視線を下げる。画面の下段に、小さな追加表示。


 ◆所有スキル《灯火》

  熟練:昇華済

  備考:派生《閃光》:12%


 喉がひとりでに鳴った。


「……昇華」


 口にすると、音が浮いてはじけた。

 スキルは熟練で強くなる。それは知っている。けれど、形が変わることはない──と、誰もが言ってきた。この世界では、それが常識だった。


 画面の片隅で、さらに小さな注記が点滅する。


 《模倣訓練》補足:

 ※熟練度が最大に達し、かつ極限状態での使用記録が一定閾値を超えた場合、当該スキルは所有スキルとして独立(昇華)することがある。

 ※昇華の判定は端末内記録に基づく。外部送信は手動承認。


 初めて見る文言だった。

 これまで、そんな注記はなかった。いや、俺が見ていなかっただけかもしれない。だが、今この瞬間、俺の端末ははっきりと「借り物が自分のものになった」と告げている。


 胸ポケットに手を当てる。心臓はまだ速い。

 昨夜のダークウルフ。金網を踏み越えてきた黒い影。

 俺は確かに、あの瞬間、生きたまま塀の外へ飛び出すために、誰かを逃がすために、光れと叫んだ。


 ──熟練度MAXで5割が限界。

 それが模倣のルールのように思っていた。

 ところが実戦で殻を破った。端末は「昇華」の文字を出し、枠は一つ空き、灯火は所有スキルとなり、さらに派生《閃光》がぶら下がっている。


 俺は、机の上の端末をそっと手で覆った。

 外部送信のチェックボックスは、オフのまま。

 誰にも見せなければ、ここで止まる。

 俺が選ぶまでは、世界は何も知らない。


     ◇


 部屋の明かりを消す。遮光カーテンの隙間から、街灯が細く漏れている。

 右手の指先に、知っている重さを呼び出した。


 《灯火》。


 ぽ、と豆電球のような光が生まれる。──はずなのに、明るい。

 以前より一段階、白い。半径が広い。輪郭が鮮明で、影の境界がしっかりしている。

 少し力を込める。光がさらに膨らむ。机の天板の木目が一本一本、髪の毛のように立ち上がる。

 今度は力を抜く。火が熾火のように息を潜め、指先だけをほのかに照らす。


(調光……できる)


 そんな高等な芸当、これまでの俺には難しかった。借り物の1割には、細やかな指先がなかった。

 もう一段、強く。

 光が白く張りつめる。視界が乾いた紙のように反射し、瞳孔がきゅっと縮む感覚。そこで俺は、深く息を吸い、指の腹に短く命令を落とした。


 《閃光》。


 世界が一瞬、色を捨てた。

 音が遅れる。目の奥に鋭い針が差し込まれたような痛み。

 すぐに手を伏せて光を殺す。暗闇が揺り返しのように押し寄せ、しばらくの間、黒い水面の下で目を泳がせることになった。


「……っ」


 膝に手をつき、ゆっくり呼吸を整える。

 やがて視界が戻る。残光はあるが、さっきよりは早く収まった。二度目の方が、体の準備ができていたのだろう。


 訓練。

 俺の人生はそれで埋まっていた。模倣の反復。足りない分を数で殴る日々。

 その結果が、今、ここにある。


 窓の外で、救急車のサイレンが遠ざかった。

 テレビをつける。ニュースが、別のゲートで起きた小規模ブレイクの続報を淡々と読み上げている。

 討伐班の被害は軽微、周辺住民は避難、復旧作業は夜明けまでには完了の予定──いつもの原稿のように、アナウンサーは区切りよく言葉を並べる。だが、画面の端に流れる別の速報が目に止まった。


『来週の大潮に合わせ、海浜ゲート群の監視強化へ。管理局は、周期的に発生するエネルギー偏差がブレイクと相関している可能性を示唆──』


 ブレイクは「天気」のように社会の一部になっているのだと、あらためて思う。

 通り雨のように人を濡らし、時に堤防を越える津波のように街を呑む。

 その中で、俺の光は、どの位置に置けるのか。


 端末の画面に戻り、もう一度、スキル一覧を眺めた。

 《模倣訓練》の枠は二つが埋まり、一つが空いている。

 《剣術・初等》25%、《気配察知・微》20%。数字は大して変わっていない。

 《灯火》は所有スキルとなり、派生《閃光》の印をつけている。

 「模倣は1割」「熟練MAXで5割」「昇華で10割」。頭の中で、昨夜合意したようなルールが線を引いた。


(……なら、次は)


 剣か、察知か。

 どちらも足りない。どちらも必要だ。

 だが、剣は借り物の型のままでは意味がない。察知は、昨夜初めて役に立った。

 まずは《気配察知》を5割の限界まで押し上げる。危機を先に掴めるように。

 そして《剣術》は、昇華の閾値に触れられるよう、体の動きを基礎から塗り替える。

 ひとりでやる。誰にも言わず。

 端末の「外部送信を承認」のチェックは、触れない。


     ◇


 朝方まで、俺は狭い部屋で小さな実験を続けた。

 《灯火》の調光幅、消灯から点灯までの遅延、手袋越しの発動安定性、目を閉じた状態での《閃光》の自己影響。

 メモ帳に条件と結果を記す。数字は雑でも、繰り返せば輪郭が出る。

 ひとつ、はっきりしたのは、《閃光》は視線をそらし、まぶたを落とし、姿勢を少し低くしてから放てば、自己反動が抑えられるということだ。

 そして、連続使用の限界は、今の俺の体力だと二回。三回目は足元がふらつく。

 夜の空白を埋めるように、机の上のメモが増える。眠気は不思議と来ない。背中の汗が乾いて、肩に貼った湿布が浮いて剝がれた。


 ふいに端末が震え、小さな通知が灯った。


 【管理局からのお知らせ】

 ・昨夜の事故報告書の提出期限は本日正午。

 ・ステータス端末の診断は来週。

 ・海浜ゲート群の警備シフト増強について、該当者へ個別連絡予定。


 定期診断。

 端末を持つ者は年に一度、管理局で認証と記録の同期を受ける。

 画面の片隅の「外部送信は手動承認」という文字が、改めて重く見えた。

 今の俺の端末には、昇華の記録がある。同期させれば、管理局のデータベースに刻まれる。

 それはつまり──俺の秘密が表へ出る可能性が高まる、ということだ。


 歯を食いしばって、肩の力を抜く。

 俺は息を吐いた。

 隠す。今はまだ。

 もう少しだけ時間がほしい。

 この力が本当に「戦いを勝利に導く」ものになるまで、形にするまで。


     ◇


 シャワーを浴び、制服を着替え、詰所へ出る。

 朝の空気は冷たく、太陽は雲の向こうでぼんやりと輝いていた。港のクレーンが影絵のように並び、その向こうでゲートの揺らぎが、海の呼吸のように見える。


「おはようございます!」


 タカミが大きな声で手を振った。

 目の下に薄く隈がある。昨夜のことが、彼の中でも終わっていないのだろう。

「神谷さん、昨日……いや、今日の夜は、ありがとうございました」


「たまたまだ。運が良かっただけだよ」


「それでも、あれは……。あの光、なんだったんですか」


 喉の奥で言葉が渋滞する。

 俺は笑って、肩をすくめた。


「さあな。俺にも、よくわからない。……ただの灯りを、必死で焚いただけだ」


 嘘ではない。

 真実の全部でもない。


 主任が出てきて、手短に朝礼を済ませた。昨夜のブレイクは小規模で、現在は沈静化。今夜から海浜ゲート群の警備が増強される。住民への説明会の資料が回り、班の割り振りが発表される。


「神谷、今日の昼は休め。夜からまた頼む」


「はい」


 詰所を辞し、人気の少ない通路を抜け、ゲートフェンスに沿って歩いた。

 指先が、勝手に疼く。

 鉄網の目に指をかけ、向こう側の暗がりを見る。

 いつもより、影が濃いのではないかという錯覚。

 小規模ブレイクは日常の災害のように起きる。それでも、そこに人がいる限り、偶然という言葉は慰めにならない。


(俺は、何を選ぶ)


 端末を同期させれば、管理局は知る。

 昇華の仕組みを研究対象へ乗せるだろう。俺は一定の安全と引き換えに、自由を失うかもしれない。

 同期させなければ、この力は俺の中だけの光だ。責任も、危険も、ひとりで抱える。


 風がフェンスを鳴らした。

 俺は、拳を握る。

 孤独は、今さら怖くない。

 十年、ずっとそうだった。

 ただ──今度の孤独は、守るための孤独であってほしい。


 昼前、寮へ戻る。机の上には端末とメモ。

 端末の「送信」欄は、まだ灰色に沈んでいる。

 俺はそれに触れず、メモの端に新しい行を書き足した。


 ・《灯火》:調光幅/点灯遅延 0.2s/投射角の調整は未達。

 ・《閃光》:二連は可能、三連は不可。自己防護姿勢の練度向上が必要。

 ・《気配察知》:昨夜、実戦で有意。訓練計画を作成すること。

 ・模倣枠(空):使用候補の洗い出し。安易に埋めないこと。


 文字を見つめ、ペン先を止める。

 「空」と書いた場所に、想像だけが滲んだ。

 この枠は武器になる。俺の人生を変え、誰かの人生を守る刃になり得る。

 軽々しくは埋めない。

 観察し、選び、鍛え、昇華させる。

 それが《模倣訓練》の正しい歩き方のように思えた。


 窓の外で、波止場のカモメが鳴いた。

 日が高くなり、部屋に斜めの光が差し込む。

 俺は端末をポケットに戻し、ベッドに仰向けになった。天井の小さな染みが、島のように見える。

 瞼を閉じる直前、指先にほんのわずか、灯りをともした。

 暗がりの中、小さな光点が鼓動に合わせて脈打つ。

 それは、俺だけが知る印のように思えた。


 戦いを勝利に導く。

 その言葉を、心の中で静かに反芻する。


 眠りは浅く、しかし穏やかだった。

 夕方にはまた夜が来る。

 そして今夜も、俺は灯りを持って歩く。

 誰にも見せない端末の光と、指先の、小さな灯りを連れて。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

処女作ということもあり、拙い部分も多いかと思いますが、少しでも楽しんでいただけていたら嬉しいです。


第2話では、主人公が「ただの灯り」だったスキルが思わぬ形で進化し、自分の可能性に気づく瞬間を描いてみました。

まだまだ小さな変化に過ぎませんが、この「小さな灯火」がやがてどんな光へと育っていくのか──そんな成長を一緒に見守っていただければと思っています。


感想や応援のコメントが、執筆の大きな励みになります。

次回もぜひ覗いていただけると幸いです!

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