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あるうつ病患者の旅路

作者: DAI

あぁ、体が重くて重くて、動かない。

頭もうまく回らない。

あぁ、また、朝か。

起きなくちゃ。


僕は、両手を使って、重い鉛のような体を何とか起こす。

上半身を起こしたら、次は下半身を動かす。

ベッドから立ち上がるまで、まるでナマケモノのように、ゆっくりと動く。

本人は、これでもスムーズに動いているつもりだ。

やっと立ち上がって、洗面台に向かう、、、はずが、力無く床に座り込んでしまった。


せめて台所までは行こう。と重い腰を上げる。

グラスに水を入れるだけのことが、とても重労働に感じる。

処方された薬を喉に流し込んで、やっと一息ついた。


僕は、何処にでもいる会社員だった。

真面目に仕事をしていたつもりだし、上司にもそれなりに認められていたと思う。

いつからか、頭に柔らかくて深くて少しキツめの帽子を被されているような軽い頭痛のような違和感が続くようになった。

最初は、疲れているんだろうくらいに思って、そんなに深く考えなかった。


しばらくして、音楽が聴けなくなった。

不快な雑音にしか感じなくなった。

音楽に興味がなくなったんだろうか?こんなに急に?


異変は続く。

今度は、飯が美味しくなくなった。

何を食べても味が薄い。いや、しない。


そして、ついに、僕は職場で立ち上がれなくなった。

足に力が入らないのだ。

へなへなと床に座り込んだまま動けない。

異変に気付いた同僚に付き添われて内科の病院へ行った。


何の異状もない。・・・そんなはずはない。

こんなにへとへとなのに。

内臓がどこか悪いはずだ。

でも、異状はなかった。


いくつか病院を回ったけど、結果は同じ。

特に異状なし。

疲れが溜まっているんでしょう。

ゆっくり休んでください。


藁を掴む思いで行った心療内科で、僕の異変の正体がわかった。


典型的な「うつ病」ですね。


そう、僕はいつのまにかメンタルを病んでいたのだ。

それから、僕の戦いが始まった。

会社は休職した。

カウンセリングを受け、処方された抗うつ剤や睡眠導入剤を飲み、体調は、一進一退を繰り返す。

調子がいいときは、外出もできる。

が、悪いときは、本当に最悪だ。

布団を被ったまま一日過ごす時もあった。


そして、数年。

最悪な時期は脱したとはいえ、薬が無いと日常生活もままならない。

だましだまし会社に出社する日々。

全盛期のような仕事はできず、今では単純作業がやっとのお荷物社員だ。

このまま、ずっと治らないんだろうか・・・そんな考えが頭から離れない。

出口の見えないトンネルを歩いている感じがする。


今は、何度目かの休職中。

ありがたいことに、今の会社は、メンタルの病気に理解がある方で、それに甘えさせてもらっている。


藥を飲み終えた僕は、テレビを点ける。

スーツ姿のアナウンサーが、何かのニュースを伝えている。

内容は入ってこないけど、適度な光と雑音の刺激が、社会とのつながりを感じさせてくれる。


スマホを見ると、何件か着信があった。


結衣だ。


こんな僕にも、一応彼女はいる。

心配して電話をくれたらしい。

だけど、発信をタップすることも、今の僕には重労働だ。

今日は、本当に調子が悪い。

結衣の声が聞きたい、そう思いながら、僕は、そのまま寝てしまった。




遠くで何かが震えている。

振動が伝わってきて目が覚めた。

スマホが鳴っている。

誰だ?と思いスマホに顔を近づける。

結衣だった。

僕は、ゆっくりとスマホを操作して、電話に出る。

「・・・もしもし。」

「健太?今日は調子どう?」

「・・・悪くはないかな。良くもないけど。」

結衣は、いつも心配して電話をかけてくれる。

生存確認のつもりだろうか?

こんな僕にも、そんな相手がいるだけでありがたいと思う。

「今日は外、出れそう?」

「まあ、コンビニくらいは行けるかな。」

「良かった。週末はそっちに行くね。」

「わかった。」

「じゃあね。」

結衣と話したら、少しだけ元気が出た気がする。

着替えて、近くのコンビニにでも行こうか。


うつ病というのは、厄介で。

その時の調子は、その時にならないとわからない。

良い時と悪い時の波があって、それが思うようにいかない。

それでも、夕方から夜にかけては、マシになるから、行動するのは決まって夜が多い。

今、何時かわからないけど、窓から射す光の感じからすると夕方だろう。


今日は調子が良い日みたいだ。


簡単に着替えて(そう言っても、僕にとっては大変な作業だけれども)近くのコンビニに夕飯を買いに行く。

風が生暖かい。

蒸せるような暑さに負けそうになる。

鉛よりは幾分かマシな重さの体を動かして、普通なら歩いて数分のコンビニへ。


自動ドアが開くと、冷たい風が顔にあたる。

「いらっしゃいませ!」

店員の声が耳に痛い。

買い物かごを持って、お茶と適当な弁当をほうり入れる。

「お。健太。」

名前を呼ばれて、振り返ると、そこには友人の達也がいた。

「今日は調子良いみたいだな。」

達也は、いいヤツだ。

数少ない僕の理解者でもある。

うつ病になったときも、いろいろな本やネット記事を調べて、どんな病気か調べてくれたり、ちょうど良い距離感でいてくれる。

「今度さぁ、個展やるんだよ。そこのギャラリーで。」

「個展?すごいじゃん。」

「調子いい時で良いから、見に来てよ。これチラシ。」

フライヤーには、場所と日時が書かれていた。

何とか体の都合をつけて顔を出そう。

「俺、大体、いると思うからさ。」

「わかった。行くよ。」

「よろしく」

ポンと肩をたたいて行ってしまった。


達也は、高校のころからの友達だ。

昔から絵を描くのが好きで、今でも趣味の延長で描いてるらしい。

それにしても個展をやるなんて、すごいと思う。

僕には無い才能だ。

「ありがとうございました!」

コンビニを出て、家に向かう。

実は、達也に誘われて、美術館に絵を観に行ったことがあった。

抽象的で、なんだか小難しい印象しかなかったけど。嫌いではなかった。

・・・僕も絵が上手ければな。


部屋に戻ると、だらだらとテレビを見て、弁当を食べる。

お茶で藥を一緒に流し込めば、今日のノルマ達成。

後は寝るだけだ。

・・・薬の力を借りないと寝れないけど。


・・・このままで良いんだろうか?

ふと、そんな思いがよぎる。


ぼんやりとしてきた頭で、考えようとしても何も出てこない。

僕は、また、闇に堕ちていく。

いっそ、そのまま・・・。




今日は何月何日だっただろう?

そんな感覚も薄れていく。

ただ、今日は何だか体が軽い。


そうだ、達也の個展はいつまでだったか・・・

今日なら行けそうだ。

そう思うと、僕は、身支度を始めた。


体調が良いときは、外の空気も何もかもが軽い。

コンビニ以外の場所に行くのも久しぶりな気がする。

商店街から一本外れた裏通りに、その小さなギャラリーはあった。

こじんまりとしているから、油断していると通り過ぎそうな感じでたまに、個人で活動している人が陶芸や絵画や何かの模型や・・・様々なものを展示したり売ったりしている。


ギャラリーの前には小さな衝立の看板があった。

『TATSUYA 個展 こちら』

とチョークかなにかで書いてある。

ギャラリーの中には、達也が描いた絵が数点、白い壁に飾られていて、その奥にちょこんと達也が座っていた。


「いらっしゃい。ゆっくり観てってくれよ。気に入ったら買ってくれてもいいよ。」

そういって、達也は笑いながら僕を招き入れた。


達也の専門は風景画だ。

昔通った懐かしい校舎の絵や、商店街の風景、近所の川の河原の絵。

達也らしい、思い切りいい筆の、それでいて、どこか繊細なタッチの絵だった。


ふと、その中の一枚に目が止まった。


田んぼの中にある一軒家。

奥には雪山がそびえて居る。

そして軒先には、楽しそうに走っている子供がいる。その絵の素朴さに惹き込まれてしまった。


「健太?どうした?」

・・・泣いていた。

訳もなく涙が溢れていた。

病気のせいなのか、いや、多分違う。

そして、何故だかわからないけど、自分もこんな絵が描きたいと思った。


「達也。この絵、売ってくれないか?」

「何言ってんだ、お前ならただでやるよ。」

達也は、笑っていた。

その笑顔に救われた気がした。

「今度、ゆっくり飯でも食おうな。」

達也から絵を受け取ると、僕は、そそくさと外に向かった。

ギャラリーを出た僕は、画材屋に向かった。

とりあえず、スケッチブックと鉛筆を数本買って、自分の部屋に戻った。


達也からもらった絵をカラーボックスの上に飾り、まずは、その絵をそっくり描き写すことから始めた。


日本の、どこかの、田園風景。

遠くには険しい雪山が見える。

吐く息は綿のように白い。

田んぼの中に建つ一軒家は、今は珍しい茅葺屋根で、屋根には雪が残っている。

家の前では、幼稚園か小学校くらいの子供たちが元気に走り回っている。

そんな、今の日本からは失われつつある風景。


こんなに集中したのは何年ぶりのことだろう?

とにかく絵が描きたかった。

病気のことなど忘れていた。

気が付くと夜になっていた。


絵を描いている間、無心だった。

けど、生きている感じがした。

絵を描いている間だけは、うつ病を忘れることが出来た。


僕は、絵を描きたい

絵を描きたかったんだ


暗いトンネルの先に光を見たようだった。

今までにない心地よい、うつのそれとは違う、疲労感とともに、僕は、そのまま眠ってしまった。




あぁ、体が重くて重くて、動かない。

頭もうまく回らない。

あぁ、また、朝か。

起きなくちゃ。


妙な気がして、ゆっくり体を起こした。

そこは、真っ暗な、そして、広い空間だった。

遠くに光が見える。

あそこまで歩いてみよう。

僕は、光に向かって歩いた。

しばらく歩くと、そこには額縁フレームがあった。


宙に浮いたその額縁は、ちょうど僕の目線の高さで留まっている。

額縁の中に絵は無い。

絵が無い代わりに、向こう側の景色が見える。

田園風景。

茅葺屋根の家。

遠くの雪山・・・。


僕は、額縁の中に手を伸ばす。

その先に、人影が見えた。手を振っている。

結衣だ。

その奥には、達也が子供のような笑顔で笑っている。

僕は結衣に向かって手を伸ばす・・・。



そこで目が覚めた。

また、泣いていた。悲しい訳じゃない。

これは、暖かい涙だと思った。

その日から、僕は暇さえあれば絵を描くようになった。

部屋の置物、くだもの、近所の風景、自転車・・・何でも描いた。


結衣が遊びに来たときは、モデルになってもらったりもした。(もちろんヌードではない)

絵を描いている僕は、結衣が見ても生き生きとしているらしい。

彼女は嬉しそうに、一心に絵を描いている僕を見ていた。

絵を描くことは、僕の生活の一部になった。

体の調子もいい日が多くなってきた。


月に一度の心療内科の通院の日。

「最近は、どうですか?随分、顔色が良くなったね。」

田中先生は、僕の担当医で、最初にうつ病の診断をした人だ。

「試しに、薬を減らしてみましょう。」

医者にも、当たりはずれがあるらしいけど、僕は良い先生に当たったんだろう。

一筋の光が、また、大きくなったような気がした。


「結衣ちゃん、良かったよなぁ。健太が元気になってきて。」

「うん。達也くん、ありがとう。」

ファミレスで食後のコーヒーを飲みながら、久しぶりに3人で話し込んだ。

「結衣のおかげだよ。あ、もちろん達也も。」

「俺はついでかよ。まあ、良いけどさ。」

こんなに笑いながら話が出来たのはいつ以来だろう?

僕のそばにいるのが、結衣で。達也で。本当に良かった。

「絵の方はどうなんだ?健太は才能があったんだな。あっという間に、俺を追い抜いちゃうよ。」

「向いてる気がするんだ。僕に。」

「健太くんは、本当に上手。私もびっくりした。」

結衣にそう言われると、何だか照れくさい。


ファミレスで別れてから、

今までのことやこれからのことを考えた。

僕は、運悪くうつ病になってしまったけど、達也や、結衣や、田中先生。

いろいろな人に助けられて、ここまで来れた。


病気との付き合いは、これからも。

もしかしたら、一生付き合うことになるかもしれないけど、それでも、僕は前を向いて生きていける。

そんな気がしていた。


そう、<絵>を描くことが僕を変えてくれたことも間違いない。




・・・数か月後・・・




にぎやかな商店街の路地を一本入ると、そこに、こじんまりとしたギャラリーがある。

入れ替わりで、絵画や陶芸、何かの模型・・・様々なものが展示されたり、売られたりしている。


2人の人影がギャラリーの前にとまった。

「こんちわー。」

「健太、観に来たよ。」

「ようこそ。」

僕は手を挙げて立ち上がった。




<おわり>

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