一番悔しくて一番嬉しかった陸上大会
深夜の新宿の喫茶店。
ここは金儲けに走るイカサマ師や
胡散臭い連中の溜まり場になっている。
客達は僕のような、はみ出し者ばかりで、
類は友を呼ぶとは言い得て妙である。
僕は冷めたブラックコーヒーを一気飲みした。
落ちこぼれは落ちこぼれ同士で集まるものだな。
社会で下の下の位置にいる自分に嫌気が差した。
終電で帰ろうと席を立った瞬間、
脳内にある記憶と
とある言葉が、
電撃が走ったかのように蘇った。
「ヒロシ、自分は自分。人は人。やけんな」
ここは平成初期の九州の貧しい海辺の田舎町。
海沿いの道路をオンボロの車を運転しながら
年老いたコワモテのおじいさんが言った。
このおじいさんは小学校の陸上クラブの監督である。
僕は運動が苦手で体が弱いことから
親に陸上クラブに入ることを勧められ
小学校の陸上クラブに入った。
当然ながらタイムは短くならず
正直足は遅いままだった。
だが僕は小学校の最後の陸上大会で
リレーの花形である4番目の選手、
アンカーに選ばれたのだ。
「ヒロシ、お前4番やらんか?」
監督から声をかけられた。
「4番って、できんばい。監督。
俺、そげん、速く走れんもん」
「よかけん!やらんかって!」
監督は若い頃は大型トラックの運転手をしていたらしい。
ガテン系な男性によくある粗暴な話し方で
僕は小学校6年生で強引にアンカーにされた。
陸上のリレーをやったことある人は
知っていると思うが、
リレーの4番のアンカーは花形で
一番短距離が速いやつを配置するものである。
運動神経のない僕がやるものではなかった。
なんで俺がアンカーばやるっちゃろうか?
抜かれるに決まっとるし。
でも監督が言うんやったらダメ元で走るけん。
僕は大会当日思い切り走った。
僕は、案の定、足の速い選手に抜かれて
最下位から2番目でゴールとなった。
小学生の間では「ケツから2番目」と言われ、
馬鹿にされる順位だ。
なんで俺が4番でアンカーなんやろう。
本当に俺でよかったとかなあ。
なんか悔しかった。
そんな思いで終わった陸上大会だった。
後日、僕は陸上クラブの練習の帰り、
監督自慢のオンボロ車で
自宅に送ってもらっていた。
練習で疲れていて眠っている時、
低学年の子と監督の会話がうっすら聞こえた。
「なんでヒロシが4番やったと?
別に速いやつおるやんか?」
「最後の大会で出さんやったら可哀想やろ?
だけんヒロシば4番のアンカーにしたったい」
なんで僕が花形のアンカーに選ばれたんだろう。
ずっと疑問に思っていた謎が解けた瞬間だった。
同時に、練習の後の送迎のオンボロ車の中で
「ヒロシ、自分は自分。人は人。やけんな」
と言われていた意味に気づいた。
「足が遅くても気にせんでよか」
口下手な監督なりにそう言いたかったのだろう。
僕に気を遣って、
何回も言い聞かせるよう、
「自分と周りを比べすぎるな」と言っていたのだ。
監督は、僕を最後の大会で
リレーの花形のアンカーにしてくれた。
順位はほぼ最下位になってしまったけど・・・。
だから小学校最後の陸上大会は
一番悔しくて一番嬉しかったんだ。
その瞬間、意識は、
歓楽街の酔っ払いだらけの喫茶店に引き戻された。
喫茶店を出て小田急線の終電の列車に乗り込んだ。
くたびれた背広を着た
大人達を乗せた最終電車が発車する。
その時、心の中にずっと引っかかっていた、
裸足で運動場を走る小学生6年生の僕の姿が、
だんだんと薄れて霞んで次第に見えなくなり
消失した気がした。