愛国的精神の欠如
自分の人生は、自分で演出する。
エルヴィン・ロンメル(1891-1944)
「なあ、バルカン半島でまた戦争がはじまったらしいぜ」
ゲオハルトは新聞に目を通しながらおもむろに語りかけてきた。彼が座るロッキングチェアは火のついていない暖炉の前でゆっくりと前後している。
「いつものことだろう。バルカンは民族紛争が絶えないんだし」
ラインハルトは特に動じる様子もなく答える。
「でも、このまま穏便に済むとは思えない。いつか大きな火種を生むんじゃないの?」
ケリーは顎に指を添え、斜め前方を見つめながら反論する。彼女が真剣に考えているときは、いつもこの体勢をとる。
今日はラインハルトもゲオハルトも休日であった。三人はよく、ベルリン市内にあるラインハルトの下宿先に集まってゆっくり雑談をすることが多い。
「大きな火種……か。まあでも、帝国にもしものことがあったら俺が解決してやるさ!」
ゲオハルトは新聞の横から顔をひょこっと出し、にっと笑った。
「単純だなぁ、そんな簡単にうまくいくんなら誰も苦労はしないよ」
「でも、それぐらいの気概はあって然るべしだと思う……」
意外にもケリーはゲオハルトを擁護した。
「へへ、ほらケリーも言ってるんだし、これぐらいの愛国精神がねえとなぁ、ダメだぜ」
ラインハルトはもう何も言うまいと黙った。
(ケリーは政治や国際情勢のこととなるとやけに真剣になるんだよな……)
ラインハルトは少し気になったが、自分には関係ないと思うとその先を考えるのをやめた。
「つまり、我が国が進むべき道は欧州の覇権を握らんとする強い意志によって開かれるものであって、そしてゆくゆくはアジアの小国、日本を蹂躙することで……」
「いやぁ、あんちゃん。よく言った!! 素晴らしい!!」
三人は夕方になって、市内の居酒屋を訪れていた。そこでゲオハルトは酒に酔った勢いに任せて熱弁を振るい、中年から高齢の男たちから拍手喝采を受けていた。
(呆れた……。よくもまあ、あんな風に知らない人たちと話せるものだ……)
ラインハルトは居酒屋に行っても酒は飲まない。酔って理性を失った姿を他人に見られるのは耐えられないのだ。だから、ゲオハルトが酒に酔って訳のわからないことを言っている間は呆れながら見守っているのだ。
「私、ゲルトが心配だから彼のところに行ってくるね」
そういうとケリーはゲオハルトと見知らぬ男たちの輪に入っていった。
「すみません、隣に座ってもいいですか?」
しばらくして、一人で静かにジュースを飲んでいたラインハルトの隣に垂れ目の若い男性がやってきた。
「構いませんよ」
ラインハルトは快諾した。
「ありがとうございます」
若い男はカウンター席に座ると話しかけてきた。
「見たところ、随分と若いようですね。お一人で?」
「いえ、あそこで酔って大声を出しているのが一人目。その側で男たちと話している女性が二人目の友人です」
ラインハルトは答えた。若い男は、ほぉと言ってにっこりとしていた。
「そうか、君は彼らには加わらないのかい?」
「僕は結構です……」
ラインハルトは内心、あそこの野郎どもと同じ空間にいたくはないと思っていた。
「時には酒に酔って、訳もわからず騒ぐのも悪くはないと思うよ」
あぁ、僕は……と言って、ラインハルトは苦笑した。
「私もね、ああ言う風に騒ぐのはね、昔は遠慮していたかもしれない。でもね、今はそういう場を設けるのもやぶさかではないと思っているよ。私はね、もともと科学に関する勉強をしていたかったのだけれども、親の言い分でね、軍隊に入ることになってしまったんだ。だから、そう言う挫折とかも、少しの友人たちと酒を酌み交わすことで忘れられるんだ」
若い男は自分の身の上話をしだした。初見の相手に変なことを言ってしまっただろうか、と少し恥ずかしげであったが、ラインハルトはそれよりも、
「科学を学んでいたんですか?」
と言うことに頭がいっていた。
「え、あぁ、多少だがね。航空機に興味があって研究していたよ」
「航空機! すごい……、と言うことは流体力学や数学も勉強していたんですか?」
ラインハルトは目を輝かせていた。
「ん、あぁ。流体力学はねぇ、学ぶ時間がなくて出来なかったんだ。数学は少しわかるよ」
「そうなんですか! 僕、実は数学科に所属していて、数学を好きで学んでいるんです!」
ラインハルトは思わず自分の所属を言った。数学を学んだ者に対する親近感からであろうか。
「それはそれは、優秀な学生さんでしたか。敬意を示します」
ラインハルトは、若い男のその謙虚な姿勢に恥ずかしくなった。自分はまだまだ、ひよっこでしかないと思っているからだ。
ラインハルトと若い男はしばらく談笑をした。
「いやぁ、なるほどね。君の話は実に面白い。……」
若い男は少し黙った後、ラインハルトに尋ねた。
「ラインハルト君、帝国はこの後どうなると思う?」
変な質問だと思った。若い男の雰囲気もさっきまでとは明らかに違う。
「そうですね……、うーん……」
ラインハルトが答えに悩んでいると、突然、ケリーの大きな声が聞こえた。居酒屋にいた客たちは一斉にケリーの方を見る。ケリーは両手をぎゅっと握り締め、目をカッと見開き、顔を赤く染めていた。明らかに怒っている。
「女の人だって、帝国の行く末を憂う権利、それだけじゃない、帝国のために身を捧げる権利はある!!!」
ケリーは大声で叫んだ。
「じょ、嬢ちゃん、悪かったって……。別に、お前さんのような女の子を悪く言うつもりは……」
「言い訳など聞きたくない!! 私は戦いたくても、あなた達、男のように戦うこともできない、政治に参加することもできないんだぞ!!!」
さっきまでケリーと話していた年上の男達はただ慌てているだけであった。ゲオハルトはというと、熟睡中であった。
ラインハルトは急いでケリーをなだめにいった。しかし、ケリーはラインハルトにも怒鳴りつけた。
「あなたもよ、ラインハルト!!! あなたは昨今の情勢についていつも楽観的…、違う、無関心すぎる! いつもいつも数学ばかり勉強していて、一体何になるっていうの!」
ケリーがそんなふうに自分のことを思っていたことに、ラインハルトはさすがに驚いた。ケリーは続けて発言する。
「あなたにはドイツ国民としての自覚がないの? 国のために働こうという気持ちはないの?!」
ラインハルトは困惑した。ここまで愛国心に燃える少女を見たことがなかったからだ。しかしそれは模範的なドイツ国民というよりは、どこか狂信的なものに見えた。
「僕は、君みたいにドイツについてどうこう考えたことはない……。これからも、僕は自分の進みたい道をゆく……つもりだ……」
そう反論するのが今のラインハルトにとっては関の山だった。しかし、驚いたことにケリーはラインハルトの肩にもたれかかってぐっすりと眠っていた。酒に酔うとはこれほどまでに恐ろしいものなのか、とラインハルトは内心思った。
この一部始終を眺めていた若い男は近づいてきてラインハルトに言った。
「立派な女の子だね。ここまで言われてしまっては、国中の男達も顔負けなんじゃないかな」
ラインハルトは苦笑いしかできなかった。
「ラインハルト君、君は弾道学についても興味があると言っていたね。もし良ければ私が所属している部隊の見学でもしてみないか?」
突然の招待であった。
「僕がですか? 軍に所属もしていない一介の学生である僕なんかが良いのでしょうか?」
若い男は首を横に振って言った。
「君はなんだかすごい力を持っているように思える。この先のドイツに何か影響を与えそうな、力をね」
若い男は都合が良い日があれば連絡してほしいことと、どこで訓練をしているかも告げて去ろうとした。しかし出口に立った時、自分の名前を伝えるのを忘れていたことに気がついた。
「そうそう、私の名前だがね……」
彼は振り返って言った。
「エルヴィン・ロンメルだ」
読んでくださりありがとうございます。今回は少し長めに書いてみました。なので、言葉の言い回しが変であったり、基本的なミスがあるかもしれません(すみません)。次の作品が投稿され次第、ぜひ読んでいってください。