戦線のリアリズム
あれは大虐殺だった。
アウグスト・フォン・マッケンゼン(1849-1945)
ハア…ハア……。
「……!!!」 「…!!」
ドドドドドド!!
誰かが、叫んでいる。馬の足音が轟音となって耳に入ってくる。
虚な目がラインハルトをじっと見つめている。その目の持ち主は、頭が欠けている。
血の匂いが充満していて吐き気が襲ってくる。
だが、ここで動けば確実に殺されるーー。
ハア……ハア……。
数時間前
8月20日、ドイツ軍のヘルマン・フォン・フランソワ大将は先日起こったシュタルペーネンの戦いで一時的にロシア軍を押し返した勢いに乗り、この日も独断による攻撃を開始してしまった。しかし、ロシア軍は警戒を強めておりこの攻撃は通用しなかった。
ドドドドド!!!
遠い大地の彼方から、物凄い数の馬の足音が聞こえてくる。ロシア帝国が誇る騎兵部隊の攻撃だ。ナポレオン戦争以来の華々しい突撃戦術がそこには繰り広げられていた。
ラインハルトは呆気に取られた。自分達が構える大砲を前にしてただの騎兵突撃など、自殺行為ではないか。ラインハルトは今日の戦いは生きて帰られる余裕を感じた。
ラインハルトは自分の計算結果と観測した地形の情報、そして目視による敵の動きから味方に指示を出し、榴弾砲の照準を合わせる。
「放て!!!」
合図と共に発射された弾は、目に見えない速さで敵めがけて向かっていく。
ズドォォォォン!!!
味方の軍が放った弾が次々に着弾する。煙が立ち込め、ロシア騎兵部隊の姿が霞む。
(やった!!)
ラインハルトは確かな手応えを感じ、拳をぎゅっと握りしめた。
「すぐに弾を装填してください!」
いつまでも喜んではられない。次の発射の準備をしなければ、すぐに敵がやってくる。
ドドドドド!!!!
さっきよりも近い距離で馬の立てる轟音が聞こえ、ラインハルトはすぐに敵の方に目をやる。
「そんな…」
確かに砲弾を命中させたはずの敵軍は全く怯むことなくラインハルトたちの方へと突進してくる。
「急いで!!!」
ラインハルトは焦った。かつて、教官に「敵は待ってはくれないぞ!」と怒鳴られたことを思い出す。
(敵がさっきよりも近いから、照準は下に傾けて…、いや、でも…)
「シュライザー!早く指示を!!!」
仲間に促され、ラインハルトは半ば混乱する。
「ああ、ちょっと待って!」
ロシア軍がドイツ側の陣地にかなり近づいたところで、味方の騎兵部隊も応戦に入った。
ラインハルトは焦りながらも、指示を出す。
数百メートル先では騎兵同士の死闘が展開されている。
「この角度…、この角度で狙ってください」
「よし、わかった!……ちょい待て!味方騎兵にも当たるぞ!」
ラインハルトは初めての実戦で経験する、他部隊との連携に慣れてはいなかった。
「くっ!!じゃあ、敵の背後に当たるように調整を!!」
ロシア騎兵は強かった。味方の騎兵部隊が薙ぎ倒されていく。
「くそ!」
ラインハルトは携帯していた「Gew98」に手をかける。さすがに、近すぎる敵を前にして大砲を悠長に撃ってはられない。仲間たちもラインハルトがライフルを準備しだしたのを見て、すかさず携帯用武器に切り替える。
(僕は…、大砲だけが取り柄じゃないんだぞ…)
ラインハルトは一時期、ライフルを試射させてもらっていた経験から少し自信を持っていた。
ラインハルトはライフルを構え、敵に照準を合わせる。鬼の形相でこちらめがけて突進してくる敵兵を中心に捉えた時、彼の指は銃の引き金を引くことを拒んだ。
(ーーー!!撃てない!?)
無意識だったのかもしれない。彼にとっては大砲で敵を撃ち砕くよりも銃で人を直接、撃ち殺すことの方が躊躇に値した。ラインハルトは震えた。
「シュライザー!!!撃てよ!!!!」
味方に叫ばれてもラインハルトは自分の指を動かすことができなかった。
「あああああああ!!!!」
目の前のロシア騎兵はラインハルトに向かって槍を突き刺そうと大きな雄叫びを上げる。
「あ…」
ラインハルトは瞬間、死を感じた。さっきまで余裕になっていた自分を悔いた。あまりにもあっけない最期だと思った。ラインハルトは目をグッと閉じた。
「ぐあっ!!」
短い叫び声が聞こえ目を開ける。自分を殺そうとしていた敵兵は目の前に倒れ込んでいた。
「シュライザー君!切り替えて!!」
ミヒャエルが自分の代わりに撃ってくれたのだ。ラインハルトは助かったと安堵しかけた。
「銃を構えて!敵はどんどん来るよ!!」
ロシア兵は次から次へとこちら側に向かってくる。なんて胆力なんだ、とラインハルトは思った。人を直接殺す恐怖に怖気付いた自分とは対照的であった。
中隊の面々はあまりに近い敵兵には銃剣で応戦をした。だが、攻撃範囲の広い槍の方が圧倒的に有利だった。味方の何人かが無惨にも突き刺され死んでいく様を見て、ラインハルトは激しい動悸を感じた。
(だめだ、ーーもうだめだ…)
ラインハルトは銃を構える気力すら失っていた。隣でミヒャエルが何か叫びながら必死で銃を撃っているが、ラインハルトの耳には届かなかった。
呆然としている最中、味方の騎兵が再び応援に駆けつけてくれた。今度はロシア兵を少しずつ押し返す形となり、中隊の仲間たちは休む暇もなく、再び榴弾砲の装填を急いでいた。仕返しの機会であったかもしれないが、ラインハルトは膝をついたまま動けなかった。
ミヒャエルはラインハルトの両肩を掴んで必死で何かを言っている。
ラインハルトはほんの一瞬の轟音と共に視界が真っ暗になったーー。
「う、うーん…」
ラインハルトはゆっくりと目を開けた。自分は気絶していたのだろうか、と状況を確認しようとした。
「……」 「……」
すぐ近くでドイツ語ではない言語が聞こえてきて、ラインハルトはすぐにロシア兵だと気づいた。ラインハルトはすぐに動きを止め、じっとしていた。
(今、動けば敵に殺される…)
ラインハルトは必死で自分の呼吸を最小限に止めようとした。
ーーその時、目の前に横たわる体に目がいった。
(ーー!!ミヒャエルさん!!?)
彼の頭は酷く削られていて、絶命していることは明らかだった。ラインハルトは虚な目をするミヒャエルをじっと見つめて、涙を流した。
(ミヒャエルさんは、僕を…庇って……)
ラインハルトは嗚咽が止まらなかった。涙が、鼻水がラインハルトの顔をぐちょぐちょにする。
どれほど時間が経っただろうか。ラインハルトは多くの死体に囲まれた状況の中で敵兵が去るのをじっと堪えた。そして、敵兵の気配が完全に無くなったのを確認してゆっくりと体を起こした。
凄まじい数の屍が横たわるグンビンネンの平野を、血に染まったかのような空が残酷なほど綺麗に照らす。その死体の中に一人だけ息をする男が立っている。血塗られた男の顔は茜色の空に照らされ、美しく輝く。
男はひしひしと感じたはずだ。今、自分が生きているのはこの数千の仲間たちが自分を覆い隠してくれたからだと。そして、生き残った自分にドイツの未来が託されたと。
ラインハルトは、全滅した味方中隊の屍を踏み越えて自陣へと向かった。
読んでくださりありがとうございます。今回は気合入れて書きました!
まだまだラインハルト君の戦いは続きます。少しでも続きが気になったら、ぜひブックマークに追加してください(著者のやる気が増えます)。




