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怠惰な銀狼と秘密の取引  作者: 緑名紺


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6 隠し部屋にて

 


 残り僅かなお昼休み、私は急いで図書室の奥に向かいました。

 暗幕で覆われた書架の隙間を抜けた先にある隠し扉。深呼吸をして、教わった通りのリズムでノックをしてみると……。


「開いてる。入れ」

「し、失礼します」


 入り口の怪しさからは想像できないほど、室内は明るくて清潔感がありました。天窓から柔らかい光が入ってきています。

 実家の私の部屋よりも広く、調度品も質の良いものばかりです。奥の机には古い蔵書が積み上げられています。図書室の蔵書でしょうか。


「えっと、素敵なお部屋ですね」

「…………」


 部屋の中央にある革張りのソファにミカドラ様がだらりと腰掛けていました。ああ、とても機嫌が悪そうです。


 ここは公爵家専用の隠し部屋だそうです。

 なんとも非常識な話ですが、王立学院の創立時に多額の寄付をしたため、特別にこのような部屋が用意されたのだそうです。学院の敷地内のどこかに、王族専用の隠し部屋もいくつかあるとか。本当に昔から王家とベネディード家は仲がよろしいですね。


 そんな歴史ある隠し部屋ですが、今はミカドラ様のサボり専用の部屋と化しています。人目を避けて会う場所として、私にも入室が許可されたのです。合図をしたら来い、と言われていました。


「あの、大丈夫ですか? 先ほどは、その……」

「あの女は運が良い。気分次第では突き飛ばしていた」


 本気か冗談か分かりません。きれいなアイスグレーの瞳が暗い光を帯びています。


「我慢されて立派でした。異性におモテになると、このような大変な目に遭われるのですね……」


 お疲れ様でございました、という気持ちを込めて言うと、ミカドラ様は呆れたようにため息を吐いた。


「ルル、お前は仮にも未来の夫が無礼な女に付きまとわれたというのに、他人事みたいに……他に感想はないのか?」

「え? 他に? ……見ていてハラハラしました。あと、婚約を発表する日が今から恐ろしいな、と」

「そうじゃない。俺に色目を使ったことに怒ったり、俺が既にお前を選んでいることに優越を覚えたり、そういう感情はないのか?」


 予想外の角度からの問いかけに私はたじろぎました。


「そ、そのようなこと、考えるのもおこがましいです」


 確かに私はミカドラ様と結婚の約束をしました。

 しかし愛し合っているわけではなく、対等な関係ですらありません。どちらかと言えば雇用関係や主従関係に近いものだと認識しています。

 嫉妬したり、優越意識を持つ資格はありません。


 幾分か機嫌が直ったのか、ミカドラ様はわずかに目を細めました。


「別に構わないぞ。むしろ、好きになるなら俺にしておけ」

「え?」

「この先、他の男に惚れられても困る。というか、全く恋愛感情を持たれないというのは、それはそれで腹が立つ。そもそも現段階でお前は俺のことどう思ってるんだ?」


 密室で二人きりという状況を今更意識してしまい、私はミカドラ様から顔を背けました。


「きゅ、急に何を……」

「こういう話も必要だろう? 取引で成り立つ関係とはいえ、夫婦になるんだから」


 それきりミカドラ様は口を閉じました。私の返事待ちということでしょうか。とても居心地が悪いです。


「そ、そういうのは、まだ分かりません。ですが、その……ミカドラ様は大変魅力的な異性ですよ、世間一般的に」

「最後の一言が余計だ」


 手厳しいです。でも、そう誤魔化さないと恥ずかしいではないですか。


「まぁ、いい。さっきの女みたいな鬱陶しいアピールは困るが、お前なら俺を好きになっても良い。その方が労働意欲も湧くだろう?」


 そちらこそ、最後の一言が余計では?

 途端に羞恥の熱が冷めました。


 好きになれと言われても、正直困ってしまいます。

 私のような者に結婚の話を出すくらいなので、今はミカドラ様に好きな方はいないのでしょう。

 ですが、いずれ誰かに恋をするかもしれません。同時に怠惰なご自分を顧みて、その方と結婚するために真面目に働く気になる可能性もあります。そうしたら私との取引は御破算です。まぁ、お相手を愛人として囲って二人で遊び暮らすのかもしれませんが。


 いえ、一途に一人の女性を愛するとは限りませんね。

 十二歳にしてミカドラ様を巡って女生徒たちが言い争っているくらいです。将来的にいろんな女性と遊んだりして……。

 貴族ならば、別に珍しい話でもありません。それくらい私でも知っています。


 ミカドラ様を好きになってしまったら、つらい想いをすることになります。

 好かれようと頑張って、全然相手にされなくて、そのうち愛想を尽かされる惨めな未来が見えます。ジュリエッタ様のように冷たくあしらわれるのは耐えられません。


「私に居場所を与えようとしてくださっているミカドラ様には、本当にとても感謝しているんです。その気持ちだけで、一生をかけて尽くせると思えます。なので私への心遣いは必要ありません」


 私は誰も好きになりません。恋愛とは無縁の人生でもいいです。

 そんな暇もないくらい、たくさん勉強してたくさん働くつもりなので。


 ミカドラ様はじっと私を見つめて、大きなため息を吐きました。なんでしょう、心の中を読まれたような気がしました。


「本当にお前は謙虚で賢く弁えた女だな」

「え。それはどういう――」

「さぁな。……何はともあれ、そこまでかしこまらなくていい。遠慮もするな。俺としては、お前ともっと打ち解けたいんだ」


 その言葉で心臓の辺りがふわっと弾みました。

 きっと、ミカドラ様にこのような言葉をかけていただける人間はめったにいません。先ほどまでの自戒を忘れて、さっそく優越感を覚えてしまうなんて、なんだかこの先が不安です。


「は、はい。仲良くしていただけるなら、私も有難く思います」


 でも、少しくらいなら、距離が近づいても良いですよね。ここはミカドラ様のお言葉に甘えさせていただきましょう。

 ミカドラ様は頷いて、さらりと言いました。


「ああ、そうだ。来週の休日、父上と約束を取り付けた。朝のうちに迎えを寄越すから、早めに準備をしておけよ。これを伝えるために呼び出したんだった」


 直後、昼休みの終了を予告する鐘が鳴り響き、私は思い切り怯えてしまいました。



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― 新着の感想 ―
[一言] 嫁に行かせて追い出してやるという実家が、この上ない良物件を連れてきた、いえ、良物件に娘を連れていかれるとなれば 追い出すのではなく、義弟ともどもでっかいコブとして引っ付いてきそうですね。
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