5 食堂での騒ぎ
取引成立から数日が経ちました。
今日も今日とて、私は地味で目立たず、特筆すべき点もない学院生活を送っていました。
いえ、公爵邸を訪問する日までにいろいろ調べることがあって、睡眠時間を削って頑張っていますが、表向きは普段通りです。
ミカドラ様も相変わらずほとんど授業に出席しません。
学期末に生徒指導室で課題をこなしていたのは、教師陣に「授業や試験を受ける必要がない」ことを証明するため――ようするに「公然とサボる」ための課題だったそうです。
あれだけ高度な内容のものを提出されては、教師たちも文句は言えないでしょう。数術の課題はほとんど私が解いたのですが、気づかれなかったようです。
これだけサボるのになぜ学院に籍を置いているのかと尋ねたところ、ミカドラ様はあっけらかんと言いました。
『たまに来ると気分転換になる。面白い話も聞けるし』
ミカドラ様は、古代神話や歴史学の授業には顔を出します。
教師が著名な学者で、教科書に載っていない最新の研究内容まで話してくださるからでしょう。確かに私もその授業は楽しく拝聴しております。
しかし、本当に遊び感覚なのですね。
少し憎いです。
私は仕送りを減額され、そのうち中途退学させられるのでは戦々恐々としているのに。
奥の机にいる彼をちらりと見て、私は小さくため息を吐きました。
「ルルさん、今日もスープだけなの?」
「あ、はい。ずっと胃の調子が悪くて……」
今は昼休みで、学院の食堂で友人たちと昼食を取っていました。
王都の貴族令嬢であるヘレナさんと商家の娘のアーチェさんです。学院で知り合って、なんとなく行動を共にするようになりました。
「え、一回お医者様に診てもらった方が良いんじゃない?」
「明日にでもお薬をお持ちしましょうか?」
「いえ、大丈夫です。心配してくださってありがとうございます」
言えません。昼食代を節約しているなんて。
朝食と夕食は寮費に含まれているので食べられますが、平日のお昼は食堂で注文するか購買部でパンを買うしかありません。その出費が痛いのです。
減らされた仕送り額でも昼食代くらいは賄えるのですが、そうすると全く手元に残らなくなります。文房具や紙束が十分に購入できませんし、何かあった時に困ります。
いっそのこと昼食を抜きにしたいのですが、成長期のせいかすぐお腹が空いてしまいますし、友人付き合いを疎かにするのも気が引けます。
というわけで、安価なスープで誤魔化すしかないのです。
「ルルさんは知らないと思うけど、新作の舞台が始まって今はチケットの争奪戦が起こっているのよ。ヒロインの行動がとても過激なんですって!」
「そうなんですね。それは珍しいような」
「ええ、早く観に行きたいですわ。主役の俳優さんもとても格好良いらしくて。お花をお送りしたいわ」
この三人で集まると、私はほとんど聞き役です。
素敵なお茶会に誘われた、高価な贈り物をもらった、今はこういうドレスが人気、そういうお話を教えて下さるのです。
時々見下されていると感じますが、私は田舎者で王都の流行には詳しくないので、正直助かっています。悪意は感じませんし、とても面白いお話ですし、声をかけていただけるのはとてもありがたいことですから。
ヘレナさんもアーチェさんも教室では私と同じく目立たない方です。いえ、下手に目立って目をつけられないように気をつけている、と言った方が正しいでしょうか。
「ご機嫌よう、ミカドラ様!」
華やかでよく通る声が食堂に響きました。
子爵令嬢のジュリエッタ様が、ミカドラ様と同じテーブルの席に腰掛けました。
「ご一緒させてくださいませ。はぁ、ミカドラ様にお会いできて、今日はとっても幸せですわ!」
今年の新入生で一番素敵な女生徒は誰ですか、と聞かれれば、まず間違いなくジュリエッタ様が候補に挙がるでしょう。それくらい愛らしい容姿をお持ちです。
ようするに、今食堂中の注目を集めているお二人は美男美女なわけです。遠目で視る分にはお似合いと言えなくもないでしょう。
ジュリエッタ様の勇気は尊敬に値します。
上級生もいる公衆の面前で、よくミカドラ様に馴れ馴れしくできるものです。
先ほどまでおしゃれの話題ではしゃいでいた近くの先輩方が、猛禽類もかくやと鋭い眼光でジュリエッタ様を睨みつけています……。
ミカドラ様は無言でした。完全に無視で食事を続けています。
「先日ミカドラ様がお読みになっていた本を、私も手に取ってみましたの。でも、すごく難しくて、全然分かりませんでした。あの内容を理解されているなんて、やっぱりすごい方なんだと再認識いたしましたわ!」
「……」
「長期休暇はいかがお過ごしで? 私は別荘でばあやに刺繍を習いましたの。初めてにしてはものすごく上手だと家族全員が褒めてくれて――」
「…………」
「昔招待された王城でのお茶会で、ミカドラ様と王太子殿下が並んでいたお姿、今でも忘れられませんわ。お二人ともとても麗しくてまるで物語の一幕のようでした。あの場に居合わせた私は、とても幸運でした!」
「………………」
それからもジュリエッタ様がいろいろと話しかけていましたが、ミカドラ様は無反応を貫き通しています。
どちらもすごい……お二人とも精神が鋼でできているのでしょうか?
私にはとても真似できません。
いつの間にか食堂が静まり返り、誰もが食事の手を止めていました。
だって、息がつまりそうなほど、ミカドラ様の機嫌が加速度的に悪くなっていくのが分かるのです。今にも爆発しそうでハラハラしてしまいます。
それに、これは私だけではないと思いますが、ジュリエッタ様のたまに舌足らずになる話し声がどうも癪に障るというか……食堂にいる女性たちもイライラを募らせています。
今この空間、ものすごく空気が悪いです。
「ではそろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか。今度の休日に観劇に行きません? 一番良い席が取れましたの。ヒロインがとても積極的だと話題の恋物語ですわ」
ついに食事を終えたミカドラ様が席を立ちました。その際、私がいるのに気づいたようで、目が合いました。
これだ、これが面倒なんだ、と言わんばかりの険しい表情でした。私は慌てて目を伏せて謝意と憐憫の意を伝えます。
ミカドラ様に睨まれたと思ったヘレナさんとアーチェさんまで息を呑んで俯きました。ああ、こちらにも被害が。ごめんなさい。
「ミカドラ様、お待ちになって。観劇は――」
「断る」
やっと口を利いてもらえたのが嬉しかったのでしょうか、ジュリエッタ様がにこやかに尋ねました。
「まぁ、なぜですの? 演目が気に入らないのですか? ではどのような舞台なら――」
「謙虚で賢くて弁えてる女が主役なら。お前と真逆の」
痛烈な皮肉を口にし、ミカドラ様は冷たい一笑を残して去っていきました。そして、私に見える角度でさりげなく左手で右耳に触れました。
「っ」
私は小さく悲鳴をあげました。あれは二人の間で取り決めたサインです。
周囲の女生徒たちの盛り上がりの方が大きくて、私の反応には気づかれなかったようです。
「カッコイイ」と黄色い悲鳴がおさまると、次はくすくすとした嘲笑が広がりました。
「何を笑っているのかしら?」
ジュリエッタ様は顔を真っ赤にして、周囲を睨みつけました。先ほどまでの可憐な振舞いが嘘のようです。
「あら、ごめんなさいね。あまりにも可哀想だったから、せめて笑ってあげなくてはと思って」
上級生の方が鼻で笑いました。
そこからは、言語化するのも恐ろしい女同士の上品な罵り合いが始まりました。
やはり、ミカドラ様との関係を秘密にしたのは正解でした。あの争いの中心に身を置く覚悟はまだ持てそうにありません。
それはともかく、私は急いでスープを飲み干して席を立ちました。
「あの、私、用事を思い出しましたので、お先に失礼いたします!」




