20 見つけた ※ミカドラ視点
俺――ミカドラ・ベネディードは自他ともに認める怠惰な人間だ。
やりたいことは誰にも邪魔させずに好き勝手に実行するが、やりたくないことは極力しなくて済むように予め采配している。体を動かすよりは頭を使った方が楽だから、先回りして手を打っておくんだ。
一応、誰かが本気で困ることがないよう、気をつけてはいる。迷惑をかける相手を選んでいると言えばいいのだろうか。
父上も姉上も公爵家に仕える者たちも、俺には甘いんだ。大抵のことは許される。
これからも自由気ままに生きていきたい。
自分の運命を知った時から、俺はずっとそう願っている。
とある日曜日の昼下がり。
俺は未来の妻になる予定の少女――ルル・アーベルと戦線盤戯に興じていた。
俺の中ではもうルルと結婚する未来は確定事項だが、まだ彼女の家に認められていない以上、正式な婚約とは言えない。向こうの家が公爵家からの求婚を断れるはずはないので、確定でもいいとは思うが。
「…………」
このゲームを教えて半年が経つ。
ルルはなかなか鋭い手を指すようになってきた。この年にしては強い部類だろう。
学院での勉強に加え、公爵邸での教育、さらには執務の手伝いをしているというのに、どこにボードゲームの戦術を学ぶ時間があるのか。
なんでもルルは、睡眠時間を削ってもある程度は動ける部類の人間らしい。活動時間が長いんだ。寝起きもすこぶる良いらしく、一度も遅刻したことがないのが数少ない自慢だと言っていた。
俺とは真逆の生態をしている。
ルルのすごいところはそれだけではない。
こういう頭を使う遊びが好きというのもあるだろうが、かなり負けず嫌いだ。
大人しくて気弱な印象とは裏腹に、粘着質で執念深い部分もある。どれだけ負け続けても、決して次の対戦から逃げたりしない。
『負けるのは甘んじて受け入れるとしても、次はもっと良い勝負をして見せる』
『絶対に同じミスはしない』
『少しずつでもコツコツと成長していつか必ず追いつめてやる』
……ルルからはそのような気概を感じる。
正直ぞっとする。同い年の人間をすごいと思うことも、底冷えするような恐怖を覚えることも初めてだった。
やはりルルは逸材。俺の目に狂いはなかった。
あの数術の答案用紙を見てから、俺はルルに興味津々だった。こんな意外性を秘めた人間には初めて会う。
俺は怠惰で面倒事を嫌うが、刺激が欲しくないわけじゃない。
「……参りました」
ルルが降参して、その日の対戦は終わった。
たまには負けてあげたらどうですか、と前にヒューゴが呆れられた。普通の女に対してならば、そうするべきなのかもしれない。
しかしルルは負けた後、悔しそうにしつつも、尊敬の眼差しを俺に向けるんだ。簡単に負けたらその憧憬をぶち壊してしまう。
だからきっとこのままでいい。
駒を片付ける手を止めて、ルルが黙って俺の顔を見た。
「なんだ?」
「……いえ、なんでもありません」
最近、こういうことが増えてきた。ふとした瞬間、何か言いたげな視線を俺に向けるのだ。
医務室でアルト王子と話した頃からだろうか。何か勘づかれたのかもしれないし、俺に不満を覚えたのかもしれない。
……まぁ、言いたくないのなら無理に言う必要はない。俺にだって隠し事はあるからな。
だが、少々気に食わないので、いじめてやることにした。
「ルルは、最近可愛くなったな」
「え!? きゅ、急になんですか」
みるみるうちに頬が桃色に染まり、口元をもごもごと動かすルル。
照れて困っている。予想通りの反応だ。面白い。
「思ったことを口にしただけだ。何か問題があるか?」
「……い、いえ。ミラディ様の時間を頂戴しておしゃれの仕方を教えていただいているのですから、改善しているようで安心いたしました」
すぐに深呼吸して精神を立て直してきた。俺への対応も慣れてきたな。
俺は何も嘘は言っていない。
最初の頃と比べるとルルはかなり綺麗になった。
長くて重たかった髪をまとめてすっきりさせているし、肌もくすみが取れて健康的な白さになっている。日々の暮らしに余裕ができたのだろう、全体的に柔らかい印象になった。
もし公爵邸での姿で学院に通ったら、ルルだと気づかない人間の方が多いのではないだろうか。
しっかり清楚で知的な少女に仕上げている辺り、さすが姉上だと言わざるを得ない。
……しかし姉上のお下がりの服ばかりというのは、なんとなく嫌な気分になる。
たまには何か贈ってみようか。
しかし、いきなり服をプレゼントするのは距離を詰めすぎのように思う。宝石の付いたアクセサリーなどは受け取ってもらえなさそうだ。最初は普段使いできる髪飾りくらいが妥当だろう。
何が似合うだろうと見つめ続けていたら、ルルは耐えられないと言わんばかり顔を背けた。
「……あ、あの、ミカドラ様は、いつもカッコ良いです」
「は?」
「なんでもありません! そろそろ寮に帰る時間なので失礼いたします……!」
結局ルルは赤面したまま遊戯室から出て行った。
今の言動は、容姿を褒めたお返しだったのだろうか。
……可愛いな。
そもそも事の始めは、ヒューゴとの会話だった。
俺はいつものように寛ぎながら呟いた。
「ああ、働きたくない。この家を継いで遊んで暮らすにはどうすればいい?」
「また若様はそんなふざけたこと言って」
「俺は真剣だ」
「それは性質が悪いですね」
ヒューゴは悩んだ後、閃いたとばかりに手を叩いた。
「じゃあ、女の子を誑かしたらどうですか?」
「お前こそふざけたことを言うな。目を覚ませ。どんどん兄の悪影響を受けているぞ」
「違いますよ。仕事ができそうな女性と結婚して、代わりに働いてもらえばいいって言いたいんです。若様のためなら何もかも投げ出して尽くしてくれる子、結構いると思いますよ。ボクとしても、美人に命令された方が働き甲斐がありますし」
何を馬鹿なことを言い出すんだと思ったが、興味深い提案だったので少し考えてみた。
「……確かに、妻に仕事を任せるというのはアリかもしれない。有能な部下を育てて仕事を丸投げしてもいいが、指揮系統を整えるのが難しくなる。頭一つ抜けた地位の人間からの命令でなければ、上手くまとまらないだろう」
公爵家が管理する事業は多岐にわたる。専門の管理者も各分野で育てているが、それら全てを把握して大きな決定を下すのは、やはりベネディード姓の人間でなくてはならない。
親戚の誰かに任せるのも混乱の元になりそうだ。これといった人物がいない。無理に一人選べば別の家から文句が出るだろう。
俺以外なら、妻となる女にしか任せられない。
女性の地位向上が注目されている今、公爵家がその後押しをするのは悪くないだろう。
父上からも結婚については自由にして良いと言われているし、何も問題はない。
どうしてこんな簡単なことを思いつかなかったのだろう。
……むしろこんなことを考え付くヒューゴに問題があるか。兄たちのせいで、自然に女を利用する思考がしみついている。この三兄弟が公爵家で働いてなければ、今頃たくさんの女たちが搾取されて不幸になっていたに違いない。
「学院で探してみましょうよ。というわけで、今日こそは登校してくださいね。入学一週間目にして、もう教師に目をつけられていますよ、若様」
「…………」
ヒューゴの提案をそのまま採用するつもりはない。
特に、俺に惚れさせて働かせるという部分がいただけない。
仕事を代行させるためとはいえ、好きでもない女に良い顔をしなけれならないなんて、とてつもなく面倒だ。端的に言って虫酸が走る。
仮にそういうことを許容できる良い女が相手だったとしても、俺の印象では、恋愛感情というものはひどく不安定で移ろいやすいものだ。
いや、俺自身は誰かを好きになったことがないから推測でしかないが、父上のように一人の女性だけを真摯に愛し続けることが、どれだけ困難かは想像に難くない。貴族たちの醜聞がそれを証明している。
愛が失われれば、仕事も放り出すかもしれない。最悪、別の男に家の財産を横流しする可能性だってある。
恋愛感情だけを担保にして、ベネディード家当主の全権を預けることはできない。いくら俺でもそこまで無責任なことはしない。
俺が求めるのは結婚という名の契約、ようするに取引だ。相手が望むものを与える代わりに、面倒な執務を代わりにやってもらう。
俺が差し出せるものは限られる。
金や権力を与えるというのも、恋愛感情と同じく良い気がしない。欲深い人間は身を滅ぼし、周囲を道連れにしていくものだ。
じゃあ、どうすればいい?
俺は理想の取引相手を想像してみた。
……仕事自体に魅力を感じる献身的な女はいないだろうか。
領民のために生き、国や家に尽くすことに喜びを覚え、忙しさを人生の充実と捉えてくれるような――。
どこかにはいるかもしれないが、出会う確率は低そうだ。
それが分かっていても、俺は学院にいる女子生徒を観察するようになった。
まぁ、貴族の子息令嬢が学院に通う目的の一つは、将来の結婚相手探しだ。俺が同じことをして悪いということはないだろう。
まず、仕事ができそうな優秀な女がなかなかいない。
いや、貴族の令嬢として優れた者はいる。ただそれは家の中を仕切り、女性社会を渡り歩く能力であって、領主や公爵としての外向きの執務に対応できるものではなかった。
ごくまれに、家の跡取りとして男子と変わらない教育を受けている少女もいる。
しかしそれは、その家の一人娘だからだ。
婿を取って実家を守っていかなければならない。公爵家に嫁がせるのは不可能だ。
難しい。やはり執務を代行してくれる女は見つかりそうもない。
……そう思っていた頃、生徒指導室でルルと運命的に出会った。
同じクラスだから、出会い自体はずっと前だ。しかし話したことはなかった。
女子生徒の半分は俺に対して媚びを売り、残りの半分は怯えて逃げる。ルルは後者の人間だったので、まるで機会がなかったんだ。
授業での受け答えを見て頭が良いのは分かっていたが、内向的な性格で人の上に立つタイプではないと判断していた。学院での成績が良くても、下の者を取りまとめる能力がなければ意味がない。真面目そうなところは良いと思うが、補佐向きの人材だ。
彼女が現れたのは、ちょうど教師に課せられた問題集の山に嫌気が差していた時だった。
彼女にとっても、俺と二人きりで黙って時間を過ごすよりも、課題に集中した方が気まずさが紛れるだろう。
そう思って、課題を押し付けた。
そのことがきっかけで、ルルの評価ががらりと変わった。
彼女はただ勉強が好きなだけではない。自分を価値あるものとするために、必死だった。
『私は、責任をもって努力をしてきたつもりです。できる限り心を尽くして、自分自身を削るようにして……苦ではありませんでした。期待され、それに応えるためにする努力は格別でした』
誰かに必要とされたい、認められたいという承認欲求の塊。
ルルは実は領主の跡取りとして育てられてきたが、継母から生まれた弟にその立場を譲らざるを得ない状況にいるらしい。
これは、おあつらえ向きなのではないか?
話を聞いて行くうちに、柄にもなく胸が高鳴っていった。
やはり人の上に立って指示を出すのは苦手そうだが、自分に自信が持てれば変わるかもしれない。無理なら俺が適度に助けてやればいい。公爵家当主としてまともに働くよりも、かなり楽をさせてもらえそうだ。
『ですが今日、思い知らされました。私はそれほど優秀ではない……どれだけ努力を重ねても平凡の域を出ない人間だとはっきり分かりました。やはり自分から身を引いて、身の丈に合った人生を歩むことを考えないといけません』
その時のルルのしょんぼりとした顔を、とても良いと思ってしまった。
地味で野暮ったいのに、不思議と可愛い。腹を空かせた子猫のような不憫さがある。
俺のような人間の庇護欲をくすぐるなんて、なかなかできることじゃない。
見つけた。
目の前が開けたような感覚に陥り、俺は確信に至った。
それからは早かった。
ヒューゴを使ってルルについて調べさせ、問題がないか確認した。
そして万全の準備をして、ルルに取引を持ちかけた。
ルルをその気にさせるのは簡単だ。
お前はできる奴だ、すごい奴だ、とおだてればいい。実際、ルルは得難い才能を持っているので嘘を吐いているわけじゃない。
それでも一応、非常識な提案だという自覚はあったので、取引を成立させるのに時間がかかることは覚悟をしていた。
だが、意外にもルルの決断は早かった。
実家で現実に打ちのめされたらしい。ますます不憫に思えてくる。
俺はルルの悩みを笑い飛ばしてやった。
目の曇った親からの評価なんて、取るに足らないものだ。ルルの才能が最も活かされるよう、采配してやろう。
俺はルルを幸せにする自信があったし、幸せにしてやりたいとも思った。
結婚相手として考えても、これ以上ないと思う。
今のところ、ルルを選んで後悔したことは一度もない。
想像以上に頑張ってくれている。
これから自信をつけて、着実に成長していくだろう。
俺の家族や側近たちも彼女のことを気に入ったようだ。真面目な態度や勤勉な仕事ぶりにどこからも文句が出ない。
ばあ様だけはまだ完全に説得できていないが、既に多勢に無勢だ。時間の問題だろう。
ルルの影響で、俺自身にも変化があった。
俺は今まで同じ年頃の異性に対して、良い感情を持ったことがなかった。
よく知りもしないのに俺のことを褒めて、隙あらば自分を売り込んでくるような女に何度か遭遇したせいだろう。
馴れ馴れしくて厚かましい。イライラする。
もちろんそれはごく一部の女だということは分かっているが、嫌悪が先走るようになってしまった。
それが、ルルと話すようになって異性に対する見方が変わったんだ。
ルルと過ごす時間は心地よかった。
俺の好きなことを覚えて、一緒に楽しんでくれるのを嬉しく思う。さらにそれが俺の気を惹くためではないというところも気楽だった。
ルルに褒められると、素直に嬉しいと思うのだから、俺も現金な性格をしている。絵を描いてプレゼントするなんて、少し前の俺なら絶対にしなかった。
気が向いたのはルルを喜ばせてやりたかったからだ。
彼女がたまに無防備に笑うと、心に溜まった鬱憤が浄化されるような気がする。
……なんというか、癒されるのだ。
ヒューゴたちが「可愛い女の子と一緒にいると心が満たされます。だから優しくしなくちゃダメです」と言っていた意味が少し分かった。
とにかくルルは俺の中で大きな存在になりつつある。
刺激と癒やしを交互に与えられたら、絆されても仕方ないだろう。
これが恋愛感情だとは思わない。
そこまでの激しさはなく、俺はいたって冷静だ。今は親愛の念に近いように感じる。
ただ、何かのきっかけで、いつかどうにかなるかもしれない。そんな予感があった。
ならば、今のうちに彼女をその気にさせたい。
妻に興味を持たれない男にはなりたくなかった。俺が興味を持っている女が相手ならなおさらだ。
ルルは恋をしたらどうなるだろう。
可愛らしい乙女と化すのか、嫉妬深い重たい女になるのか、とても気になる。
どうせ俺以外とは恋愛できないんだ。
別に構わないよな。
取引で成り立つ婚姻とはいえ、夫婦の間にそういう感情があるに越したことはない。
……ただ一つ、気がかりがある。
いつか秘密を打ち明けた時、ルルはどう思うだろう。
決して悲しませたりしないから、どうか俺を信じてほしい。




