11 新しい生活 その一
なんとか公爵家に認められ、私の新しい生活が始まりました。
一週間のうち、平日と土曜日の午前までは学院で授業を受けます。その後、土曜日の午後から日曜日は公爵邸に泊まり込み、勉強と仕事の研修を受けさせていただいています。
そのため、毎週のように外泊届を出さなくてはなりません。学院側と友人たちには「知り合いの仕事の手伝いをするため」と説明してあります。
はっきりと明言しないように気をつけて、アルバイトだと誤解されるように誘導しました。我が家があまり裕福ではないことを察してか、全く疑われませんでした。少し悲しいです。
仮にも貴族令嬢が成人前に働きに出るのは外聞が悪いのですが、他に良い理由を思いつきませんでした。
ミカドラ様との関係が明らかになれば自然と誤解は解けるでしょうが、友人たちがどのような反応をするのか、考えるだけで今から胃が痛いです。
実家には手紙を出しました。「仕送りが減って生活が苦しいので、行儀見習いを兼ねて働きに出ます」という説明をかなり婉曲した内容の文面で。
さすがに架空の勤め先を伝えるとバレてしまうかもしれないので、いざというときは公爵家の御用達のお店に口裏を合わせてもらえるようにルヴィリス様にお願いしました。
お父様の返事の手紙からは「そこまでしなくても……」という戸惑いが伝わってきましたが、強く反対されなかったのをいいことにそれ以降は触れないようにしました。
私、どうやら反抗期のようです。
そして、公爵邸での私の立ち位置についても、曖昧なまま濁しています。
ルヴィリス様の側近の方々には、ミカドラ様との婚約についても報せてありますが、それ以外の使用人たちは知りません。屋敷では姓を名乗らず、「ルル」という正体不明の少女として過ごしています。
最初は隠し通せるものではないと思いましたが、意外と詮索はされませんでした。
私のことは、ミカドラ様がスカウトしてきた人材第一号だと思われているようです。
若様もついに人を育てるようになったのか、と皆さん感慨深そうに私を見ます。あながち間違っていないので、苦笑いを浮かべるしかありません。
というのも、歴代のベネディード公爵様は、よく若者をスカウトをしてくるそうです。
行く先々で向上心のある者、才能を持つ者を見抜き、引き取って一流の人材に育てるのが特技らしいです。
ルヴィリス様の側近たちも、半分近くは元々公爵家に縁のない平民らしいです。それが今では公爵家に忠実かつ有能な部下になっているのですから、“銀狼は見誤らない”とはよく言ったものです。
「貴様!」
学院での休み時間のことです。
急に廊下が騒がしくなり、私は友人たちと一緒に教室から様子を覗きました。
一人の男子生徒が尻もちをついています。その前には大柄な男子生徒――貴族の子息が立ちはだかっていました。
「平民風情が、さっさと道を開けないからこうなる。ほら、拾えよ」
貴族の方が落としたらしい本やペンを、平民の方が拾わされています。ここから平民の方の顔は見えませんが、怯えているのかその背中は震えていました。
「わざとぶつかって、突き飛ばしてたわよ」
「怖いですわねぇ。可哀想に……」
たまにいます、身分で差別をする方が。
王立学院は“全ての子どもたちに学びの機会を”と王家の方々が創立した由緒ある学校です。
学費が支払えれば、身分や生まれに関係なく、平民にも入学資格が与えられているのです。下手な貴族よりも成績優秀な平民もいます。大抵の方が勉強熱心ですから。
それが気に食わないと思う貴族の生徒が、平民を蔑ろに扱うのです。
もちろんほとんどの貴族の子息令嬢は、露骨な嫌がらせなどしません。平民を虐めるなど恥ずかしいことだと思っていらっしゃる方が大多数でしょう。
「おい、ペン先が曲がってしまっているじゃないか。どうしてくれるんだ? ええ?」
「え? あの」
「貴様ごときに弁償などできないだろうから、そうだな、地面に顔をこすりつけながら謝罪してもらおうか? ほら、さっさとやれよ」
うわぁ、と周囲の生徒はドン引きしていました。ひどすぎます。
私を含めて皆さん助けに入りたい気持ちはありますが、動けずにいました。不幸なことにこの場にいるほとんどが女子生徒か平民。大柄な貴族生徒に太刀打ちするのが恐ろしかったのです。
教師を呼びに行こうか、と友人たちと相談していると、廊下の曲がり角から救世主が現れました。
「……おい。何をしている。邪魔だ」
ミカドラ様です!
女子生徒たちが平民生徒の危機を忘れて色めき立ちました。
因縁をつけていた貴族生徒もこれにはたじろぎましたが、すぐに切り替えました。
「こいつがよそ見をしながら走って、俺にぶつかってきたんです。おかげでほら、大切なペンが壊れてしまった」
ミカドラ様は二人の男子生徒と周囲を見渡し、その過程で教室から覗いている私とも目が合いました。
どうか助けてあげてください、と目で訴えると、ミカドラ様は面白くなさそうに視線を切りました。どうしたのでしょう。
ミカドラ様は大柄な貴族生徒に向き直りました。
「……もう一度言ってみろ」
「はい?」
「こいつ――ベネディード家の推薦で学院に通わせている者が、お前に何をしたのか」
……その場にいる全員が悟りました。
形勢は逆転し、全てが終わった、と。
貴族生徒の顔が見る見るうちに青ざめていきます。返事一つできなくなってしまいました。
ミカドラ様が鼻で笑い、平民の生徒を振り返りました。
「ヒューゴ、何があった」
「それが、よく分かりません。いきなり思い切り突き飛ばされて、上から教科書と文房具を落とされて、弁償しろと言われました」
立ち上がった平民生徒の横顔が見えて、私はようやくそれが誰なのか気づきました。
ヒューゴさんは、ルヴィリス様が目をかけて学院に通わせている平民の一人です。
「そうか。そちらの言い分と、食い違っているようだが?」
「そ、それは……そいつが嘘を」
「そうなのか、ヒューゴ」
「いえ、若様。ボクは無駄な嘘は吐きません。こんなにたくさんの方が見ているのですから」
ヒューゴさんが周りの女子たちににこりと微笑みました。実に爽やかで可愛らしいです。
「わたし、歩いていたヒューゴ君がいきなり突き飛ばされたところを見ました!」
「私も! 私も見ていました! 嘘を吐いているのはあちらの方です!」
流れるように女子生徒たちはミカドラ様とヒューゴさんに味方しました。
貴族生徒は挙動不審になり、目が泳ぎまくりです。
「……だそうだが?」
ミカドラ様のその一言が決め手でした。
「申し訳ございませんでした!」
貴族生徒は背筋を伸ばして深々と謝罪の礼を取り、そのまま全力でその場を去りました。
引き際は鮮やかでしたね。
「ありがとうございます、若様」
「あまり隙を見せるな」
「すみません。あ、皆さんもありがとうございました。お騒がせして申し訳ありません」
ヒューゴさんがお礼を言うと、女生徒たちもにこにこして、場の空気が一気に和みました。
しかし私は胸を撫で下ろせませんでした。
放課後に図書室の隠し部屋に来い、というミカドラ様からの呼び出しのサインを見てしまったからです。




