5あの頃
「わぁ!懐っ!」
誰もいない校庭を嘉新が駆ける。
ヒールで走ったからか時折よろけていた。
都立第一中学校。
俺たちがかつて通っていた学び舎だ。
ちなみにここに来る前は近くにある小学校にも行ったのだが嘉新は全く同じリアクションをしていた。
名前を思い出してから散り散りに思い出てきた。
嘉新とは中学まで同じ学校だった。
ただ所詮同じ学校に通っていた他人。
まさか8年越しにこうして言葉を交わすことになろうとは思ってもいなかった。
「ヒールで走ると転ぶぞ」
「大丈夫だって〜」
そう言いつつよろけている。
「どこがだよ。さっきからよろけてんじゃん」
嘉新は後ろで手を組み体を傾けて振り向いた。
「だってよろけても助けてくれるって信じてるから」
ドクンとまたもや心臓が跳ねた。
我ながら単純すぎる。
「俺は杖か壁かな?」
冗談に冗談で返す。
「拗ねないでよ。頼りにしてるって〜」
そう言いつつどこか軽く聞こえる。
だけどバカにされているような不快感は不思議となかった。
当然鍵はかかっているので2人で校舎の周りを歩いたり窓から教室を眺めながら歩く。
「ねえ、才原くん」
チョイチョイと服の裾を引かれ振り向く。
そういうの慣れてないしビックリするからやめれ。
なんだよと振り向くと嘉新は前方にある窓を指さしていた。
その窓に近づくと綺麗に並べられた懐かしい木の机と椅子が見える。
「覚えてる?」
囁くようになその声に振り向く。
「覚えてるって、何が?」
「ここ才原くんの教室だったよね」
「あー...」
どうだったかな。
自分がかつて1年過ごした教室の位置は記憶から薄れている。
「そうだっけ」と返すと嘉新は「そうだよー」と笑った。
「才原くんいつも本読んでたよねー、部活も文学部だったし図書委員だし。どんだけ本好きだったんだよー」
「はははっ」と嘉新がコロコロ笑う。
「いや、あのときは...」
単に暇な時間を、居た堪れない時間を埋めるために空想の世界に逃げ込んでいただけでーー
ん?
「同じクラスだったっけ?」
接点がなかった割にやけに詳しく知ってる。
俺の問いに嘉新は「あー...」と視線を明後日の方向に向ける。
「違うよー。っていうか同じクラスなったことないじゃん」
「んー...じゃあ委員会同じだったとか?」
「ノー。私保健委員だったし。才原くんの...クラスに友達いたからよく行ってたし」
「ああ、そういうことね」
嘉新は窓に手を付いて懐かしむように呟く。
「もしもあの時、もっとちゃんとしてたら何か変わってたのかな...」
「何かって、何が」
嘉新は動かず数秒の無言の後
「『世界の終わりで才原くんと会うこと』」
と窓の向こうを見たまま小さな声で言った。
「え?」
意味が分からず聞き返すが続きの答えは返って来なかった。
※
その後しばらく校内をプラプラしたあと「お腹すいたー」という嘉新の言葉で探索は切り上げ近くの大衆食堂に行った。
あのやる気のない老夫婦がやっている店だ。
他の店が軒並みに休業する中唯一見つけたこの夫婦はどうやら最後の最後まで店を開け続けることに決めたらしい。
それほどに愛着のある店なのだろう。
人生をかけて自分を貫き、好きな物を愛し続ける。
それは簡単そうに見えて簡単じゃない。
普通の味だと思っていたカツ丼が今日はいつも以上に美味しく感じた。
「それで、これからどうする?」
焼き鮭定食を食べ終わった嘉新が紙ナプキンで口を拭った後そう切り出した。
「どうするって...もう夜だしなー...」
今日もニュースは変化なし。
新しく情報が更新されることも緊急警報がなることもなかった。
人類は今日も生きながらえたのだ。
これを幸運というべきか、再び来るかもしれない恐怖に怯え続けることに不運というべきか。
嘉新は机に両肘を付き手の甲に顎を乗せた。
そのままニンマリとした笑顔を無言で向けてくる。
その何かを待っているかのような視線に気まづくなりつつ
「えーっと...じゃあ、うち来る?」
人生で初めて自分から女子を家に誘ってしまった。 (ただしエロい意味は一切ない。)
ドキドキとこれで合っていたのか、もしかしたらとんでもない勘違いでとんでもないことを口走ったのではないかという不安が駆け巡る。
しかし、どうやらそれは杞憂だったらしく嘉新は同じ体制のままウンウンと頷いた。