第7話 『私の与謝野鉄幹になってください!!』
12時10分ピッタリにタカハシはカフェ前に現れた。
両手をポケットに入れてぶっすーっとしている。
バカめタカハシ。これがサトルなら『百人一首合戦』などせずに「いいぞいいぞ12時なー」と約束して
ドタキャン
かますところだ。
連絡すらしない。3回はすっぽかす。永遠にすっぽかす。責められたら「わっりぃー。なんかダルくて」くらい言う。しかしタカハシは真面目なのである。よほどの高熱でも出さない限り約束は守る。
カブラギは満開の笑顔で「先生っ。お忙しいとこ恐れ入りますっ。校長先生、大丈夫でしたかっ」といった。
「大丈夫というか…………」
「はいっ」
「先生方全員に…………拍手で見送られた…………」
サトルにいたっては『あんなエロい女子大生と2時間もっ。気にせずヤッてこいっ!!』とデカイ(やめろよ)声援を浴びせてきた。迷惑この上ない。もちろんカブラギには言わない。
「私たちもう職員室公認なんですねっ」
「『職員室公認』てなんだよ」
「このまま公認の彼女になりたーい♡」
「お店入るぞ」無視された。
◇
カフェは思ったより落ち着いた店だった。
あのサトルが紹介するわけだからどんだけチャラいギャルギャルしいところかと思ったが、客も店員も50代以上に見えた。間違いなくカブラギが1番若い。
朱色の壁に1面ロートレックのポスターが飾られていた。スポットライトが黄色い造花にあたりボウっとした陰を落としている。古き良き時代って感じのアメリカンミュージックがかかっている。
ソファーが赤茶で、テーブルが白で灰皿まであった。
『大人のお店だなぁ……』カブラギは辺りを見渡す。3年もあの学校にいたのに、一度もここには来なかったなぁ。
変な話、女子高生どもに話を聞かれたくなければこの店にするだろう。学校から10分なのに別世界感がすごい。
カブラギはデミグラスハンバーグセットで、タカハシはナポリタンセットを注文した。
スプーンとフォークが重ねてあって白いナプキンが巻きついてる。
「先生。ハンバーグにしないんですか? お店の名物ですよ」
ふふふふ。タカハシが笑ってくれた。
「ハンバーグ。苦手なんだ」
「どうしてですか?」
無言で微笑んでる。
だが、カブラギは譲らなかった。質問を重ねた。
「どうしてですか?」
「そんなこと。聞いてどうするの?」
でた!! タカハシお得意『そんなこと聞いてどうするの?』どうもしねえよバーカ。2度とお前に質問なんかするか! という気にさせる返し。
だから『得体の知れない鬼太郎』なんだよ!!
カブラギは決心していた。こいつの『ATフィールド(厚さ20センチ)』ぶち割ってやるからなと。
「私は将来先生の妻になるので、夫の食事の好みは知っておきたいと思いまして」
「結婚なんかしない」
「しますよ」
はぁ〜。
タカハシが両手で顔を覆ってしまった。
「大丈夫なのかー。カブラギ。お前こんなオッサンとウキウキランチしている場合なのか? 学校生活はどうしたんだ? 同機社は共学だろうが? ちゃんと執行猶予期間を楽しんでいるのか?」
執行猶予期間と来た。はいはい勉強しましたよ。社会人になる前の自由時間のことね。それがどうした。お前とのランチが今もっともやりたいことじゃい!
カブラギはガッと両手を伸ばしてタカハシの手を取りに言った。3年間憧れ続けた細く長い指先。
バッと両手を上にあげられた。形としては『降参』だが意味は『拒絶』である。
カブラギの両腕が空中をスカッと虚しく切った。
「どさくさに紛れて手を握ってやろうとしたのに〜〜」
「セクハラやめてください」
握ってやろうとしたのがFカップのドエロい女子大生であり「セクハラやめてください」と言ったのが37歳のオッサン教師である。
なんでや! 大学の男どもなんかうっかり手が触れただけで「うわっ。カブラギさんっ。ごめんねっ」と赤くなるのにお前はなんだ。
ここでハンバーグがきた。
◇
「うわぁ〜」
カブラギは思わず歓声をあげた。
ハンバーグは小さなフライパンの上に乗せられて『ジュージュー』と音を立てていた。たっぷりのデミグラスソースの上に細い川のようなクリームが流れていた。細かなパセリがふってある。カブラギはハンバーグの湯気の匂いをかいだ。
「美味しそう〜♡」
「食べなさい」タカハシがニッコリしてくれる。「でも先生のナポリタンまだ来てない」「いいから食べなさい」
「では遠慮なく……いただきまーす!」
パクパクパクパク。カブラギはハンバーグを頬張った。肉厚でジューシーだった。添え物のご飯も千切りのキャベツもみんな美味しい!
タカハシがカブラギをとても優しい目で見ているのに気づいた。
「あ、すみません。熱中しちゃって」
「ふふっ。美味しそうに食べるねえ」
『子供にお昼をご馳走してあげているお父さんみたいだな』と思った。
ナポリタンもハンバーグの少し後に来た。
「先生のナポリタンはどうですか?」
「うん? 美味しいよ。『正しいナポリタン』て味がするね。食べてみる?」
「はいっ」
ウッソ。タカハシ!! 食べさせてくれるの?
カブラギがエサをもらうヒナよろしく『アーン』と口を開けた。唇はグロスでつやっつやのピンクだ。
唇の下には『ぷるるる〜ん』とした胸の谷間が見える。
タカハシはニコニコしながら店員さんを呼び止め「取り皿一枚お願いします」と言った。
内心ズコーッてなりましたよ。昭和のリアクションですけれども。
タカハシは使っていない割り箸をわざわざ割ると、ナポリタンとサイドメニューのエビグラタンを取り分けてくれた。
『い……いつか「アーン」で口に入れさせてやるわ』とカブラギは決意を新たにした。
◇
食後のコーヒー(カブラギはアイスティー)のときおもむろにカバンから与謝野晶子の『みだれ髪』を出した。タカハシの前に突きつける。
「先生っ。私先生と『与謝野鉄幹、晶子』みたいになりたいんですっ」
「…………ずいぶん読み込んでるね」
「この4年何回も何回もそれこそ暗記するくらい読みました。与謝野晶子だって自分の先生と結婚したわけじゃないですか。私だって晶子みたいに『ハタチ妻』になるんですっ」
「『ハタチ妻』。『みだれ髪』の章題だね。でも晶子が結婚したのは24歳のときだけど」
うっ。さすが現国担当。なんでも知ってやがる。
「その時、鉄幹は29歳だよ。先生と生徒と言っても5歳差しかない。俺とカブラギは17歳も差があるよ」
「そうですか……質問があります」
「うん」
「じゃあ晶子がハタチで、鉄幹が37歳なら晶子は恋に落ちなかったんですか?」
◇
黙った。タカハシは黙った。コーヒーに手も付けずテーブルの真ん中あたりを見た。
「…………落ちたと思う」
「じゃあ鉄幹が47歳なら?」
「関係なかったろうね」
「57なら?」「関係ない」「67なら?」
「………………歳は関係ない」
はい論破ー! と言ったところだ。
「関係なかったんですよ。歳なんか関係ない。鉄幹が何歳だろうがどんな姿をしていようが、例え妻子があろうが晶子には関係なかったんですよ。それが恋じゃないですか? 私だって先生が『オッサン』だろうが関係ないんですよ」
「俺には関係あるよ」
「なんでですか!」
はぁ〜。タカハシがため息をついた。堂々巡りである。元担任のタカハシはカブラギを良く知っていた。こうなったらテコでも引かないのが『鏑木紫陽』。
「お前は……一体なんの魔法にかかってるんだ……」とつぶやくと「なぁカブラギ。大学にお前を口説いてくるやついないのか? それだけ可愛いなら1人や2人いるだろう?」
「今『それだけ可愛い』って言った!!!」
カブラギはテーブルから身を乗り出して噛み付いた。タカハシが『しまった』と言う顔になる。バカめタカハシ。うっかり本音をもらしやがって。
「カワイイーって思ってんだー。私のことホントは『カワイイ』って思ってんだ!!」
「俺がお前をどう思おうが関係ないだろ!」
「世界で1番関係あるわっっ」
タカハシがテーブルを見つめたまま黙り込む。あなたが! 私を! どう思ってるかが! 明日の株価より重要なんですよっ!!
「…………何人なの?」
「はい?」
「今まで『付き合ってください』って言われた人数」
「大学入学してからは35人です」
さんじゅうごにん?
タカハシがカブラギを見て目を丸くした。確かに死ぬほど可愛いけどそんなにいるの?
ふんっ『ミス同機社大確実』と言われるカブラギをなめるなよ。カブラギはふんぞりかえった。Fカップが『ぽよよよ〜ん』てなった。お前は『フタコブラクダ』か。
ムカつくことに。ほんとーにムカつくことにタカハシの顔が『パァッ』と輝いた。
「よし、カブラギ『サードミッション』だ」
「ミッション?」
「その内トップ3とデートしてきなさい」
与謝野晶子結婚の年はWikipedia上では1901年。新潮文庫『みだれ髪』年表では明治35年(1902年)となっておりますが、新潮文庫に『入籍し与謝野性となる』との記述があったため。そちらをとりました。
 




