第6話 百人一首合戦
はぁ〜っ。
タカハシは盛大にため息をついた。
「なんでこうなるかなー」とつぶやくと印鑑の朱肉をちり紙で拭いた。
それからカブラギとサトルの方に椅子を回転させた。右手をデスクの上に、左手を膝に乗せていた。
「カブラギ。百人一首だ」
「はいっ」
「俺が上の句を言うが、下の句で正解にしない。それができるやつなんてゴマンといるからな。作者名だ。『これやこのいくも帰るも別れては』で正答が『蝉丸』。わかるな? 即答しろよ」
「はいっ」
カブラギは嬉しくてたまらなかった。先生は4年前の桜吹雪の渡り廊下を覚えていてくれたのだ。
「一問でも間違えたらアウトッ。いくぞ!『きみがためは』」「光孝天皇っ!」
カブラギは『上の句』を最後まで言わせなかった。
「『わたのはらや』」「参議篁!」「『あさぼらけあ』」「坂上堤則!」
コンマ1秒くらいタカハシに『間』ができた。瞳がわずかに動く。
「『む』」「寂蓮法師!」「『ふ』」「文屋康秀!!」「『ほ』」「後徳大寺左大臣!!」
タカハシの瞳が今度こそはっきり揺れた。1秒くらいの間の後
「『けむりともくもともならぬみなりとも』」と言った瞬間にである。カブラギが
バーーーーンッッッッ!!!!
とタカハシのデスクを左手の平で叩きつけた。
朱肉が1ミリくらい中に浮かんだ。
「藤原定子っ!! 百人一首じゃなくて『栄花物語』っっ!!!!!」
◇
職員室がシーーンとなる。
タカハシが石のように沈黙してしまった。カブラギが腕を組んで右足でトントンといやーな感じに床を踏んだ。
「せんせぇ〜。卑怯じゃないですか〜〜。『百人一首』だっていうのにそこにない歌なんかだして」
タカハシが苦笑して顔を上げる。カブラギと目が合った。
「いやー。カブラギ。ごめん。うっかりしたよ。藤原定子は栄花物語だっけ? やり直しさせてくれ」
職員室中に響き渡る声でカブラギがタカハシを怒鳴りつけた。
「『うっかり』のわけないだろがっっっ!!!! 『決まり字』駆使してきやがってっっっっ!!!! 」
タカハシの顔に『あっちゃー』という表情が浮かんだ。
◇
「なるほど。『即答しろよ』が罠だったわけですね?」
小倉百人一首。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した藤原定家の秀歌撰である。100人の和歌を一人につき一首ずつ選んである。
『カルタ遊び』として親しまれている方が多いのではないだろうか?
『下の句』を床に並べる。読み手が読み上げる上の句を聞いて、できるだけ早く下の句が書かれた札を取る。取れた札が多い方の勝ちだ。
カルタにはコツがある。『決まり字』を把握しているかどうかで勝敗が大きく変わるのだ。
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例えば57番 紫式部
めぐり逢ひて 見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな
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百人一首で『め』から始まるのはこの1首しかない。この『め』が『決まり字』。競技者は『め』と聞いた瞬間に下の句『雲がくれにし夜半の月かな』の札をとるわけだ。
タカハシは『大山札』と呼ばれる6字まで『決まり字』が出てこないものを選んでいた。
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第15番 光孝天皇
君がため 春の野にいでて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ
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と
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第50番 藤原義孝
君がため 惜しからざりし命さへ 長くもながと思ひけるかな
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だと『きみがため』まで一緒なので6番目の『決まり字』、『は』か『お』を聞かないと歌が特定できない。
『即答しろよ』と言っているので上の句が読み終わった直後に言えなければアウト。間違えて下の句(この場合『わが衣手に雪は降りつつ』)を言ってもアウト。作者名を間違えても(『光孝天皇』ではなく『藤原義孝』と言ったら)アウトと
3重の罠
が張ってあるわけだ。
しかし全て答えられてしまった。カブラギは間違いなく『競技カルタ』をやり込んでいる。『決まり字』を熟知している。
そこでタカハシは今度は『焦って作者名を思い出せない』作戦に変更した。決まり字が1字目のものを選ぶ。
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第87番 寂蓮法師
村雨の 露もまだひぬ槇の葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮れ
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『む』で始まるのはこの句しかない。案の定というか。タカハシはカブラギをよくわかってるというか。カブラギは頭に血が昇るタイプなのである。ムキになるのである。
決まり字が出た瞬間に作者名を言ってくるだろうというタカハシの目論見は当たった。競技カルタで作者名を問われることはない。下の句は即答できても作者名となるとちょっと考えてしまうはずだ。焦りはミスにつながる。
が、これもことごとくカブラギに答えられてしまったわけだ。
そこで『百人一首以外の歌を持ってくる』という飛び技を使った。まさかの即答。まさかの出典提示。
『栄花物語』について答えられる大学2年。どんなだ?
カブラギはタカハシのデスクに右手首を置いてこれまたいやーな感じに人差し指をトントンさせた。
「『煙とも 雲ともならぬ身なりとも 草葉の露をそれとながめよ』。『藤原定子』ですかぁ。いかにもな人もってきましたねぇ。なにせ百人一首には藤原定子のお母さん(儀同三司母)も部下も(清少納言)も、部下のライバル(紫式部)もいますからねぇ。藤原定子、いそうじゃないですか? ねぇ」
タカハシは下を向いたままギュウッと膝の上の両こぶしを握りしめている。
「せんせぇー。いくら百人一首の作者名を答えさせても全問正解されることに途中で気づいたわけですね? そこでだ。それっぽい歌を混ぜてまごついたところで追い出そうとしたわけですね? 同機社大生なめないで欲しいですねぇ? あれ? 先生の母校ですよねぇ。国文だけなら日本一の大学ですよ? 藤原定子知らないわけがないよねぇ。そんなやついたらモグリだ」
ああー。かわいそう。タカハシぎゅーっと目をつぶっちゃったよ。容赦なくカブラギはトドメをさした。
「いやー。『上の句』全っ部聞いちゃったよー。なにせ出典によって微妙に違いますからねぇ。『身なりとも』で栄花物語。『身なれども』なら後拾遺本だ」
ネチネチネチネチ。背中を刺したやつを蹴り飛ばすようなこの所業。タカハシがっくりうなだれちゃったじゃん。
ダーーーーンッッッッッッッッ
カブラギは床を右足で蹴った!!
「そんっっっなに私とランチすんの嫌かぁぁっっっっ!!!!!!」
「…………………………ランチが嫌とかではないんだけど…………」
「ど!?」
「……………………いい加減俺のことはあきらめてくれないかなと思って…………」
「はぁ〜!? だっっれがあきらめるかっっ。好きだって言ってんでしょっ!? 先生こそいいかげん彼女にするの考えてくれてもいいでしょっっっっ」
事態をすっかり把握した職員室内が色めきたっている。
「あのっタカハシ先生がっ女子大生に迫られてるよっ」というささやき声が聞こえた。
「タカハシー。ドエライのに好かれたなー」
腕を組んだままサトルは笑いをこらえきれないようだった。
◇
『中学時代競技カルタの地域チャンピオンだった』ことをばらしたのは勝敗が着いてからである。
「そいうことは早く言って!?」と『あのタカハシ』、つまり『すかした鬼太郎』の悲鳴のような抗議を聞いて「誰が敵に塩おくるかバーカ!!」と言ったカブラギである。情け容赦がない。
「じゃあカブラギここなー」とだいぶ笑っちゃってるサトルにスマホ画面を見せられた。
「久保先生。校舎内はスマホの電源を落とすのが規則ですが」とタカハシに言われたが聞いちゃいねぇ。
「ここハンバーグうめぇんだよ。送るわー」とお店情報をLINEに送られた。カブラギは廊下に出てからクルクルと踊り出してしまった。
タカハシと、あのタカハシとランチデートだっ♡やった♡♡
◇
高校を出てすぐネイルの予約をした。「とにかく可愛いのお願いしますっ!」とネイリストに言った。家に飛んで帰って服を取っ替え引っ替えした。
ああ、タカハシ。あなたはどうしてタカハシなの?
何を聞いても『そんなこと聞いてどうするの?』しか言わないの? 好きな女優も好みのタイプもわからない。明日私は何を着ていけばいいの?
胸の谷間がハッキリ見えるピンクのサマーセーターを選んで、パンツが見えそうな短いスカートをはいた。
靴下はニーハイで(絶対領域大事!)靴は黒のスニーカーで、ピンクの靴紐にした。
髪にはラメラメのパッチンピンをつけた。
いい女というか…………ギャルですけれども…………ということだがカブラギはタカハシを悩殺することしか考えられなかった。
そして『お守り』のペンギンのハンカチを持った。なんとなく蝉丸法師に『明日タカハシとのデートが上手く行きますように!』と祈った。死んだ父親にも祈った。
『わたのはらや』
百人一首 第11番 参議篁
わたの原 八十島かけて漕ぎ出ぬと 人には告げよ海人の釣船
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『あさぼらけあ』
第31番 坂上堤則
朝ぼらけ 有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪
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『ふ』
第22番 文屋康秀
吹くからに 秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ
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『ほ』
第81番 後徳大寺左大臣
ほととぎす 鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞ残れる
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