第29話 クリスマスの奇跡
クリスマスの前後2日は弁当屋を休んだ。23日、24日、25日とイベントコンパニオンのアルバイトを入れたのだ。
横浜の赤煉瓦倉庫の広場で催し物の紹介をした。1日中マイクに向かって「こちらをご覧ください!!」と言い続けた。
セクシーなサンタ衣装で胸元にホワホワの棉をつけ、スカートは限界まで短かった。
クリスマスはわざとスケジュールを空けなかった。タカハシに余計な気遣いをさせるのが嫌だったし。コンパニオンの『時給2500円』は魅力的だった。
カブラギは巨乳で、可愛くて、エロかったが、母子家庭なのだ。
お小遣いはなんとしてでも自分で稼ぐのだ。
担当者がカブラギの顔を見て一発で採用を決めた。
『やっぱり美人は得なんだなぁ』と他人事のように思った。
カブラギは外見こそ派手だが、中身は図書室に1日中いたメガネで二つ結びで猫背の彼女と変わらなかった。
自分の可愛さをタカハシを落とす以外の目的で使いたいとは思わなかった。
お金は自分の努力で稼ぐ。いつか衰える外見なんかで稼いでなんになる。固い職業についてお母さんを楽にさせてやるのだ。天国の父に誓ったのだ。
できればタカハシと同じ国語教師になりたい。
12月25日。夜の8時に家につき倒れるようにベッドに横になった。疲れた。働くとはなんと大変なことか。声も枯れた。
ペットボトルの紅茶を喉に流し込むと化粧を落とし眼鏡と二つ結びの髪型になった。どーでもいいジャージに着替える。
その時タカハシから電話があった。
「カブラギ。バイトお疲れ様」
「ありがとうございます。この3日でたんまり稼ぎましたよ!」
「雪がちらついてるよ。窓の外。見てごらん」
「あっ! 本当だ!」
思わず窓を開けて驚いた。タカハシが家の前にいたのだ。
ニコニコしてカブラギに手を振っている。
「ちょっ。ちょっと待った! そのまま! そのまま!!」タカハシに向かって窓から叫ぶ。
カブラギはモコモコのコートを慌てて羽織り玄関に飛び出した。
「ちょっ。来るなら来るって言ってくださいよっ。どうでもいいジャージ着ちゃってるじゃないですかっ。すっぴんだしっ」
ふふ。「ごめんね。プレゼント渡しにきた」
タカハシはコートに茶色の傘をさしていた。ブランドものだー。間違いなくサトルに待たされてるわコレ。あいつネクタイだけじゃなくて傘までプレゼントしてくんのか。彼女か。
タカハシはブランド物の傘を買うくらいなら本を買うだろう。そういう男だ。
「私はいつも最高に可愛い私をタカハシ先生に見せたいんですよっ」
「最高に可愛いよ」
え?
タカハシがカブラギの頭をなでた。
「メガネでも。すっぴんでもカブラギはいつも可愛いよ」
胸がいっぱいになってしまった。
タカハシが吹き出した「それにしてもジャージまでペンギンなの?」
「はぁ。ワッペンが『マウンテンズ』の通販で売ってたので市販のジャージにつけちゃいました」
「ふうん。いいね」
はいこれって渡されたプレゼントを見てカブラギは驚いた。いつも使っている化粧品の『クリスマス限定コスメ』だ。こんな気の利いた物タカハシ買うか?
クリスタルのケースの口紅や。見ただけでアガるようなラメラメのアイシャドウや可愛いポーチまでついている。
「すごいー。欲しかったんですよー。高くて買えなくてー。どうして私の使っている化粧品のブランド知ってるんですか?」
「俺じゃなくてサトル」
あっ!!!
サトル! あいつ人の部屋に上がり込んだときコスメブランドチェックしたのか! ほんと油断も隙もないな!!
「俺もデパートで選んだんだけど。ずーっと今日サトルに怒られてて。最後には『もういいわオレが選ぶわタカハシは引っ込め』って言われて」
カブラギはおかしくて仕方なかった。1日中デパートで怒っていただろうサトルや、言わなくてもいいことを正直にしゃべってしまうタカハシが微笑ましかった。
「サトルには勝てない」
ふわーっとタカハシがカブラギの背中に手を回し両指を組んだ。開いた傘の表面が地面に落ちて、タカハシとカブラギの髪に直に雪のかけらが次々はりついた。
「あのっ。すごく嬉しいですっ。でもっ。あのっ。私は何も準備してなくてっ」
嬉しさで涙ぐんでしまう。
「先生からっ。プレゼントもらえるなんて考えたこともなかったからっ。私なんにもっ。あっ。よかったらバレンタインデーにプレゼントしてもいいですか?」
「うううん。今もらうよ」
「え?」
「『はい』って言って欲しいんだけど。『はい』って返事がプレゼント」
「『はい』って返事?」
「鏑木紫陽さん」
「はい」
「僕と付き合ってもらえませんか?」
「…………」
パニックになって固まってしまった。
「ボランティアとかじゃなくて。正式に。彼氏にしていただけないでしょうか?」
「なんでですか」
「うん?」
「先生。婚活しないと。行き遅れますよ。あと3年で40ですよ」
ふふふふ。タカハシが笑った。
「好きな人がいるのに、婚活なんかできないよ。相手の方に失礼だよ」
「え? どういう風の吹き回し? なんで急に!?」
「反省したんだ」
「反省?」
「『ボランティアでいいから彼氏になって』なんて。ハタチの子に言わせて。言わせる男が悪いよ。どんな気持ちで言ったのかと思うと。胸が潰れるような気がしたよ。ごめんね。俺が悪い」
「いえっ。そんなっ」
タカハシに抱きしめられる。
「『ボランティア』なんて。そんなこと言わないで。ちゃんと付き合ってよ。俺カブラギが好きなんだ。言えなかっただけでずっと好きだったんだ」
カブラギはもう。黙ってタカハシを抱きしめかえした。カブラギとタカハシの肩に雪がフワフワフワフワと落ちてくる。天使が祝福しているかのように彼女には見えた。
「カブラギ…………返事」
「あっ。すみませんっ。返事は『イエス』です」
ぎゅうううっ。
「はいっ。喜んでお付き合いさせていただきますっ。今日から関係を『友達』から『恋人』にアップデートしてくださいっ」
雪に包まれたまま2人でキスをした。
◇
タカハシとの付き合いは最高であった!
堂々と毎週土曜日に会った。木曜日もスケジュールさえ合えばお茶した。
タカハシは圧倒的に大人で余裕があった。
カブラギの周りにいる『懸命に気を遣ってくるけど、どこか手前勝手な』男の子たちとは全然違った。
カブラギは『もしタカハシと別れても同年代とは付き合えないかも』と思ってしまったくらいだ。
付き合って初めてのデートで手を繋いでくれたとき、そのままコートのポケットに手を引き込まれた。
あ! カイロがポケットに入ってる!
「あったかーい♡」と言うとにっこり微笑んでくれた。
カブラギのレポート資料を一緒に本屋へ探しにいってくれた。さすが大学首席。何を聞いても答えてくれる。有名な詩はほぼ全て暗記している。本の1文を言うだけで誰のなんの著作か当てる
高校教師として相対していたときはこんなに出来る人とは気づかなかった。
2人でランチをしながら2時間『源氏物語』について話し、次にカフェに移動して2時間『芥川龍之介』について討論した。
帰りに「ごめんね……。これじゃあカブラギが昔デートした東大生と一緒だったね」と反省されたので「ぜんっぜんっ。全然違います!」と抱きついた。あと4時間はタカハシと話せる。
『赤と黒』について話した高校3年時。あまりに楽しくて『これが一生続けばいいのに』と夢想した。それが現実になってる。
カブラギの大学の成績がみるみる上がった!
何せタカハシというスーパーバイザーがついているので、教授を前のめりにさせるような鋭い問題提起ができた。
鏑木紫陽はあんなに可愛くてエロいのに成績もトップクラスだと噂になった。
胸の谷間がバッチリ見える体にピタッとしたニットセーター。太ももが生命力でパンパンのレザーのスカート。そんな彼女が、次々とゼミの先輩を討論で凹ませていく姿は痛快でさえあった。
マクドナルドに入ってポテトを食べる。
カブラギが「あーん」と口を開けるとタカハシが笑ってポテトを口に入れてくれた。
「先生も。あーん」とポテトを顔の前にもっていく。
「いやっ。俺はもう中年だし。さすがに恥ずかしいよ」と手のひらを振られたが構わず『あーん』と続ける。照れながら口を開けてくれた。
それでとても気まずそうに、明後日の方向を見てポテトをモグモグした。
可愛いっ!! 中年は可愛いっっ!! 学校の奴らこんな可愛いタカハシを誰も知らないんだっ。
心の中で身悶えした。
全てがカブラギの物だった。今やタカハシの繊細で美しい手はカブラギの髪を撫でるためにあったし。教室中を眠らせる低くて落ち着いた声はカブラギの耳に愛をささやくためにあった。
温かい胸もカブラギのもので、抱きつく背中もカブラギのもので。誰も見ない両眼はカブラギだけを見て。彼の唇をカブラギが独占した。
夢のようだった。
与謝野晶子も鉄幹が短歌の師から恋人になったときこんな思いを抱えたのだろうか?
その時彼女の胸にどんな歌が去来したのだろう?
 




